41. 視察(1) 三途の川のほとりで
とうとう、この時がやってきた。
閻魔様の依り代として、梅子の身の内に閻魔様を宿しての初の視察は、三途の川である。
庁舎を出る前に、小野からもう一度、注意事項を聞かされた。
「いいですか、菅原さん、閻魔庁に入庁した新人の研修の一環として、見学に訪れたという体でいきますからね。三途の川の有りようだとか、昔と変わったところ、変えた方が良いところなど質問してきてください。それから、官吏たちが不満に思っていることなど、さりげなく聞き出してください。さりげなく、というのは菅原さんには難しいかもしれませんから、なるべく、で構いません」
最後に若干失礼なことを言われた気がするが、梅子は気にしない。なにしろ、最初こそ乗り気ではなかったものの、いざ出発となると、学校の社会科見学よろしく、朝からそわそわと落ち着きなく待っていたのだ。
小野の部屋で閻魔様が分身を作り出し、梅子の体に入ってきた。
「どうです、菅原さん、違和感はありませんか」
「はい、大丈夫です」
「中の閻魔様はいかがですか」
「うむ、自然になじんで楽だな」
「それは何よりです」
「あの、体の動きを閻魔様に乗っ取られることはないんですよね?」
心配なので聞いておく。
「基本、動きは百パーセント、菅原さんです。三途の川付近までの転移は、閻魔様にお任せします。中にいる閻魔様との会話は、念話でお願いします。また、その場で閻魔様が直接伝えた方が良いことがある場合、閻魔様の指示に従ってください」
「はい」
「菅原さんにとっては、新人の研修ですからね、気負わず行ってきてください。大事なところは閻魔様もしっかり見てくださるはずですから」
「はい、行ってきます」
それから小野は、庁舎の出口まで閻魔様の依り代となった菅原を見送ってくれた。
「!!!」
気づいたら、目の前を大きな川が流れていた。
「突然過ぎる!」
『飛ぶぞ、とかなんか言ってからにしてくださいよ』
梅子は念話で文句を言う。
『そこにいるのが奪衣婆だ。話を聞け』
閻魔様こそ人の話を聞いてほしいと梅子は思ったが、黙っていた。
「あの、すみません、奪衣婆さんですよね」
目の前で、死者から死に装束を容赦なく剥ぎ取っているお婆さんに話しかけた。
お婆さんは、剥ぎ取った着物を、隣にいたお爺さんに放り渡した。こちらが懸衣翁だろう。お爺さんは受け取った着物を、ぽいと無造作に傍らの木に投げた。
「よく撓ることよ。お前は向こうにいる男の前から川に入れ」
「ええっ、流れが激しそうですよ」
「だからだ。さっさと行け」
梅子は、改めて奪衣婆に話しかけた。
「奪衣婆さん、懸衣翁さん、お仕事中恐れ入ります。閻魔庁の新人研修で参りました、菅原梅子と申します」
「ああ、聞いてるよ。しばらくそこで見学してな。これからの時間は混雑するから、そいつらみんな渡らせたら話をしようじゃないか」
奪衣婆の言葉通り、白い着物の集団が、ぞろりぞろりと足取りも重くやって来た。
奪衣婆のはだけた胸元には肋骨が浮いており、どこにそんな力があるのか、次々と死者の着物を剥いでゆく。奪衣婆は、懸衣翁が衣領樹という木に放り投げた着物を見ては、
「お前はあちらの大きな船に乗れ」
「お前は向こうの男のもとに行って歩いて渡れ」
「お前はここに来る小さな船に乗れ。揺れるが沈みはせぬから、しっかり捕まっておれよ」
などと、テンポよく死者を三途の川に送り出していく。
中には、大きな船を指定されたものの、泳ぎは得意だからと乗船を拒否する者もいる。奪衣婆はそれを止めもせず、
「ならば、大きな船の出る辺りから泳ぎだせ。流れが緩やかで安全だぞ」
と、親切な声掛けをしている。
しばらくすると、大きな船はゆっくりと岸を離れ、川の向こう側を目指して静かに進んでいった。
小さ目の船は、もう何艘目になるのか、船頭が掉さして、グラグラと揺れながら進んでいく。
歩いて渡るよう言われた者たちは、歩くにはあまりに深く急な流れに飲み込まれ、波間に浮き沈みしながら流されていった。
「やれやれ、一段落だな。娘っこ、こっちに来い」
奪衣婆が、梅子を呼んだ。
「お疲れ様です。一度にこんなに何人もまとまって来るのですね」
「みんな初めてのことだから、心細いのだろう」
「さて、見ていてどうだ。想像していた三途の川と違いはあるか」
「はい、昔聞いた話だと、六文銭が船の渡し賃で、みんな船に乗せてもらえるものだと思っていました。でも、お金払ってる様子はありませんでしたね」
「六文銭か、あれはそもそも川を渡る通行料であったのよ。着物の重さで罪を量り、重い罪を犯した者は、流れの速い急な瀬を渡る。軽い罪なら浅瀬を楽に渡る。善人は橋を渡ったものだ。
だが、いつからか、橋ではなく船を使うようになった。そして六文銭は船賃というわけだ。大罪人だけは、変わらず波にもまれながら、自力で向こう岸まで行ってもらうがな」
「六文銭はどうなりました?」
