63. 新人教育係
梅子は出勤途中の廊下で、珍しく藤原に会った。
「小野が、次代君を連れてきたよ」
藤原に、そう聞かされて驚いた。
「小野さん、よく説得できましたね」
「いや、説得はしてない」
「では、どいうやって?」
「次代君、交通事故で亡くなったらしいよ」
「ええと、それはご愁傷様です、といしか言いようがありませんね。普通の亡くなり方なら、その人が閻魔様の法廷にたどり着くまで、小野さんがストーカーしそうですね」
「いやそれが、すでに三途の川の手前で追いかけっこしたらしいよ」
「え、小野さん何やってるんですか。どういうつもりでそんなことに?」
「ね? 信じがたいよね」
「その次代さんは、素直に小野さんから、仕事を教わるでしょうか」
そんな梅子の疑問は、翌日、小野家の部屋で解決策が示された。
翌朝、梅子が手習いのために小野家の部屋を訪れると、
「おはようございます、菅原さん」
と、久しぶりに見る晴れやかな顔で、小野が挨拶をしてきた。
こちらにどうぞ、と促され、ソファの一人席に座ると、入口に背を向けたソファに座っていた若い男が目礼をよこした。
「おはようございます。菅原と言います。小野さんにリクルートされてここに来ました」
と、梅子から挨拶してみた。
「俺は、小野海斗です。よろしく」
「まずは、お茶でも飲みながら話そうか」
そう言って小野は、湯飲み茶わんを三つテーブルに並べた。
「冥界自慢のほうじ茶ですよ」
「ほんとだ、美味しいな」
小野海斗は、素直にそう言った。
「さて、小野海斗くんが、このたび閻魔庁に正式に入庁しました。それで、海斗君の教育係を、菅原さんにお願いします」
「え、私がですか」
「こんな若い子が、俺の教育係ですか」
若いと言われて、梅子は苦笑した。
「見た目詐欺でごめんなさい。閻魔庁勤務は百二十年を越えました」
「菅原さんは年をとらないんですか? 小野さんは、だんだん老けてきたような気がしますけど」
「僕は、現世に戻ると、生き物としての時計が回り始めるんですよ。死んでいないので」
「そうか、早めに小野さんの次代を受け入れていれば、俺にもそういう道があったのか」
小野海斗は、そう言ってしばらく黙り込んだ。
この件は、自分で折り合いをつけるしかないだろう。慰めも助言も、何の役にも立たない。
「では、これからの話をしましょう」
小野が言うと、小野海斗が顔を上げた。
「まず、座学です。冥界と閻魔庁について、基礎知識を学んでください」
「あの、ホワイトボードに書いてくれた内容ですね」
「そうです。次に、閻魔庁舎内の案内、法廷の様子も覗けるので見てください」
「法廷! それは楽しみです」
さすが、法曹界の人である、ここだけ食いつきが良い。
「ただし、現世の法律と倫理観を持ち込まないように。冥界には冥界のルールがあります」
と、小野が釘を刺した。
「閻魔様以外の十王様については、いずれ紹介します」
「では、菅原さん、さっそくお願いします」
梅子は百二十年前のメモを頼りに、小野健斗に、六道輪廻のこと、閻魔庁のこと、ホットラインのこと、思いつく限りのことを、ホワイトボードに板書しながら説明した。もともと頭の良い人なのだろう。一度聞くと覚えてしまうようだった。
座学が一段落した時、小野海斗が聞いた。
「菅原さんは、入庁者特典で何の能力をもらいましたか? 俺はまだ決められなくて」
「私は、とにかく早く実務に就きたかったので、仕事に必要な言語とその古語を、各種書体で読み書きできる能力です。実際、すぐに閻魔帳なんかを読む必要があったので、すごく役に立ちました」
「なるほど、実用的ですね。俺にも必要な能力だろうけど、同じだともったいないですね。ほかの人はどんな能力なんでしょうか」
「私が知っているのは、転移とか、千里眼ならぬ十里眼とか、書類のコピー能力、かな」
「身体的能力と、事務的能力に分かれてますね」
「あ、自分のバックにいるやばい守護霊をコントロールする能力ってのもありました」
「それは、かなり特殊ですね」
「こういう能力を苦も無く授けられる閻魔様って、すごいですよね」
「だけど、俺は、三途の川でカヌーで轢かれたのが初対面だったので、そんなにすごい人というのが信じられないです」
「まあ、法廷のお姿を見ると、また印象違いますからね」
「もらう能力は、働き始めて必要になったらでもいいんじゃないですか。予想もつかない事態もあるでしょうし」
「そうですね、ゆっくり考えます」
午後は閻魔庁舎を案内した。
庁舎を一通り回ったあと、梅子の職場に連れて行って、皆に紹介した。情報はすでに行き渡っていたらしく、
「よろしく、次代の小野君」
「閻魔様に三途の川で轢かれたんだって? 災難だったね」
「現世では、車に轢かれたんだろ。轢かれ易い体質なのかな」
「ねえよ、そんな体質」
皆、勝手なことを言いながら集まってきた。
「俺たちの名前、みんな現世の名字にしてあるから、早く覚えてくれよな」
「ちなみに、俺は相田」
「俺は、石田」
「宇多田」「江古田」「小田」「神田」・・・
「あれ、その名前」
「気づきました?」
「あいうえお順ですね」
「はい、僭越ながら私が名づけの親です。本名を覚えられなかったので、便宜上」
「いやいや、俺らが自分の名前忘れてたからだよ」
「そうそう、名前なんか使わなくてもって思ってたけど、あると便利だって分かったわ」
「おまけに正式に覚えてなくても、『い』で始まれば池田でも飯田でも良いって、融通きくだろ?」
「それはなんというか、そうですね、人を他者から区別するという、名前の記号としての価値を、存分に発揮したやり方ですね」
小野海斗は変な感心の仕方をした。
「ははは、難しいこと言ってんじゃねーよ。お前、おもしろいな」
「生真面目な小野さんと、違う方向に固いな」
こうして新人小野海斗は、職場の皆に快く迎えられたのだった。
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