26. 混線模様
翌朝、いつものように小野の部屋で手習いをしていると、勢いよくドアが開いて憤怒の表情の閻魔様が現れた。
梅子は一瞬だけ目を向け、
「おはようございます、閻魔様。あと一行で終わりますので、しばしお待ちを」
と言った。
上司である自分の用事を二の次にされた閻魔様は、ツカツカと梅子の背後に迫り、威圧しようとしたところで気づいた。
「むっ、小野篁の書か、懐かしいな」
「瞬時に見分けがつくものなのですか、さすがです」
「なぜ、それを?」
「手習いも最初のうちは、裁判の知識を得ることも大切でしたから、最近の記録を書写していたんです。それも一段落ついたので、今度は美しさにもこだわりたいと言ったら、小野さんがご先祖様の書を持ってきてくれました」
「そうか。やつとは二百年以上、共に過ごしたからな。生涯の友であってほしかった」
閻魔様がしんみりしてしまった。
梅子は焦って手習い道具を片付けながら、
「あの、閻魔様、なにか用事があって来られたのではないですか」
と、訊ねた。
閻魔様はなぜか少しためらいながら、
「うむ。菅原よ、そなた昨夜はよく眠れたか」
と、意外な心配をされてしまった。
「はい! 無事に閻魔様の代理を務め終え、心の重しもなくなりましたので、それはもうグッスリと、夢も見ず朝まで安眠しました! 閻魔様も外遊お疲れ様でした。リフレッシュされましたか?」
梅子にしては珍しく爽やかさ百パーセントで答えると、閻魔様はますます歯切れ悪くなり、そうか、と聞こえないくらいの声でつぶやいた。できる部下(自称)の梅子は、そんな上司の些細な声も拾い上げる。
「どうかされましたか? 外界でデトックスされそうになって具合が悪いとかですか」
「いや、東岳大帝との外遊は、実に有意義なものであった。昼の世界は初めてであったし」
閻魔様の表情は、少し穏やか寄りの憤怒の表情になった。
『それが話したかったんですね』
と梅子は思った。
おそらく司命や司録の前では、自分ひとり羽を伸ばしてきたことが後ろめたくて、大っぴらに言えなかったのだろう。見聞きしたことを語りたいが相手に困って、現世を知る梅子に共有してもらいに来たのだ。
『いいでしょう。聞きましょう』
任せてくださいと言わんばかりの梅子に、閻魔様が、
「昨夜もそなたの夢枕に立ったのだ」
と、思いもよらないことを言った。
「はい?」
「そなたは起きなんだ。何度呼んでも。仕方なく帰った」
「それは、・・・すみませんでした。気づきませんでした。え? 何のために?」
「司命たちにな、休暇をもう少し続けたいと言ったのだ」
「はい、お気持ちは分かります。楽しかったのですね」
「そうしたら、司命も司録も小野のせがれも、そこにいた官吏たち全員が、待ったをかけたのだ」
「皆さんの気持ちも分かります。二日間、ヒヤヒヤでしたもの」
「ぐぅ」
「東岳大帝様はどうされました」
「もめ事は自分たちで解決しろと帰っていきおった」
「そうですか。それで閻魔様は夢枕に立ってどうしようと?」
「束の間、京都の散策を」
「あのですね、私の体はもう死んでいるので、うかつに現世に行ったら消滅するんですが?」
「経文パスなら発行するぞ」
「また閻魔様が行方不明だって大騒ぎになりますよ」
「分かっておる。仕事は山積みだ。朝まで二日分の法廷の映像を確認していたところだ。そなたの閻魔っぷりも、それなりに様になっておったぞ。礼を言う」
「いえいえいえ、畏れ多いです。すべて皆様のおかげです、私じゃなくて、オウムでもいけそうな簡単なお仕事でしたし」
「卑下することはない。どんな仕事もやり遂げれば経験となってそなたを形作る。それに、我は此度のことで思いついたことがあってな、いずれそなたの協力を仰ぐことになるだろうから、楽しみにしておれ」
そう言って閻魔様は部屋から出ていった。
嫌な予感しかしない梅子であった。
閻魔様を見送った後、いつもの部署に出勤すると、あちこちから、
「おはよう、なりきり閻魔ちゃん」
「二日間お疲れ、閻魔ちゃん」
「後ろから見学してたよ、張りぼて閻魔ちゃん」
などと、ありがたくない二つ名呼びで挨拶された。
梅子はとっさに持っていたボイスチェンジャーを起動させ、閻魔様ボイスで答えた。
「おはよう。楽しそうでなによりだな」
途端に青ざめ入口を見つめる面々に、