「今ではそんな銭は使っておらんだろう。紙に印刷されたものを棺にいれるらしいが、ここに来るまでの間に失われてしまうようだ。まあ、それはかまわんのだ。冥界に金があっても使う当てもないからな」
「ほかに昔と変わったことは、何かありますか」
「死者が増えたから、船の数も相当増やしたな。最近では、現世から冥界に就職した奴が、おかしな船を作り出したぞ。どうせ幾つも作るなら、色々あった方が楽しいだろうと言い出してな、ボートだとか、ヨットだとか、筏や、ハクチョウの足こぎボートなる奇っ怪な物も作って、これが結構人気があるのだ。それらを選べるのは、善人だけだがな」
「それは無事に向こう岸に着くのですか」
「善人の安全は確保されているから、どれに乗っても大丈夫だ」
妙な進化をとげている三途の川の渡り方であった。
「ところで質問なのですが、奪衣婆さんと懸衣翁さんは、休みがありますか」
「いや、ないな。三百六十五日、二十四時間体制だ」
「大変じゃありませんか」
「もうずっとのことだからな、息をするくらい普通のことだ。ただな、たまに獄卒どもが休みだからと、三途の川に泳ぎに来たりするようになった。それを見ると、ワシにも、休みがあれば何をしようかと考えるのは楽しいものだな」
「じゃあ、なんとか休みを取れる方法がないか閻魔様に相談してみます」
「閻魔に? 無駄だろう」
奪衣婆は、諦めたように笑った。
「あやつこそ休むことを知らぬ。ワシのささやかな希望など歯牙にもかけぬわ」
「それがですね、最近、東岳大帝様と、あ、以前は泰山府君様と言っていたと思うんですけど、その方と話をしたことで、考えを改められたんですよ。休憩を取るようになりました」
「なんと、あの仕事中毒がか」
立膝で座っていた奪衣婆が、驚いて腰を浮かした。
『失礼なヤツだな』
梅子の中で閻魔様がご立腹である。
不意に、するんと梅子の中から何かが抜けた。
「閻魔様!」
梅子と奪衣婆の間に、閻魔様の分身が立っていた。
「どうした、急に転移してきて」
奪衣婆は、閻魔様が転移で現れたものと思ってくれた。
「久しぶりだな、奪衣婆に懸衣翁。息災か」
「はい、閻魔様もお変わりなく」
懸衣翁は、如才なく答えた。
「ワシも休みがほしいぞ」
奪衣婆は挨拶もせず要求した。
「相分かった、そのうち交代要員を送ろう」
閻魔様は軽く請け負った。
「ところで閻魔様、どうかなさいましたか?」
姿を現すなど、梅子は聞いていない。事前に一言くらいほしいものだ。
「おもしろいことを小耳に挟んだのでな」
「相変わらずの地獄耳か。して、何を聞いた」
「船の種類が色々あるようだな」
「ああ、男の子ってやつは、昔から乗り物が好きだな」
閻魔様を、男の子呼ばわりである。
「そっちの船蔵に、今使ってない船があるぞ。乗ってみるか」
「いいのか!」
閻魔様は弾むように船蔵に向かった。ほったらかしにされた梅子は、急いで後を追った。うっかり閻魔様が船に夢中になって、梅子を置いて帰ってしまったら、梅子には閻魔庁舎に戻るすべがない。依り代の存在を忘れているのではないか。
閻魔様は、まずボートを試し、ヨットを操り、筏を器用に乗りこなしてみせた。座り仕事ばかりなのに、運動神経は良いようだ。川を何度か往復して楽しそうである。
途中ですれ違った本来の乗船客である死者たちも、さぞ驚いたことだろう。
「これは、どういうものだ?」
閻魔様が、ハクチョウの足こぎボートを前にして戸惑っている。自転車や車に乗ったことがなければ、ハンドルや足元のペダルの意味が分からないかもしれない。
梅子はさっさと乗り込んで、
「こちらにどうぞ」
と、隣の席に促した。
閻魔様はグラつく船内に窮屈そうに乗り込んで、
「それで?」
「こうします」
梅子は足を動かして、スワンボートを出港させた。ハンドルを切ると向きが変わることに気づいた閻魔様が、
「我がやる」
と、ハンドルを奪った。体が大きいので、ペダルをこぐのが窮屈そうだったが、器用にもすぐに慣れて、三途の川をすいすいと進んだ。航路を少し変えると、泳いでいる死者とぶつかりそうになって焦った。
スワンボートも一往復して満足した閻魔様は、やっと船蔵から出た。
奪衣婆にお礼を言って、閻魔様と梅子は閻魔庁に戻った。
「閻魔様、楽しかったですか」
「うむ、分身なら仕事を気にせずに、安心して視察ができるな」
「私はこれから視察の報告書を書きます。小野さんに提出しますが、細大漏らさず書いた方がいいですか?」
「どういう意味だ」
「船の種類と、閻魔様の乗船の様子です」
「種類だけでいい」
「承知しました」
こうして冥界最初の視察は無事に終わった。
同日、奪衣婆に用があってやってきたケンタは、スワンボートに乗っている閻魔様と梅子を偶然目撃し、疑いを確信に変えたのだった。ただ、温かく見守ると決めたので、誰にも言わなかった。
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