58. 100年後の話
いつの間にか百年たったと言われ、梅子は愕然とした。
「何よ、自覚がなかったの?」
鬼塚が笑う。
「いや、だって、本当に? 橘さん」
「なんで橘さんに聞き直すのよ」
「信頼と安心の橘さんだから?」
「間違いなく、西暦二一二五年よ、二十二世紀」
「世紀も変わっていましたか。天皇は誰なんでしょう」
「スガちゃんは、現世に出張とかなかったの?」
「うん、私はリクルーターには不向きだって言われました」
「というより、内勤がすごく合ってるのよ。あの閻魔様を手なずける女官吏として有名じゃない」
「え、なんですか、それ。広めてるのは、ケンタですか」
「いいえ、司命さんと司録さんのお二人です」
「ばかな」
「あはははは」
自分の評判に疎い梅子が面白くて、鬼塚は笑った。
「そういう鬼塚さんだって、地獄界隈ではすごい人気じゃない」
「獄卒たちが、こぞってモデルになりたがってるんですってね」
「うん、そして、黒縄地獄が長かったけど、来月から、衆合地獄なんだ。また、新しい出会いがあるから、ワクワクしてる」
「昔ね、って言っても百年前の話なんだけど」
「出た、私たちもとうとう、十年ひと昔どころじゃなくて、百年ひと昔って言うようになったか」
「うん、十王様たちが会議を開いたことがあってね、現世組の官吏から言われて、閻魔様を始めとした冥界の偉い人たちが、現世の情報をアップデートしないと、公平な審理ができないのでは、ということになったんです」
「それ、記憶にあるわ」
と、橘が言った。
「確か、その時よね、石女地獄が廃止されたの」
「差別用語だな、今は」
「そのことだけでも、あの十王会議は、意味があったと思うわ」
「私も、自分の外見がいつまでも十九だから、年月の移り変わりに無頓着になっているみたいです。前に、藤原さんにも、そんなことを偉そうに言っていた自分を思い出しました」
「まあ、ここにいたら、時間の感覚が狂うよね」
それは、共通した思いのようだった。
「百年かあ」
梅子は、昨日の鬼塚たちとの会話を思い出していた。
「私もいつの間にか、百十九歳か。こういうのを『死んだ子の年を数える』って言うのかなあ」
「違うと思うよ」
後ろから笑い声がして、振り向くと藤原だった。
「だって、年を数えて嘆いたりしないでしょう?」
「それもそうですね。じゃあ、『死んだ自分の年を数える』、ですかね」
「そのことわざから離れようよ」
なんとなく二人並んで歩いて、喫茶室にたどり着いた。
「年齢のことなんて普段考えてなさそうだったのに、どうしたの」
センブリ茶を飲みながら、藤原が言う。
「それ、日常的に飲んでいるんですか」
「クセになる味だよね」
「私たち、老化しないはずですけど、味覚が鈍くなりました?」
「平坦な毎日を生きていると、刺激がほしくなるんだよ」
「それは、分かります。この先、千年このままの生活が続くことが考えられないんです。だけど、昨日、もう百年たったと聞いて、あれ、案外気づかずに行けてしまうのでは、と複雑な気分になりました」
「生粋の冥界の人たちには、共感してもらえないだろうね」
「そこに、薄紙一枚の隔たりを感じます。自分の名前を忘れるほど生きるのが想像できなくて」
「それは、時間に対する感覚というより、名前に対する思い入れがないだけじゃないかな」
「思い入れがないから、私がつけた名字を使うのを許してくれたんですね」
「あれは、面白がっているだけだと思うよ。彼らもたまには、目新しい刺激がほしいのかもね」
そんな話をしてから数日後。
喫茶室にはないお茶を飲みたくて、小野家の部屋に行った。
「おじゃましまーす」
能天気な挨拶をしながら入ると、背中を向けて項垂れている小野と、向かいで腕を組んでいる憤怒顔の閻魔様がいた。憤怒顔は、若干困り顔でもある。すこし離れた椅子には、なぜか藤原が座っていた。
この部屋で藤原を見るのは初めてだ。どんな状況?
困って藤原に助けを求めると、
「閻魔様、菅原さんに話してもいいですか」
と、聞いてくれた。
「うむ。我には、現世の人間の感覚が分からぬから、意見を聞かせてくれ」
梅子は、はい、と言って、いつも手習いをしている自分の席に着いた。
「小野の次代が見つかったのだ」
「それは、おめでたいこと、ですか?」
梅子は、小野の項垂れ具合を見て、寿ぐのは違うと思った。
「本来はめでたい。今の状況がめでたくない」
「と言いますと?」
「逮捕されかけた」
「はいぃぃ?」
梅子の口から、素っ頓狂な声が出た。
「何がどうなって、そんなことに?」
閻魔様の説明が続かないので、また藤原に助けを求める。
「小野が、久々に実家に顔を出しに行く途中で、あれが小野家の次代だって感じる子がいたんだって。見えたのは一瞬で、保育園児くらいの子だったらしい」
「なぜ分かるんでしょう」
「直感らしいよ。それで、その直感を頼りに探し続けること一週間。とある保育園の散歩隊の中に、その子を発見した」
「スカウトするには幼過ぎますよね」
「普通はそう考える。だけど、小野は、じいさんに三、四歳の頃から、閻魔庁に遊びに連れてきてもらっていた。だから、いい頃合いだと思ったらしい。後をつけて保育園を特定し、園庭で遊んでいるのを観察すること数日」
「その時点で、怪し過ぎます」
「仏教系の保育園らしくて、ウソをつくと閻魔様に舌を引っこ抜かれるよ、と保育士さんが言うのを、子供らはキャーキャー言って面白がっていたらしい。そして、そこからが信じ難いんだけど、小野はその子がたまたま近くに来た時に、『閻魔様のところに、遊びに行ってみない』と声を掛けたんだってさ」
「no way!」
「なぜ英語」
「『信じられない』では、ビックリ感が足りない気がして」
「まったくね、事案だよ、立派な事案。通報されて、警察が来て、俺が呼ばれて、遠い親戚関係だと説明して、その子の親にも来てもらって、たまたま俺が顔見知りで、・・・何とか帰ってきた」
「じゃあ、本当に、小野家の一族の子だったんですか」
「そうだね、かなり傍系の」
「小野さんの直感は正しかったってことですか」
「それはたぶん、小野にしかわからないことだから、俺にはなんとも言えない」
藤原は、説明を終えてぐったりしている。お疲れ様です。
「こんなことがあったんじゃ、親御さんも警戒するから、もっと大きくなって、じぶんで判断できるようになるまでは、成長を陰ながら見守ることになったんだよ」
「それがいいと思います」
「ただ、成長したからといって、小野がその子に正しいアプローチができるか不安なんだよね」
「確かに」
だって、小野にスカウトの才能がないのは、梅子も身をもって知っている。
多難な前途を思って、みんなでため息をついた。
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