34. 閻魔様の中の人
身外身の法は仙人の秘術であり、東岳大帝様がどうやって会得したのかは分からない。ただ、そう簡単に習得できるものではないはずだ。時間もそれなりにかかる。東岳大帝様は、方法とコツを閻魔様に手早く伝授した後、あっさりと帰っていった。
帰りがけに、
「マスターしたら連絡しろよ、閻魔。ああ、それから、娘に一つ注意事項がある。黙して座しているだけで良いと言ったが、不用意に動くでないぞ。閻魔の意識は裁判の内容に向いているから、分身の体にまでは配慮が及ばぬと思え。娘のしぐさが閻魔に現れる。中で髪をかき上げれば、分身閻魔も髪をかき上げるだろう。だから努めて体を動かさず、真面目にじっとしておれ」
そう言って去っていった。
閻魔庁滞在、わずか二時間であった。
「騙された気がする」
梅子は東岳大帝様が帰った後、ぶつぶつと文句を言った。納得して引き受けたのだが、もっと単純なものだと思っていた。閻魔様の着ぐるみの中の人として、ぼーっと時間を過ごしていれば良いのだと。これではうっかり居眠りするわけにも、眠さに目をこすったりするわけにもいかないではないか。じっとしているのは結構つらいぞ。いや、動きが閻魔様らしくあれば良いのか。鷹揚に、もったいぶって、上から見下ろす感じで、偉そうに。よし、これだ。梅子の決意が固まった。
「菅原よ、何をしておる」
「お気になさらず」
「・・・」
「・・・」
「気になるのだが」
「閻魔様の仕草を真似ようと観察中です」
「気になるに決まっておろう!」
あれから閻魔様は、わずかな時間を割いて、身外身の法の習得に余念がない。同時に梅子も、閻魔様の一挙手一投足に目を凝らし、その動きを体に染み込ませることに夢中だ。
法廷の閻魔様を傍聴室から覗き、場面場面での動きを見つめる。休憩時には、陰から司命たちとの会話の際の身のこなしを頭に叩き込む。秘術習得の訓練時には、邪魔にならぬよう背後から熱い視線を送る。
「菅原、お前それはストーカーだぞ」
と、司録に苦言を呈されようとも、
「いえ、業務の一環です。閻魔様が外遊に心置きなくお出かけになれるよう、誠心誠意、頑張っているのです」
と、譲らない。
司録としても、閻魔様のためと言われると強く出られない。ほかの同僚もだ。時々職場に戻って来るだけのケンタは、菅原の次なる任務を聞かされていないので、梅子のストーカーぶりに引いている。
「でもまあ、橋から飛び降りようとしていた頃に比べると、すごく生き生きしているから、いいんじゃないかな」
と、スカウトしてきた小野は満足そうだ。
そんなこんなで三か月が過ぎ、閻魔様はとうとう身外身の法を会得した。梅子も、閻魔様の仕草が本物以上だと太鼓判を押されるくらいに、形態模写が完成した。
東岳大帝様にホットラインで連絡を取ると、さっそく翌日来ることになった。
「思ったより苦戦したではないか」
開口一番、東岳大帝様が言った。
「ふん、訓練の時間がなかなか取れなくてな。そしてそれ以上に、こやつのせいで気が散って仕方がなかったのよ」
閻魔様が梅子を振り返った。
梅子は鷹揚に頷いた。目線は下げず、顎を少しだけ引くように、ゆっくりと。そしてまた、ゆっくりと戻す。ただそれだけの動きで、東岳大帝様がぶほっと吹き出した。
「ぐははは、なんだその動きは、閻魔そのものではないか。練習したのか、それを。若い娘が何をやっておるのだ」
東岳大帝様の笑いが止まらない。
「そんなに笑わなくても。ただ閻魔様の中の人として、完璧であろうと努力しただけなのに」
「ははは、そんな努力は期待していなかったぞ、娘よ」
「というわけでな、菅原に四六時中張り付かれて、集中できなんだ」
「なるほどなあ。だがこれで、安心して出かけられるではないか」
「まあ、そうだな」
「ちなみに、分身は何体まで出せるようになった?」
「五体だ」
「よかろう、それなら一体を出し続けるのは余裕だな。さっそく行くか?」
「行き先は」
「我が国だ」
ということで、東岳大帝様に連れられた閻魔様は、五日間という約束で外遊に出かけていった。
後に残された梅子は、閻魔様が作り上げた分身に、すっぽりと覆われていた。
一緒に閻魔様の出立を見送った司命と司録と小野の三人は、分身の閻魔様をしげしげと眺めた。
「閻魔様ですね」
「どこから見ても、閻魔様ですね」
「菅原さん、しゃべれますか?」
〔菅原です、聞こえてますか、私の声〕
「うん、くぐもってるけど、聞こえてるよ」
「閻魔様も聞こえていますか?」
【聞こえているぞ】
「なんだか遠隔地からの声に聞こえますね。これは拙くないですか」
【これは我本体の声だ。しばし待て】
「こんどはどうだ。分身の我がしゃべっているぞ」
「大丈夫です。目の前の閻魔様がしゃべっています」
〔おもしろーい、頭の上で閻魔様の声がします]
「菅原は法廷の中でしゃべるでないぞ」
〔はーい〕
【では、よろしく頼む】
「「「はい」」」
〔はい〕
皆で良い返事を返した。
〔ところで、私、五日間この格好なら、柊寮に戻るわけにいきませんよね〕
小野が、はっとした顔で、
「すみません、菅原さん、まるで考えていませんでした」
と言い、司命たちも、
「閻魔様の私室に入れるのもどうだろうな」
と、ためらっているようだった。結局、
「小野家の部屋で休んでもらいましょう。誰も入れませんから安全ですし、僕は南天寮にも部屋があります。京都の実家に戻ることもできますから」
ということで、小野の提案に従うことにした。
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