「おはようございます、今の声は菅原です。閻魔様、地獄耳だから、結構遠くの声を拾いますよ。お気を付けください」
と、梅子の声でにこやかに答えた。
「おどかすなよ」
「寿命が百年縮んだわ」
「寿命あるのかよ」
穏やかな空気が戻ってきた。
梅子はホットライン室に入り、小野の用意してくれた勉強用の書類を読みながら電話を待った。
ジャーーーン
一度の銅鑼で出るのも、すでにお手の物だ。
「はい、冥界閻魔庁コールセンター、担当の菅原と申します。本日はどういったご用件でしょうか」
「・・・」
沈黙が長い。
「冥界閻魔庁です。いかがなさいましたか」
ツー、ツー、ツー
最近こうした無言電話が多い。悪戯のたぐいか、言い出しづらいのか判断に困る。
梅子がホットライン室を預かったばかりの頃は、悩み相談がほとんどだった。相談といっても梅子には大した人生経験もないので、アドバイスはできない。辛抱強く聞いていると、やがて泣きながらも気が済んだと言って話を終えるのが常だった。
それが一週間ほど前から、急に質の悪い電話が増えた。
ジャーーーン
「はい、冥界閻魔庁コールセンター、担当の菅原と申します。本日はどういったご用件でしょうか」
「・・・」
沈黙の後ろで複数の話し声がする。
『マジか』『閻魔庁って聞こえた、プッ』『冥界って言ったよな』『くくく』『おい、笑うなって』
「ご用件がないようでしたらお切りしますよ」
「なあ、そっちに閻魔さま、いんの?」
『ぷくく』『やめろ、笑かすな』
梅子は躊躇せず、ボイスチェンジャーの赤いボタンを押した。
「クソガキども、番号は控えたぞ。若い者をやるから聞きたいことがあったらそいつに聞け」
文字通り地獄から響く声だ。回線を通してもそれは伝わるらしく、
『おい、やべーよ』『筋もんかも』『切れって』などと、怯える声が重なった。最後に、
「すいませんっしたー」
という声を残して電話は切れた。
「何これ、私だんだん柄が悪くなっていくんだけど」
ジャーーーン
「はい、冥界閻魔庁コールセンター、担当の菅原と申します。本日はどういったご用件でしょうか」
「あのさ、聞きたいことがあんだけど」
「はい、どんなことでしょうか」
「興味本位で悪いんだけど、この電話、どういう仕組みになってんの」
「仕組みとは? 具体的にどういったことでしょうか」
「これ0120だから、フリーダイヤルだよな」
「さようでございます」
「フリーダイヤルは日本国内専用のサービスだろ。なんで頭に国番号みたいのがついてるんだ」
「最初の459のことですか」
「そうだ。調べたけど、459なんていう国番号はないんだよ。だけど実際にこうして繋がってるのが分からない。どっかの国の特殊詐欺を疑ってるんだけど。心の弱ったやつに電話をかけさせて、何かに勧誘したり売りつけたり、そういう類かと思って」
「なるほど、459が分からなくてお電話くださったのですね。ご安心ください。こちらはある意味日本です」
「ある意味日本が分からねえんだけど」
「日本を管轄している冥界、と言えばお分かりになりますか」
「めいかい?」
「はい、冥界です。459は『じ・ご・く』の語呂合わせですね」
「は?」
「ですから、冥界閻魔庁直通のフリーダイヤルです。ご理解いただけましたか」
「理解は無理だと思う。だけど、どこかに繋がってるんだよな。なあ、あんたはじゃあ、死んでんの?」
「さようでございます。死んでこちらに就職しました」
「マジか。ほんとなら俺、就職したいわ。訳分かんなくて面白そう。はは、そういう世界も、ほんとにあればいいな。あんたも元気でな」
見知らぬ男から一方的に励まされて電話は切れた。
「リクルートした方がいいのかな」
梅子も迷走していた。
続く電話も、
「今度、国家試験三回目の挑戦なんです。どうしても受かりたいので、閻魔様、喝を入れてください」
「頼るなら神に頼れ(閻魔様ボイス)」
「はい!」
「閻魔様、一度お会いしたいです」
「死んだら来い(閻魔様ボイス)」
「今、地獄は何時ですか」
「こちらは日本を担当する冥界でございますので、時差はございません(梅子ボイス)」
というように、閻魔様に話しかけられたら閻魔様ボイスで答え、通常の問いかけなら梅子のままで対応した。
こうして梅子が、何を試されているのかという気分になる日々に、ついに決着のつく日が来た。
読んでいただき、ありがとうございました。




