31. 合縁奇縁
梅子は喫茶室に通うようになってから、時々顔を合わせる藤原とも、他愛のない話をするようになった。
「へえ、じゃあ、バブル時代を直接経験したわけじゃないんですね」
「うん、俺が死んでからニ、三年後に始まったんだよ。日本中が好景気で浮かれまくっててさ、仕事も遊びも派手で、男も女も元気で、騒がしくて、楽しそうだったなあ。生きていたら三十五歳から四十歳のまさに働き盛り。羨ましくて、現世に出張させてもらっては、紛れてディスコの片隅で雰囲気だけ楽しんでたなあ。
だからかな、その時代に生きてたような気がしてしまうんだよな。バブル時代で止まってるって菅原さんに言われて、はっとしたわ。俺、記憶を改竄してたかも、って」
「藤原さんは、今ここに、こうしているってことは、三途の川経由じゃなくて、やっぱり井戸から来たんですよね?」
「うん、そうだよ。なんで?」
「なんだか、バブル時代に生きていなかったことを残念がってるみたいだったから、・・・私みたいに自分で決めて来たわけじゃないのかなって」
聞いてもいいものか梅子は迷ったが、途中で止めるのも失礼な気がして、そのまま聞いてみた。
「あー、それか、そうだなあ、俺は死にたいなんて思ったこともなかったよ」
「事故ですか? でも、それなら三途の川に行きますよね」
「強いていうなら、好奇心のせいかな。ああ、深刻な顔しないでくれる。俺の一世一代の大ポカで、散々みんなにバカにされたから」
「大ポカ?」
「俺ね、小野の家の遠縁に当たるんだよ。と言っても、小野は分家から養子に来た子だから、俺と血の繋がりなんて、ほぼ無いようなもんだな。家は近所だけど、年も十近く離れてるから、接点なんてないんだ。でも、親族の間でも、あの家はちょっと特殊で一目置かれていた。理由は教えてもらえなかった。
そんな家に幼い養子が来た。それが小野だった。爺さんと出かけるのはたまに見かけたけど、それだけだ。興味も続かなかったし。
それから、二十年以上たったある日、六道さんで偶然小野を見かけたんだ。知ってるよね、六道さん。冥土通いの井戸がある寺」
「はい、一度小野さんと一緒に行きました」
「境内は人の気配がほとんどない時間帯で、小野は真っ直ぐ井戸の方に向かった。当時はまだ井戸を囲ってなかったから、近づけたんだ。何するんだろうと思って追いかけたら、いきなり井戸に飛び込んだ。焦ったね。助けなきゃ、とも思った。だけど、落ちた水音もしない。俺は、そこに小野家の秘密があるんじゃないかと思ったんだ。直観? 第六感? なんかそういう理屈を超えたもので」
「あー、好奇心の正体が見えてきました」
「だろう? いてもたってもいられずに、後を追ったんだ」
「飛び込みましたか」
「飛び込んだねえ」
「どうでした?」
「落ちたよ、どこまでも、いつまでも、着かない。そんな深い井戸はないだろうと、腹が立ってきた頃、地面に足が着いた」
「どうでした?」
梅子の好奇心もうずうずしだした。
「小野が、知らない部屋の中で、俺のことを驚愕の表情で見てた」
「でしょうね」
「気まずいから、『やあ』って言ったら、『何してんですか』って泣きそうな顔で怒られた」
「怒りますよね」
「『そんなことより、ここどこ? どうなってんの? 何してんの?』って好奇心全開で聞きまくったら、『そんなことより、じゃない。あんた死んだんだよ』って言われて、呆然としたよ」
「三回までの職場体験制度は、なかったんですね」
「それどころか、人間は小野しかいなかったよ。だから大騒ぎになって、閻魔様も出てきて、俺をどうするかの話になった。
生き返ることはできないから、潔く死を受け入れて閻魔様の裁きを受けるか、ここで働くかって選択肢を与えられて、働くことにした。井戸に飛び込んでから一時間かそこら。人生の転機って、思いもかけないところにあるんだ。それから、閻魔庁で要領よく仕事こなしてたら重宝がられて、時々現世のお寺さんにお使いを頼まれるようになった。その時作ってもらったのが、今もリクルーターたちが使っている、経文をびっしり書き綴った冥界パスポート」
「なるほど、急転直下もいいところの人生ですね」
「だろ?」
「お寺へのお使いからリクルーターになったのはなぜですか」
「バブルがはじけたのが切っ掛けだよ。死にたいヤツがいっぱいいた。浮かれてた連中の転落はまだいい。真面目に生きてきて割を食ってばかりのヤツを数人、閻魔庁に推薦したんだ。俺ね、人の両肩に乗っている倶生神様が見えて、話もできるんだ。その人の生まれた時からの善行も悪行も聞かせてもらえる。そこで為人を判断できるから、まあ、ハズレは引かない」
「それが就職時に閻魔様からもらった能力ですか」
