56. 往年の約束
梅子が朝の手習いを終えた頃を見計らって、閻魔様がやってきた。
リクエストのこんぶ茶を飲んで、まったりしていると、
チリーーーン、チリーーーン、
ホットラインのおりんの音がした。
「はい、日本閻魔庁、担当の菅原です」
「東岳大帝だ。閻魔羅闍は、いるか」
とっさにスピーカーフォンにした。
「我だ、どうした」
「いたのか、遊びに行かぬか」
もはや、外遊という名目さえ捨てている。
「良いな。実は我も誘いをかけようと思っておったのよ」
「ほう、珍しいな。なんぞやりたいことでもあるのか」
「うむ、近場ではできぬ」
「ならば、会って話そう。一時間後に」
「場所は三途の川で」
「承知した」
カチリ
「というわけで、菅原の、お前の出番だ、なりきり閻魔ちゃん」
「あー、はいはい」
梅子は、閻魔様のやりたいことがすぐに分かった。三途の川、と言ったことで確定だ。
「東岳大帝様とサーフィンに出かけるのですね。その間、私が閻魔様の依り代となって、分身閻魔様の中の人をやると。かしこまりました」
ずいぶん前のことになるが、船遊びの際、それを提案したのは梅子なのだ。責任を取って、任を果たそう。
閻魔様は、分身を出して、三途の川へ行かせた。
閻魔様は法廷へ、梅子は、小野や同僚に説明するために職場へと向かった。
それぞれが、それぞれの場所で打ち合わせを終えた後、小野の部屋に集合した。閻魔様本体、東岳大帝様、小野、梅子の四人だ。法廷には、閻魔様の分身が座っているらしい。
「行先は、中国海南島の万寧市日月湾。東岳大帝お勧めのサーフィンスポットだ」
「世界のサーフスポット十選に選ばれたこともあるぞ」
「そんなメジャーなところに、冥界の王たちが行って、大丈夫なんでしょうか」
小野が心配そうに言うが、
「儂らがそこで何かをするわけではない。一般人と同じく、波に乗って楽しむだけだ」
と、取り合わない。それより梅子は、
「閻魔様は、冥界から現世に出てしまったら、体に負担が大きいのではありませんか?」
こちらの方が気がかりだ。
「なに、心配はいらぬ。『板子一枚下は地獄』ということわざを知っておるか。船乗りは、船底の板一枚下は深い海という、死と隣り合わせの仕事だ。本来それは危険な状況なのだろう。
だが、我らにとってはまさにそこが、地獄につながる安全地帯なのだ。どこの海も、三途の川や奈河と、どこかしらでつながっておる。だからこそ、かつて小野篁が我が冥界に流れ着いたのだ」
「つまり、陸地と違って、海の水に接していれば、閻魔様は無事だということですね」
「いかにも」
「それなら安心です。どうぞ存分に楽しんできてください」
「ときに、何日ほどのご予定ですか」
小野が聞いた。
「うむ、我の身外身の法の実力から考えれば、最大二週間であろうか」
「却下です。司命さんと司録さんの我慢の限界を考えれば、やはり五日まででしょう
ここは譲れない。司命さんたちのメンタルを守るためだ。閻魔様もそれは分かっていたようで、ごねることもなく引き下がった。
「では、さっそく行くか」
と、逸る閻魔様を押しとどめて、東岳大帝様にお茶をお出しする。冥界の国賓を粗雑に扱うわけにいかないではないか。
それから閻魔様は、分身を一度戻し、司命、司録も見守る中、先ほどより丁寧に新しい分身を作り出し、依り代としての梅子を包み込んだ。
〔私はまた、小野さんの部屋で、ウォーターベッド睡眠ですね〕
「では行くぞ、閻魔」
「後は任せた、司命、司録」
「「かしこまりました」」
忠実な声が重なった。
こうしていつものメンバーに見送られ、閻魔様と東岳大帝様は、一路、万寧市日月湾へと旅立った。
前回から十年近くたっていたが、中の人である梅子の閻魔様の所作も問題なく、司命と司録もさすがの落ち着きで、五日間を無事に乗り切った。
ところで、帰還した閻魔様は、ずぶ濡れだった。
「ど、どうされました、閻魔様」
慌てる小野を尻目に、閻魔様は、
「いや、なに、本当に海を漂っていたら三途の川にたどり着くのか、試してみただけだ。ちゃんと着いたぞ。奪衣婆も驚いておったな」
と、事もなげに言った。
「額から血が出ているようですが」
と、司命。
「川に入ってからは、岩場もあったからな」
「着物も、あちこちボロボロですね」
と、司録。
「滝を落ちたりもしたな」
「これ、他国訪問のために新調したものでしたのに・・・」
司命たちのこめかみがピクピクしている。
閻魔様が無事だった安堵と、乗り切った誇らしさと、閻魔様の無鉄砲さに、情緒が渦巻いているのだろう。梅子は、少し同情する。
その梅子は、依り代の役目を終えて、やっと自分を取り戻した。
早く寮の食堂のご飯が食べたい。鬼塚たちと、たくさんしゃべりたい。いそいそと柊寮に向かうのであった。
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