23. 閻魔代理 一日目
閻魔様と客人の東岳大帝様は、連れ立って冥界から旅立っていった。
どこを通ってどこに向かうのか小野にも告げることなく、いそいそと消えていった。
法廷では司命と司録が閻魔様の机の前に、紗の几帳を設置していた。
「二日で戻ると言っていたが、本当だろうか」
「東岳大帝様のご様子では、信じていいものか迷うな」
「横暴なやり口ではあったが、閻魔様の過労ぶりは気になっていたから、良い機会だ」
「存分にリフレッシュされることを祈るか」
司命と司録は、閻魔様の法廷ができた時から、ずっと書記官を務めている。閻魔様の見識と厳格さと公平さを、心から尊敬している。また、亡者を裁いて地獄の責め苦を与える自分に対しても、罰として溶けた銅を飲むという苦行を課していることに、いたわしさとやるせなさを感じるばかりで、何もできない自分たちを不甲斐なく思っている。司命と司録は、小野以上に閻魔様ガチ勢なのである。
「それにしても、あの菅原という娘、閻魔様と京都散策とは羨ましいな」
「どういう経緯なのだろうな。今さら聞くのも野次馬のようで聞けないが」
「割と親しげだったよな。あの憤怒の表情の閻魔様に、臆せず話しかけているから驚いたぞ」
「小野が現世から連れてきてから、ひと月かそこらだろう」
「なんにせよ、閻魔様の恥にならぬよう、しっかり支えねばな」
「見た感じ、それほどの切れ者とも思えぬから、なるべくどっしり構える体で、最低限の言葉でやりすごしてもらおう」
その梅子はというと、畏れ多くも閻魔様の椅子に座っていた。座高が違い過ぎるので、椅子の座面に箱を置いてもらい、その上に腰かけている。目の前には等身大の閻魔様の手描きパネルが立ててあって、閻魔様の目の穴から覗けるようになっている。観光地によくあるあれだ。誰がいつ何のために作ったのか知らないが、くり抜いた目からは、紗越しとはいえ法廷内の様子が窺える。
梅子は緊張感もあるが、あまりの非現実的な展開と、事の重大さが無知故にあまり分かっていないので、法廷内でただ一人、ワクワクしていた。
すぐ横では小野が、閻魔様の裁きを前に、必要最低限の知識をぎゅっと短縮して、これ以上は省略できないという項目に絞って説明をしていた。説明というより単語を羅列しているだけになっている。端折り過ぎてとてもじゃないが理解が及ばないだろうけれど、時間は有限で背に腹は代えられない。裁きを一つ終えるごとに追加していけばよいだろう、となかば自分に言い聞かせていた。
「いいですか、菅原さん、大事な単語だけもう一度繰り返します」
「はい、どんとこい、です」
「浄玻璃鏡で、生前の行動をすべてスクリーンに映し出します」
「はい」
「閻魔帳は、秦広王、初江王、宋帝王、五官王それぞれで取り調べた内容が書き記され、引き継がれてここにあります」
「なるほどです」
「倶生神は、人が生まれた時から両肩にいて、すべての悪行、善行を記録し報告します」
「ほうほう」
「まとめた罪状を司命さんが読み上げ、閻魔様が言い渡した判決を司録さんが記録します」
「まかせてください」
「軽々しく請け負われると、却って不安になりますね」
「今、視界がすごく狭くて、思考も単純になってるみたいです」
「始まったらボイスチェンジャーをONにしますからね」
「笑ってしまいそうで心配です」
「僕はすべてにおいて心配です」
「ドンマイです」
梅子は自分が笑いそうになるのも仕方がないと思っている。だって、ぺらい板状の閻魔様の後ろに自分がいて、ボイスチェンジャーで閻魔様になりきるのだ。コントにしか思えない。厳粛な場と、やってることの安っぽさの落差がすごい。
表情が取り繕えず口をもにゅもにゅ動かしていると、司命から、
