60. 動き出した時間
小野が現世に通うようになって、早くも十年が過ぎた。
昔取得した司法書士の資格は、さすがにもう使えないから、実家の伝手で司法書士事務所で雑務をこなしているらしい。
梅子が、藤原からたまに聞く小野の近況は、ハラハラするものが多かった。
「小学生になったから、学校や学童保育の往復を見守っているらしいよ」とか、
「中学の登下校も見守るし、部活動の練習試合があれば、父兄のはじっこの方で息をひそめて応援しているらしい」とか、
声はかけない方針だというものの、気付かれたら、また通報事案だ。
さすがに藤原が見兼ねて、存在感を薄めてくれる装置を、閻魔様に頼んで作ってもらい、小野に持たせたらしい。
そんなうわさで聞くばかりだった小野と、梅子は久々に顔を合わせた。
「いつぶりですか、小野さん。向こうに行きっぱなしですよね」
「ええ、人ひとりが成長してゆく様を見守るというのも、なかなか楽しいものですね。自分は子を持てませんでしたから、なおさらです」
「閻魔様の補佐の仕事はいいんですか」
「週に三日、夜だけこちらで働いています」
「夜だけっていうのが、小野篁卿みたいですね」
「そこも気に入っています」
「ところで」
と、梅子は久しぶりの小野の顔をしげしげと眺めた。
「小野さん、少し顔が変わりましたよね」
小野は、びたりと頬に手を当てて、
「やっぱりそう見えますか?」
「過重労働のツケですか」
「いえ、僕は死んでいないでしょう? だから、現世にいる時間は、生命体としての時間が進むので、人並みに年をとるようになりました」
「小野さんの次代の子は、いくつになりましたか」
「十五です。十八になって成人したら、一応打診はしてみようと思っています」
「打診は小野さんからで大丈夫ですか?」
「もちろん、僕からです。僕の後継者なわけですから、そうするのが道理でしょう」
梅子の心配そうな顔を見て、
「閻魔様が、ダメならダメで構わない、その子が寿命で死んでからスカウトすれば良いと、言ってくれたので、長丁場のつもりで頑張りますよ」
と、案外気楽な感じで言った。
それから更に三年、小野の次代の子である小野海斗は、十八歳になった。
その日、梅子が小野家の部屋を訪れると、ソファで項垂れる小野と、腕組みをして対面に腰かける憤怒顔の閻魔様がいた。傍らの椅子に、藤原が座っている。
「デジャヴ」
梅子が思わず声に出すと、
「菅原さんも聞いていく? 小野のスカウト話」
と、藤原が言った。
「聞いていいものなら」
「次代の彼、小野海斗君ていうんだけど、駅の構内を歩いているところに急に話しかけて、閻魔庁の仕事に興味がないかって尋ねたらしいよ」
「前置きもなく?」
「自己紹介さえなく」
「閻魔庁の意味がすぐに分かりますかね」
「何かの聞き間違いかと思うよね、普通」
「そしたら何て?」
「『あなたのこと、なぜかどこかで会った気がします』って言われて、ストーカーしていたのがばれたのかと焦ったらしい」
「ストーカーじゃない。ただの見守り」
小野が話に割り込んできた。
「いや、客観的に見たら、間違いなくストーカーだよ」
「で、小野は、自分が小野篁の子孫で、その人のように冥界で閻魔様の補佐をしている、ということを、どストレートに伝えたらしい」
「やべえヤツと思われますよね、普通」
「関わっちゃいけないって思うよね、普通」
「僕が普通じゃないみたいに言うの、止めてもらえるかな」
「で、その海斗君も、こいつは普通じゃないと思ったらしくて、刺激しないように穏便に、『僕は大学進学を目指しているので、ほかを当たってください』と、礼儀正しく断ったらしいよ」
「普通にいい子ですね」
「まあ、小野も断られるの前提で、何度もアタックする作戦らしいから、素直に引き下がって、『小野篁は、君の祖先でもあるんだよ』ってことだけ伝えたらしい」
「気になって調べてくれるといいですね」
ここまで聞くと、大した失策にも思えないが、この悄然とした小野の姿はなんだろう。
「そのほかにも何かあったんですか」
「その後、偶然街中で会って、向こうから話しかけられたらしい」
「え、興味持ってくれたんですか?」
「家に帰って祖先のことを親に訊ねたら、一族の間でそういう言い伝えがあるけれど、よくある先祖自慢のでっち上げ家系図だと一刀両断されたんだと」
「うわあ」
「小野にとっては誇りであり、アイデンティティでもあったから、ああして今落ち込んでるところ」
なるほど、納得である。
「まあ、予想されたことでしたし、気長にいきましょうよ。
ところで、閻魔様からは何と?」
「特には。報告だけ聞いて、まあ、静観といったところかな」
それから、二、三年おきに、小野は小野海斗にアプローチし、すげなく断られる、を繰り返していた。
ある時、小野は、周囲に人がいないことを確認して、魔鏡で冥土通いの井戸を出現させた。こうやって行くんだ、と飛び込んで見せた。しかし、小野海斗の反応は芳しくなく、多少なりとも信用してもらえると思っていただけに、小野の心は折れかけていた。
梅子は、閻魔庁でごくたまに小野と顔を合わせたが、会うたびに年をとっていた。
出会った時は、二十代の頼りない会社員風だったが、今は四十代の頼りない中堅社員風だ。藤原より九つ年下だったはずなのに、見た目は逆転してしまった。
年をとる小野を見ていると、梅子までそれに応じた年を重ねていくような錯覚に陥った。小野以外は、鬼塚も橘も、同僚のみんなも、まるで変わりがないことの方がおかしいと感じるようになってしまった。
その違和感は、梅子を不安にさせた。
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