62. 小野海斗の覚悟
閻魔様は、久しぶりに三途の川に遊びに来ていた。
といっても分身二体だ。二人乗りのカヌーに乗って、相変わらず器用にすいすい進む。
本当は競争をする方が楽しいのだが、先日、分身二体で激しいデッドヒートを繰り広げ、土手に乗り上げてボートを大破させるという失態をおかしたために、競争は禁止されてしまった。仕方なしに二人乗りに挑戦したのだが、一人乗りよりはるかにスピードが出て、これはこれで楽しい。
一心に漕いでいたら、ガゴッという嫌な音がして、慌ててカヌーを漕ぐのを止めた。
閻魔様が振り返ると、一人の死者が頭を抱え込んで川に浮かんでいた。死者が川を渡る所からは、だいぶ離れたつもりだったのだが、どうしてこんな所でぶつかるのか。
「おい、大丈夫か」
「死んだか」
「元々だろう」
カヌーの上の引き上げて、閻魔様が声をかけると、
「い、ってぇ」
と死者の男は呻いた。
「お前、なぜこんな所を泳ぐ。奪衣婆から指示された場所があるだろう」
「む、こいつ奪衣婆に着物を剥ぎ取られていないぞ」
「脱獄か」
二人の閻魔様の会話が、聞こえているのかいないのか、男はうずくまったままだ。
「とりあえず、岸に戻るか」
岸が近くなると、河原を全力で駆けてくる男がいた。
「あれは、小野のせがれか」
「小野のせがれだな」
「何をやっておるのだ、こんな所で」
閻魔様は、うずくまる男をカヌーから降ろした。
「海斗君、大丈夫かっ」
小野が、死者に取りすがった。
「閻魔様、海斗君は?」
「大丈夫だ、普通に死んでいる」
「普通に死んでいる、とは?」
「生きてるやつが紛れ込んだわけではない。死んだからこそ、ここにいる」
「なんで、なんでだよ、海斗君」
小野は死者の着物の襟を掴んで、ぐいぐいと揺らした。
死者の男は、うっすらと目を開けて、小野を見た。小野は、
「どうせ死ぬなら、僕の井戸から来てほしかったのに」
という、今さらな愚痴を言った。
「そんなことを言うために、俺を追いかけてきたんですか」
死者の男は、脱力してそう言った。
閻魔様は状況が分からず、小野に説明を求めた。
その頃には、死者の男もだいぶ頭がはっきりしてきたようで、会話に加わってきた。
小野と、小野の次代である小野海斗の話はこうだ。
小野の次代である小野海斗は、裁判所に勤務してもうすぐ一年になろうとしていた。仕事で出かけた先で交通事故にあい、気付くと何もない所をただ真っ直ぐ歩いていた。死装束を着せられていたから、自分が死んだのだと気づいた。絶望したが、自分の意志に反して足はどこかに向かって歩き続けている。この先が三途の川だろうと、なんとなく分かった。
何日も歩き続けているうちに、それを受け入れ始めている自分に気づいた。
そんなある日、小野海斗は、後ろから走ってくる、うるさい足音を聞いた。周りにも死装束の人たちはいるが、皆黙って歩いている。無作法なヤツだな、と思って振り向くと、
「海斗君!」
叫びながら駆け寄ってくるのは、いつも冥界に誘ってきた小野だった。
とっさに、小野海斗は走り出した。なぜだか分からないが、自分が冥界に来たのはこいつのせいかもしれないと思ったからだ。実力行使して、誘い込んだのだと。
走って、走って、三途の川にたどり着いて、勢いのままに飛び込んだ。誰かがしわがれた声で何か叫んでいたが、全て無視した。泳ぎは得意とは言えなかった。やみくもに水しぶきを上げて、もがいていると、頭部にものすごい衝撃がして意識が遠のいた。誰かに助け上げられ、声をかけられ、そうしてまた岸まで連れ戻されてしまった。
小野海斗の話はここまでだった。
一方の小野は、実家に行ったときに、小野海斗が事故で亡くなったことを聞かされた。すでに四日が過ぎていた。体は荼毘に付されていたから、閻魔様に掛け合って生き返らせることもできない。けれどこのまま、普通に三途の川を渡って、十王様の審理を受けさせたくなかった。すぐにでも閻魔様の元に連れて行って、閻魔庁で働く希望があれば、叶えさせてあげたい。そう思って、三途の川までの荒野を、小野海斗に会うために走り回っていたのだ。
発見した時は、嬉しくて名前を呼んだら、こちらを見た小野海斗が、全力で逃げ出し、あまつさえ三途の川に飛び込んでしまった。四十代の体は、死んだ小野海斗に追いつけなかった。
「それでこんな所を泳いでいたのか」
閻魔様が迷惑そうに言った。
「さて、では、小野海斗に問う。小野のせがれのスカウトを、ずっと断り続けてきたのだろう? 現世でやりたいことをやってから、ということであったが、その道は断たれた。この先、閻魔庁で働くか、普通の死者として裁きを受けるか、選ばせてやろう。ただし、時間の猶予はない。今ここで決めろ」
呆然としながらも小野海斗は、周りをぐるりと見回した。
体の大きなばあさんが、死者から着物を豪快に剥ぎ取っては、横の男に渡している。男は着物を木に放り投げている。急流に押し出されるもの、小舟に乗る者、大きな船が出るのを船上で待っている者、さまざまだ。小野海斗は、そのいずれの死者の仲間にもなりたくなかった。
いつかは、小野のところに来てもいいかと思っていたのだ。予定が四十年早まったと思おう。
「閻魔庁で働きます」
小野海斗は、そう言って閻魔様に頭を下げた。
カヌーの男が閻魔様だとは夢にも思わなかったが、ここらで一番偉そうに見えたからだ。
その後、閻魔様の分身二人と、小野と小野海斗の四人は、そろって閻魔庁の小野家の部屋に飛んだ。
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