「顔を作れ」
と、指摘が入った。
「どうせ表情は見えないと思って雑にやるなよ、にやけた顔では閻魔様の冷厳な声は出せぬ」
「そうですよ、菅原さん、電話口の向こうでも、お辞儀しながらなのか、ふんぞり返っているかは、なんとなく分るでしょう? あれです」
なるほど、と梅子は思った。
「司命さんたちも常にそのお顔ですね。頑張って真似します」
そうして最初の裁判が始まった。
法廷の大きな観音扉が開き、ひしめく亡者の先頭にいる者が入ってきた。
その男は重苦しい雰囲気に精いっぱい抗うように眇めた目をしていた。
浄玻璃鏡からスクリーンに、生前の男の行いがつぶさに映しだされた。良い思い出も、男自身悔いて止まない出来事も、心から申し訳なったと思うことも、今なら恥ずべきことと分かる行為も、憎んでいた者とのやり取りも、優しかった人との交流も、淡々と流れてゆく。
男は凝視していた。己が老いてゆくさまを。
司命が巻物を広げ、罪状を読み上げた。
閻魔様(代理)が、目力を込めて、静かに亡者に問う。
「申し開きはあるか」
男は泣いていた。
閻魔様(代理)は、小野に耳打ちされた判決が覚えられなかったので、急いでその場で書いてもらい、重々しく言い渡した。
男は獄卒に引っ立てられ、先ほどとは違う扉から出ていった。
梅子は笑えなかった。それほど悪人とも、きわめて善良とも思えない、ごく普通の男の一生に見えた。それを自分の判断は入っていないとはいえ、地獄の一つに送ることを告げたのだ。偽りの姿と偽りの声で。
「後ろめたさを感じているのですか」
小野に聞かれた。
「すごい悪人だったら良かったです。擁護できないくらいの」
「悪人でも、一生をダイジェストで見たら、無垢な赤子の姿がチラついて、違う悲しみがきますよ」
「そうかも」
梅子がしょんぼり答えていると、
「次、始まるぞ。顔つくれ」
司録の叱咤の声が飛んだ。
次は居眠り運転で三台を巻き込む事故を起こし、自分だけが死んだ男だった。激務の末の居眠りだ。残した家族は妻と二人の子ども。
「同情で勝手に刑期を減らすことのないように」
と、小声で小野に釘を刺された。
申し開きはあるかと閻魔様(代理)が問うと、
「ありません」
とだけ、静かに答えた。なにもかも諦めている姿が胸にくる。
小野に教えられた地獄の名と刑期を告げる。
男は獄卒たちに付き添われて出ていった。
梅子は顔が上げられなかった。
司命と司録が心配そうにのぞき込んできた。
「罪悪感を押しつぶされそうなら、閻魔様のように溶けた銅を飲むか?」
「喉と腹が焼け爛れて苦しいが、明日には元通りだぞ」
「司命さんたち、微妙なアドバスはやめてください。この人やりそうで怖いです」
小野が抗議するも、
「地獄ジョークも通じないのかよ」
「自分の機嫌は自分で取らないといけないだろ」
と、取り合わなかった。
なるほど、と梅子は思った。自分の機嫌は自分で取る。今は与えられた役割を全うするのみ。溶けた銅は飲みたくない。
それからは開き直って粛々と閻魔様役をこなした。
梅子の体感で真夜中ごろ、小野の提案でいったん休廷することになった。
「菅原さんは、まだ人間やめて間もないので、これ以上続けるのは難しいかもしれません。寮に戻って明日に備えてください」
「ちなみに今何時ですか」
冥界には月も太陽も星もないので昼夜が分からない。
「十八時です。寮の食事の時刻ですね。鋭気を養って明日もう一度、閻魔様の代理をお願いします」
梅子はすかさずボイスチェンジャーを起動させて、
「まかせておけ」
と閻魔様の声で答えた。
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