65. 西暦2160年 のりたま200歳
気温が常に一定で、彼岸花以外の花も咲かなければ、鳥も鳴かない冥界で、唯一季節を感じさせるものは、藪入りだ。
盆と正月に、地獄の釜の蓋が開く。冥界総出で祭りを楽しむ二日間だ。企画は庁舎持ち回りになった。どの庁舎にも現世組がいたし、回を重ねれば現世組でなくても要領はつかめる。ただ、準備に時間をかけられないため、派手になることはなかった。もうそんな季節なのかと、緩い感想が生まれるくらいだ。
季節を気にしないと、年月も気にならない。現世から来た梅子たちも、年々時の流れに疎くなっていった。そして、それを気にすることもなかった。なにしろ年をとらないのだから、永遠の十九歳だ。
その日の朝、梅子は手習いの後に、小野と茶を飲んでいた。梅子が淹れた緑茶だ。
「あ、茶柱が立っています」
小野がニコリと笑って言った。目尻に少し皺がよった。
「やっぱり小野さんも嬉しいですか、茶柱」
「そうですね、めでたい気がするでしょう? 実は僕、今日が誕生日なんですよ」
「え、おめでとうございます。何歳になりましたか?」
「ありがとう。こう見えて二百歳です」
「のりたまも二百歳かあ。まだ売ってますかね、のりたま」
「あるでしょう、不朽の名作ですよ」
「ケーキのロウソクの代わりに、茶柱でお祝いですね」
梅子は、茶を淹れた時に茶柱が立ったのに気づいて、それを小野に渡すか自分で飲むか、迷ったのだ。小野に渡して良かったと思った。
小野は、湯飲みの中の茶柱をじっと見つめ、ゆっくりと茶を飲んだ。
「茶柱も飲みました?」
「ええ、それで僕、決めました。閻魔庁を引退します」
「なんで! 脈絡なさ過ぎですよ」
茶柱が切っ掛けか、誕生日が切っ掛けか、二百というきりの良い数字のせいか、小野が引退を決意してしまった。風貌は確かに還暦くらいだから違和感はない。長い間お疲れさまでしたと、花束を渡されても、そんな頃なのね、と現世でなら思ったはず。だけど、・・・。
「どおおおおおしよおおおお」
「まあまあ、スガちゃん、落ち着きなって」
「だって、あまりに突然だもの。誕生日祝って、縁起物の茶柱呑んで、それで引退決意って、どういうことですか?」
「発言は唐突だったけど、引退自体は前々から考えていたんじゃないかしら」
「どうして、そう思います?」
「現世にいる時間を長くして、実際に年をとりに行っていたでしょう」
「確かに老けました。おじいさんの手前です」
「そうやって覚悟を決めていったんじゃないの」
言われてみれば、最近小野に会わなかった。次代の小野海斗は閻魔庁にいるのだから、現世に用事などなさそうなのに。
「閻魔様の強火推しだった小野さんはどこに行ってしまったのか」
「そういえばそんな日々もあったねえ」
「やめて、思い出話にすると、ますます遠ざかるから」
「まあ、小野篁卿も、死んでから閻魔庁に二百年でしょう。そういうことを考えたのかもしれないわね」
「小野篁卿は亡くなった時、五十一歳だったから、今の小野さんの方が見た目は上ですね」
「小野っちも、そうやって気持ちの準備をしてきたんだね」
「鬼塚さん、何時の間に小野さんのことを、小野っちって呼んでるんですか」
「いや、今初めて呼んだ。だって、最近は、好々爺然としてるじゃない。愛称だよ」
「ううう、なんかやだ」
梅子は納得しきれないものを感じたが、小野の人生に口を出すべきではないのは分かっていた。次代の小野海斗は、もう立派に小野の仕事を引き継いでいたからだ。
翌日、小野は正式に冥界を去ると皆に告げた。
惜しまれるかと思ったが、梅子の予想に反して、閻魔様も、司命、司録も、職場のみんなも、淡々としたものだった。
考えてみれば、もう何人も小野家の人間を見送ってきたのだ。
「じゃあな、来世も元気でな」
「生まれ変わったら、法廷に来て裁きを受けろよ」
「期限はないから、また来いよ」
ちょっと遠くに転勤になったくらいの軽さだ。いつかまた会えると思っている。
「よく仕えてくれた」
閻魔様の、たぶん最大級の労いの言葉だ。そもそも、六道の分かれ道まで、みんなが見送りに来てくれることが異例だという。
「三歳から見ているからなあ」
「孫みたいなもんだったが、いつの間にか老けたな」
「小野さん、お世話になりました。閻魔庁に誘ってくださってありがとうございました。どうぞ、良い来世を」
梅子は、そう言うのが精一杯だった。ほかの官吏との温度差がすごくて、泣くのを我慢した。
「良い来世をって、年末の決まり文句の、良いお年を、みたいですね」
と言って、小野が笑った。
「ちょっと軽々しいですか」
「いえ、ほかに言いようがないですからね。菅原さんも、いつか良い来世を」
そう言って、小野は、皆に背を向け歩き出した。
梅子は横に並んでいた閻魔様に問いかけた。
「閻魔様、小野さんは、どこに向かっていますか?」
「さあな。我らの裁きを受けたわけではないからな」
「じゃあ、自分の意志で選べるんですか? 長年勤めたことに対する慰労的な?」
「いや、ランダムだ」
「ランダム?」
「前に六つの道が見えるか?」
「はい、放射状に広がっていますね」
「あれはな、毎日行き先が入れ替わるのだ」
「何のためにですか」
「ズルをして、天道に行きたがるものが多すぎる。だから、亡者には、どれがどの道にいくのか伏せてあるのだ」
「ということは、小野さんも、どこにたどり着くのか分からない?」
「そういうことになるな」
「うわぁ、こんなところでガチャ要素が。小野さん、引きが悪そうだからなあ」
「まあ、地獄には行かせないよう、入口の係に言ってある。小野のせがれが地獄に行ったら、獄卒どもが気まずいだろうからな」
「確かに」
こうして、小野篁卿を祖先に持つ、小野崇は、六道のどこかへ転生していった。
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