39. ひとり目の十王様
「そこのお前、閻魔のところの菅原だろう」
朝、職場に向かう廊下の途中で、知らない男に問いかけられた。
閻魔様のような冠を被っているから、十王様のいずれかだろう。
失礼があってはならないので、はい、とだけ返事をしておく。
「儂が誰か分からぬか」
「畏れながら、若輩につき、いまだ十王様とのお目通りもかなわぬ身ゆえ、存じ上げませぬ。お許しくださいませ」
精いっぱいの謙遜だ。だって誰が誰だかわからないもの、万が一怒らせたら怖い。そんな梅子の静かな狼狽を気にも留めず、その十王様(仮)は鷹揚に笑って言った。
「いや、良い良い。儂は第四王の五官だ。閻魔の一つ前を受け持っている」
「あ、橘さんのボスさんですね」
「急に砕けたな」
「橘さんからお話をお聞きしていますので、失礼ながら、勝手に親近感を抱いています」
「そうか、そうか。彼女は優秀だからな。おかげで儂も、ずいぶん助けられているのだ」
「今日はこちらでお仕事ですか?」
「いや、橘のお陰で余裕ができたからな、今日は喫茶室なるものの見学に来たのだ。そこで茶を飲みながら、休憩と情報交換をしていると、橘から聞いた。それを見に来たのだ。よかったら案内してくれぬか」
「あ、じゃあ、職場にひと言、報告してきます」
梅子は、転移装置で飛んで、またすぐ戻ってきた。
「お待たせしました、行きましょう」
「速いな」
二人は連れ立って喫茶室に向かった。
「それにしても五官様、よく私が菅原だと分かりましたね」
梅子がそう言うと、五官王はふっと、息を吐いた。
「いや、お前、自覚がないのか。閻魔庁でそんなスーツなるものを着ているのは、うちの秘書と菅原だけだぞ」
「ああ、そう言えばそうでした」
「そういうところは無頓着なのだな」
「あ、こちらです」
廊下の左手の部屋が喫茶室だ。
「さあ、中へどうぞ」
梅子は五官王を喫茶室へと促した。
「え、あれ、五官様か」
「なんで菅原と一緒なんだ」
梅子は、室内をざっと説明して、キッチンの中に入った。
「ここは専任の係はいません。各自好きなお茶を好きなように淹れて飲んでいます。お湯は獄卒が随時補充してくれます。お茶のラインナップは豊富ですよ。色々試すのも楽しいようです」
「中には面倒がる者もいよう」
「そのために、こちらの鉄瓶ポットには、麦茶とセンブリ茶が、注げば飲めるように作り置きしてあります」
「センブリ茶か、橘の話の中に出てきたな」
「五官様、お飲みになります?」
「お勧めとあらば、いただこう」
「いえ、特にお勧めというわけではありませんが、一部の者の間で流行っています」
「儂も流行りには乗りたい質だ」
「チャレンジャーですねえ。橘さんは、五官様が柔軟に案を取り入れてくださるので助かると言っていました」
「ほうほう、そうかそうか」
五官王はホクホク顔で湯飲みを受け取って、一気にセンブリ茶を呷った。
ぶふぉおおお! 噴水のように真上に吹いた。
「何だ、これは」
五官王は顔を梅干しみたいにして、梅子を睨んだ。
「だから、お勧めしないって言ったのに。これが流行りのセンブリ茶ですよ」
「なぜ、これが流行るのだ」
「後味は悪くないでしょう?」
「む、そう言えばそうか」
「これは閻魔様と司命さん、司録さんが、毎日仕事終わりに飲んでいるので、閻魔様ファンの方たちが、あやかって飲んでいるのです。推し活、というものです」
「分からんな。オシカツとやらも理解不能だ。だが、雰囲気は楽しそうだな」
「ここで、他部署の方と顔を繋ぐことで、仕事の連携がスムーズにいくこともあると聞きます。五官様、次はお好みのお茶を淹れますよ。こちらに来て選んでください」
それから梅子と五官王は、甘めの紅茶を飲みながら、傍目には孫と爺さんのような気軽な調子で話をした。五官王は、うちの庁舎でも取り入れてみるわ、と言って、満足そうに帰っていった。
梅子の職場では、朝っぱらから梅子が転移で飛んできて、
「五官様とお茶してきます」
とだけ言って、消えていった。
「え?」「なんで五官様と?」「お茶するほど親しいのか?」
しばらくすると、喫茶室に行っていた江古田が帰ってきて、
「菅原が、五官様にセンブリ茶を飲ませて、噴出させていたぞ」
と、報告した。
「え?」「なんでセンブリ茶?」「普通、勧めるか?」
気になって見に行った小田が帰ってきて、二人は仲良く紅茶を飲んで会話をしていたと報告した。
「五官様の庁舎でも、喫茶室を作ることにしたらしいぞ」
「働き方改革の後押しかな」
「分からんところが菅原だな」
「まあな」
同僚たちは、そんな風に納得したのだった。
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