「うん、本当は、神や仏と話をしたいって言ったんだけど、畏れ多いわって一蹴されて、だいぶスケールダウンされた。けれど、仕事でかなり生かせているから正解だったよ。さすが閻魔様だよね」
「小野さんが藤原さんを苦手とする理由がなんとなく分かりました」
「え、そう? なんでだろ」
「言葉にするのは難しいから、身も蓋もない言い方になってしまうんですけど、強か過ぎるところが、いけ好かない、かな」
「ひどいな、理屈じゃないのか」
「それと、もしかしたら、藤原さんを冥界に巻き込んでてしまったという、後ろめたさがあるのかも」
「百パー俺のせいなのに?」
「自動車保険の過失割合と同じじゃないですか。片方が止まってない限り、10対0 はないって聞きました。小野さんが井戸に飛び込んだからこそ起こった大ポカですよね」
「俺が気にしてないんだから、気にしなくていいのにな。だいたい四十年以上前の話だぞ」
「外見が変わらないと、年月の経過が分かりづらいのかもしれません」
「そういうもんかな」
「分かりませんけど」
「この髪型も、四十年ぶりに変えてみようかな」
藤原は後ろで縛った髪をつかんで、指のハサミで切る真似をした。
「いいと思います。初対面の時、スーツなのにその髪型で、胡散臭そうに見えたんですよね」
梅子は思い切り賛同しておいた。
藤原とそんな会話をした翌朝、手習いを終えた頃に小野がやって来たので、梅子は聞いてみた。
「小野さんて、藤原さんのこと苦手ですよね」
「え、態度に出てるかな? なるべく普通にしてるつもりなんですけど」
「相性が悪いんですか」
「うーん、向こうは昔のことだから忘れてるのかもしれませんけど、小学生の頃、何度か名前をからかわれたんですよね」
「小野、を?」
「いや、下の崇の方」
「からかう要素、あります?」
「漢字がね、『崇』と『祟る』って似てるでしょう。公園で遊んでいる時に名前を聞かれて、地面に棒で書いたら、『たたり君か』って。小野篁の『たか』の音にあやかっているのが気に入っていたのに。ムキになって怒ったから面白かったんでしょう。何度か呼ばれました。完全に無視しましたけど。それが続いてる感じかな」
「ああ、擁護できないやつだ。絶対忘れてそうですね」
「そういうとこも含めて、相容れないですね」
梅子は納得してしまった。
「まあ、大人ですから、僕は仕事上は波風立てずに付き合いますよ」
「それがいいですね」
ということで話は終わった。
そのことについては、梅子も告げ口するつもりはなかったので黙っていたが、数年後にふと、藤原が、
「小野が俺に愛想ないのって、名前のせいかな」
と言い出した。
「思い出したんですか」
梅子も驚いてそう聞くと、
「思い出したも何も、俺のせいじゃないよね?」
と、話がかみ合わない。よくよく聞いてみると、こういうことらしい。
小野が敬愛する小野篁は、かつて遣唐副使だった時に、遣唐大使・藤原常嗣から、理不尽で横暴な仕打ちを受けた。篁は抗議し、乗船も拒否した。後に、それを恨んで遣唐使事業や朝廷を風刺する漢詩を詠んだことで嵯峨上皇を激怒させ隠岐国に流された。
「だから藤原が憎いんだろう? 分からないでもないよ」
と、藤原は鷹揚に言った。だが推測は大ハズレである。さらに、
「小野篁の奥さんだって藤原の娘なんだよ。藤原だからと敵対するのは、お門違いじゃないか?」
「うーん、お門違いは藤原さんの方かな」
「え、これじゃないの」
「ほんとに忘れてるんですね。小野崇さんのことを『たたり君』って、からかってたこと」
「・・・、・・・?」
「たかし、って名前、相当気に入ってるみたいですよ」
「あああ、おぼろげに記憶の端っこにあるわ。あれかー」
藤原は頭を抱えてしゃがみこんだ。
「俺がチャラい高校生だった頃、まだ小学校低学年のあいつが、親戚の中で特別視されてて、ちょっとムカついたんだよな。あー、大人げない。懺悔してくる」
すぐに走り出しそうな勢いだったでの、梅子は慌てて止めた。
「謝ってもスッキリするのは藤原さんだけ。良くないです」
「ええ、じゃあどうしたらいい」
「そうですね、閻魔庁で罰と言えば、閻魔様も日課にしていた、あれがいいんじゃないですか? センブリ茶」
「センブリ茶かあ、そうだな、行ってくるわ」
そうして藤原はとぼとぼと喫茶室に向かっていった。
その頃は、センブリ茶も麦茶と同じく大きな鉄瓶に常備されて、仕事でミスをやらかした者や、眠気覚ましを求める者によって飲まれるようになっていた。
ただし、飲み続けていると慣れてしまうこともあるので、閻魔様と司命、司録の二人は、ノニジュースに移行した。三人は口に含むと揃いの憤怒顔を浮かべ、噴き出すのを堪えるのが常だった。仲良きことは美しきかな。
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