36. 閻魔様ロス
閻魔様が外遊に出かけて、三日目までは、梅子には何の不安もなかった。
分身の閻魔様と、中身の梅子の連携も上々で、何ひとつ過不足ない閻魔様ができていると思っていた。声も、動きも、判断も、すべて完璧に、いつも通りの閻魔様だ。
だのに、四日目になって、何か物足りない気がした。どこがと聞かれても困る。本当にいつも通りか自信がない。ふとした仕草に、不安な梅子が出る。胸の前で両手を握りしめそうになって、慌てて笏で左手を叩いた。
「何をしておるのだ」
分身の閻魔様に呆れられた。
〔いや、ちょっと、自分に喝を入れてました〕
「痛いのは我だが」
そう言う閻魔様もトーンが下がり気味だった。
なんとなくの違和感を抱えて、外遊最終日の五日目になった。
「ただいまー、あれ、また菅原さん、いねーの?」
ケンタが五官王から預かってきた閻魔帳を抱えて部屋に入ってきた。
「菅原は今、小野の部屋で仕事をしてもらっている」
と、石田が答えた。
「閻魔帳の仕分けの仕事は俺がやるから」
と、相田がフォローする。
「ふーん、なんか、変っすね」
ケンタは周りを見渡した。
「閻魔様と何かありました?」
ケンタの勘は時々侮れない。宇多田がピクリと反応してしまった。
「こないだから、何か隠してますよね。やっぱり何かあったっしょ」
「どうしてそう思うんだ?」
石田が問う。
「だって、閻魔様もおかしいっすよ。司命さんに届け物があって行ったんで、ちら見なんすけど、なーんかこう、威厳が薄まってるつーか、悩んでるっつーか」
「そんな風に見えたか」
「オレ、ピンときましたよ」
「何がだ」
「あれ、恋わずらいでしょ」
一瞬の沈黙の後、爆笑と悲鳴と怨嗟の怒鳴り声が渦巻いた。
「え? 何すか?」
収拾がつかなくなった部屋の真ん中で、ケンタは戸惑った。
「ケンタ、それだけはありえない」
相田が脱力して言った。
「いや、あれだけ閻魔様をストーカーしてたじゃないっすか。それをいきなり止めるのも変だし、ここにいないのも、閻魔様に会いたくないからっしょ」
「お前の目にはそう見えるのか」
石田が力なく聞いた。
「閻魔様も閻魔様っすよ。うっとうしそうにしてたくせに、姿が見えなくなると落ち込むなんて。青少年かっつーの」
「お、お前・・・」
「まあ、いいじゃないっすか。菅原さんだって、いつまでも隠れてはいられないでしょ。みんなで温かく見守るのがいいっすよ」
皆、当惑したが、事実を明かすわけにもいかず、かといってでっち上げられた恋愛沙汰に加担するわけにもいかず、
「まあ、なんだ、ケンタ、このことはよそで話して回るんじゃないぞ」
と、釘を刺すにとどめた。
「分かってますって。それにしても、閻魔様いい年っすよね? 六十歳くらいの見た目ですけど、本当はいくつなんだろ。人種?も違うのに、菅原さん、健気だよなあ」
感心しながら去っていくケンタに、誰一人うまい訂正の仕方を思いつかなかった。
「閻魔様って、六十どころか、億を超えてるよな」
石田の呟きは、周りの同僚の耳を、ただ素通りしていった。
その頃、法廷で梅子と小野、司命と司録は、次の亡者がやってくるまで、束の間の休憩をとっていた。
〔司命さんと司録さん、今日は元気がないですね。どうかしましたか〕
極々小声で、梅子が話しかけた。二人は、あからさまに覇気がなかった。
〔閻魔様の声もいつもほど勢いがないように聞こえますけど、大丈夫ですか〕
「大事ない」
閻魔様も、常にも増して無口だ。
「中にいる菅原さんは、何か違いを感じますか?」
と、小野も小声で梅子に聞いた。
〔閻魔様は、少し張りがなくなった気がします。眠るときに、初日に感じたウォーターベッド感がヘタってきたというか。寝心地が、やや悪いです。閻魔様の身外身の法が、解ける頃かもしれません。閻魔様のご帰還まで持てばいいですけど。審理の途中で分身の閻魔様がいきなり消えて私が露出したら、目も当てられませんよね〕
「何! 裁きの最中にそんなことが起こってはならん」
「閻魔様の沽券に関わるぞ」
司命たちがいきり立った。
「我の寝具としての価値で判断するのも、たいがい不敬だがな。まあ、我が消えそうな時は己で分かる。早めに告げるから安心しておれ」
そんなこんなで、閻魔様(本体)には、なるべく早いご帰還を願うことになった。
分身の向こうの閻魔様本体に話しかける司命の声は、少し涙ぐんでいて、司録もつられて鼻声になっていた。とにかく早くおかえり願いたい書記官たちの気持ちが通じたのか、閻魔様は、
【心配せずとも、今回は遅れぬ。酉の刻には帰り着こう。それまで頼んだぞ】
と答え、たちまち書記官コンビはやる気を漲らせた。
小野からもらった梅子の時計が十八時を回った頃、待望の閻魔様が姿を現し、部下一同、安堵のため息をついたのだった。
梅子も着ぐるみから解放され、五日ぶりに柊寮の食堂に行った。
さっそく鬼塚と橘に捕まり、急き立てられるように夕食を食べ終え、鬼塚の部屋に連行された。食後の茶を飲みながら、二人からこの五日間のことを根掘り葉掘り聞かれた。思い出すままに詳細を語り、梅子は、法廷で座っている以上に疲れることになった。
疲れはしたが、梅子は五日間ろくに口もきけなかったので、知らないうちにストレスが溜まっていたらしく、ひとしきり話を終えた後は、思いの外にすっきりしていた。
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