50. できる女の憂鬱
橘理子は、迷っていた。
仕事は極めて順調である。五官王は、穏やかで融通が利いて、おまけに仕事も早くて、すこぶる良い上司だ。効率化もすべきところは済ませ、流れに乗って淀みがない。同僚たちも理解があるし、チームのリーダーもそれぞれ自覚を持って粛々と仕事をこなしている。橘の秘書的な仕事も、後輩をちゃんと育てたので、万一橘が急な仕事で抜けても、彼女に任せれば大丈夫だ。よほどの緊急事態以外は、何があっても困らないだけの体制ができ上がった。
となると、橘は、いなくても困らない。かみ合った歯車からはじき出されても、問題なく動くのなら、自分という歯車はどこに戻ればいいのだろう。
理想的な状況を作り上げたら、自分が要らなくなってしまった。そんなことって、ある?
自縄自縛とは、このことか。
悶々としながら寮の食堂に行くと、
「だから、いくら可愛くてもスカートはありえない」
「でも、シルエットはぶかっとしたスカートの方が可愛いですよ」
「上衣とのつながりに無理がくる。却下だ」
「なんでそう頑ななんですか。じゃあ、本人の希望を聞いたらどうですか。案外、動きやすいし可愛いし、気に入ってくれるかもしれませんよ」
菅原と鬼塚が、珍しく言い合いをしていた。
「どうしたの?」
「あ、橘さん、聞いてくださいよ。この間、鬼塚さんが奪衣婆さんを描いたじゃないですか。あのデフォルメした絵がすっごく可愛かったので、衣装もバリエーションを持たせたらっていう話になったんですけど、鬼塚さんが絶対にスカートはダメだっていうんです」
「奪衣婆さんの古風な威厳と、豪快な力強さは、スカートで台無しだ」
「二頭身にした時点で威厳なんて吹っ飛んでますよ。ねえ、橘さんは、どう思います?」
橘は、脱力した。この目の前の人たちは、閻魔庁の歯車だとしても、自由にコロコロ転がっているように見える。
自分も無理やり中に納まるのではなく、周りをコロコロ転がってみようか。そんなふうに思えた。
「橘さんの考えは、どう? 私はさ、奪衣婆さんらしさが消えるようなデフォルメは、いくら可愛くたって認めたくないんだ」
「ぶかっとしたスカートって、ハイジみたいの?」
「そう、それです」
「下だけハイジのスカートに変えたら確かに変だけど、全体のバランスを取るのは、鬼塚さんの腕の見せ所じゃないかしら」
「ううう、私の奪衣婆さんが」
「鬼塚さんの理想の奪衣婆さんが、奪衣婆さん本人の理想とは限らないでしょう」
「そうですよ。奪衣婆さんだって、少女時代があったんですよ。・・・、あれ? あったのかな? 冥界の人たちって、最初からあれ?」
「そうか! 今の顔のままじゃなくていいのか。奪衣婆さんの雰囲気を残したまま、二頭身の奪衣婆さん幼児バージョンを妄想してみる。奪衣婆さんに見せてダメ出しされたら諦めるけど、可愛く描いてみる。じゃあ、私、もう行くね」
「描けたら、見せてね」
「うん、たくさん褒めてくれるならいいよ。じゃあね」
そう言い残して、鬼塚はスキップせんばかりに食堂を出ていった。
「今日はツナマヨおにぎりですよ。ここって、品数は少ないですけど、おにぎりの具は毎日変えてくれますよね」
「お味噌汁も、具の野菜が変わるから、かろうじて四季を忘れずにいられるわね」
「さりげない心づかいだとしたら嬉しいですね」
「心づかいだと気づけるのは、たぶんこちらの心にも余裕があるんでしょうね」
橘の言葉に、梅子は、はっとした。
「私、死んでからの方が、ちゃんと生きてる気がします」
「私もそうね。でも、じつはさっき私、久々にどつぼに嵌ってたの」
「え、橘さんでも、そんなことあるんですか」
「あるわよ。だからここにいるんじゃない」
「そうか、そうでした」
「ずっと同じ仕事を突き詰めるのもいいけど、おもしろそうだと思ったことに手を出してみるのもいいなって、さっき鬼塚さん見て思ったわ」
翌日、橘は五官王と相談して、秘書の業務を後輩に任せ、各庁舎の業務効率化に関するコンサルタント業を始めた。
「失敗して食いっぱぐれる心配もないし、チャレンジしてみなくちゃ損ね。これから打ち合わせなの」
橘は、喫茶室で会った梅子にそう言って、颯爽と去っていった。
梅子は、背筋の伸びた橘の後ろ姿に、しばし見とれてしまったのだった。
読んでいただき、ありがとうございました。




