38. 外遊こぼれ話
「ほう、あちらにも三途の川があるのですね」
司命が、閻魔様の隣ですかさず相槌を打つ。
「川幅はどれほどありましょうか。あちらは、何かにつけ規模が大きいと聞きますが」
司録も興味津々だ。
喫茶室のいちばん奥のテーブルを囲んで、閻魔様と司命、司録が麦茶を片手に語らっている。その周りでは、会話を聞こうと官吏たちが聞き耳を立てている。
閻魔様が喫茶室に訪れることなどめったにないので、たまたま居合わせた者たちは、閻魔様の仕事以外の話が聞けるとあって大興奮だ。
とは言え、邪魔をしてはいけないので、決して興奮を表に出さず、静かに茶を飲むふりをしている。
遅れて入ってきた梅子も、少し離れた席で聞いている。
『もっと前から聞きたかった~』と、野次馬心満載である。
「あれは川ではなく河だな。名前も三途の川ではなく、奈河という。川幅は五里(約20km)ほどもあろうか、向こう岸が見えぬ。悪人が渡るところは、流れが矢のように速く、大山のような浪が襲い掛かる。水の中には毒蛇や大蛇がいるという苛烈さだ。上流からは大岩が流れてくるともいうぞ」
「こちらの三途の川は、まだ生ぬるいでしょうか」
「正式な裁きもせずに、それほどの苦痛を与えることは憚られるな」
「閻魔様のおっしゃる通りです」
「かの国では、奈河橋のたもとに孟婆という忘却の女神がいてな、冥界を出る時は、その神の作った孟婆湯を飲んで、前世や冥界での出来事の記憶を一切失うという」
「それも興味深いですな」
話は、なおも続く。
梅子には、司命も司録も、それを取り囲む官吏たちも、皆、ファンタジー話を聞いて目をキラキラさせる子供たちのように見えた。梅子にとっては、ここも十分すぎるほどのファンタジー世界なのだが。
「時に、かの国の閻魔様とは、お会いになりましたか?」
と、司録が問うた。
『え? 中国の冥界の王様って、東岳大帝様じゃないの?』 離れた席で、梅子は疑問に思う。
「うむ、あやつとは実に二千年ぶりになるか。寸分変わらぬ壮健な姿であったぞ」
「何よりでございます」
「あちらの冥界は、かの方と東岳大帝様の二人体制だと伺っております」
「うむ、二人とも冥界の王であるな」
「それにしては、東岳大帝様は各地を飛び回ってばかりいるようなことを仰っていましたから、あちらの閻魔様の負担が大きそうですね」
「十王たちと協力して効率的にやっているのであろう」
「しかし、かの国の人口は、現在十四億と聞きます。すこしばかりの効率化ではとても追いつかないように思いますが」
「そうさな。いい具合に手を抜くことも必要なのだろうな。我も、状況に応じて、簡略化できるところは
すべきであると学んだわ」
『 ”いい具合に手を抜く” とは、さすが中国、冥界もそうなんだ』と、感心する梅子であった。
こうして、閻魔様を囲むファンサービスのようなひと時を終え、三々五々、うきうきしながら次の仕事に向かうのであった。
梅子は翌朝、手習いの時に現れた閻魔様に気になっていたことを聞いてみた。
「閻魔様と東岳大帝様は、どうやってお互いの冥界を行き来しているのですか。東岳大帝様は、ホットラインで連絡後、一時間もかからずにお見えになりました。冥界が地下でつながっているのですか? それでも距離はありますよね」
「なに、簡単なことよ」
閻魔様は、梅子の淹れたあずき茶を飲みながら教えてくれた。
「まず、冥界の端までは転移で飛ぶ。そこから亜空間を繋いで出た先が、向こうの冥界の端だ。そして転移で東岳大帝のところに飛ぶ。それだけだ」
「ここで亜空間という単語を聞くとは思いませんでした。ちなみに、それは閻魔様以外の方もできますか」
「いや、冥界の王レベルでないと無理だろうな。世界の理を勝手にいじられかねないからな」
「・・・」
「どうした?」
「いえ、分かってはいたというか、本当には分かっていなかったというか、閻魔様って、すごいお方だったんですね。すごいって言葉が陳腐すぎて追いついていないですけど」
梅子は神妙に答えた。
「ははは、だがそれは、同時にそれだけの責任を伴うことでもある」
そう言い切った閻魔様に、梅子は、崇高なものを感じた。そして、閻魔様に傾倒する小野たちの気持ちが少し分かった気がした。さすがに司命たちほどの熱はまだないが。
それからしばらくの間、再び閻魔様が来ないかと期待して、喫茶室の利用者が増えたのだった。
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