5. ものは試し
二週間が過ぎた。
隅田川にかかる前とは違う橋の上で、菅原梅子は川面をのぞき込んでいた。
小野に見つけてほしいけれど、こんな自分を見てほしくない気持ちもあって、別の橋を選んだ。
あれから梅子の状況は変わっていなかった。業種も職種も手当たり次第で、最近聞かれるのは『なぜ今に至るまで内定が取れなかったと思いますか』とか、『自分に欠けているのは何だと思いますか』というネガティブ全開なものだ。まあ、自分に魅力と実力がなかったのでしょうね、と思っている。
「どうしたの、たそがれちゃって」
後ろから声を掛けられて、梅子は思わず振り返った。
声で違うとわかっていたが、小野ではなかったことに落胆した。
男は軽薄そうなイケメンで、長めの黒髪を後ろで結んでいる。スーツを着ているが、普通の会社員には見えない。
「菅原梅子さんでしょう、当たり?」
名前を知られていることに戸惑って、返事に迷っていると、
「ちょっと、藤原さん、ぬけがけは無しです。菅原さんは、僕の担当です」
という聞き慣れた声がした。
「すみません、菅原さん、遅くなりました」
「いえ、私が橋を変えたので」
「ちぇっ、仕方ないな。今度はうまくやれよ。梅子ちゃん、冥界で待ってるからね」
藤原と呼ばれた男は、小野の頭をぐりぐり撫でまわしながらそう言って、あっさりと去っていった。
「誰ですか、あの人」
「うーん、閻魔庁での同僚というか、現世での遠縁というか、色々とつながりのある人」
「ふーん」
梅子は、どこまで話を合わせればいいのか分からなかった。
「そうだ、これ。この前渡しそびれたやつ」
小野が両手で差し出したのは、名刺だった。
思わず梅子も、両手でうやうやしく受け取って眺めた。
『閻魔庁裁判補佐/現世リクルーター 小野 崇』
「おお、・・・」
「おお?」
「いや、ほかに言葉が浮かばなくて」
「これで少しは信じてくれる?」
「さっきの人も、冥界で待ってるって言ってましたね」
「そうそう、つまり?」
「小野さん一人の嘘ではなくて」
「うん」
「名刺まであるほどちゃんとした」
「うん、うん」
「大がかりな詐欺ってことで合ってる?」
小野が力なく、へたりこんだ。
「違うって、ほんとに冥界で人材募集してるの」
「冥界ってつまり、闇バイトとかブラック企業のことでしょう? 小野さんも騙されて駒になってるんじゃないの? 大丈夫?」
「大丈夫だから、一度見に来てください」
「いや、帰してもらえなそうで怖いよ」
小野はしゃがんだまま唸りだした。
「じゃあ、こうしよう。僕の実家の住所を教えるから、そこに来てもらうのはどう? ちゃんとした旧家だし、近所の人に僕のこと聞いてみてもいいですよ。ちなみに、さっきの藤原さんちは、もっとすごいから。ちんけな詐欺なんてするような家じゃないです。
そうして詐欺ではないと納得したら、東山の井戸から冥界に行ってみませんか。話だけじゃ埒が明かなそうだから、この前交渉しておきました。三回までは死なずに職場見学できるようにって。生きて現世に戻れるから安心して!
ちなみに、これが現世での僕の名刺です。この住所に来てくださいね」
『司法書士 小野 崇』
梅子は思わず二度見した。
「司法書士なの?! 詐称?」
「失礼な。こちらの世では優秀なんですよ、先祖代々ね」
「そこで事務員として雇ってもらえませんか」
「僕は就労時間の八割がた冥界の仕事をしてますから、この世での仕事の斡旋はできないです」
「なあんだ」
「それより、いつにします? 今日これからでもいいですよ」
「待って、せめて一晩考えさせて」
「いいでしょう。では僕は先に行って、京都の自宅で待っていますね」
こうして梅子は、京都の小野家を訪ねることになった。
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