21. 友遠方より来たる
梅子がホットライン室で働き始めてからひと月がたった頃、初めて銅鑼ではない呼び出し音が鳴った。
チリーーーン、チリーーーン
涼やかな、おりんの音だ。黄色いランプは中国の泰山府君様で、閻魔様の古くからのご友人だ。さすがに梅子の”なりきり閻魔様”で出るわけにはいかない。閻魔様の忠実な部下として、失礼のないように対応せねば。梅子は心してランプの下の黄色いスイッチを手前に倒した。
「はい、日本閻魔庁の菅原です」
「む? 閻魔羅闍は不在か」
「閻魔はただ今法廷におります。小半時で休廷しますので、折り返し連絡差し上げるようにいたしましょうか」
「それには及ばぬ。明日正午、泰山府君がそちらを訪ねると伝えてくれ」
カチッ、ツーーーー
「はやっ」
失礼をする間もなかった。速攻で用件だけ言い、こちらの都合など気にも留めないようだった。格の違いに文句も言えない。
まずは上司の小野に報・連・相だ。
梅子がホットライン室を出ると、そこには狼狽する官吏たちが、文字通り右往左往しているところだった。梅子はあちこちで官吏とぶつかりそうになりながら、こうなった原因が分からず焦った。
「あの、今の電話、聞きましたよね?」
「聞いたよ、急すぎるよ、何からどうしていいのか分からない」
「なんか色々間に合わな過ぎて、すべて投げ出したくなってる」
「俺、明日有休取ろうかな」
「有休ってなんだよ、給料なんかそもそもないだろう。獄卒の流行り言葉使いたいだけだろ」
「いや、休みたいだけだ」
官吏たちの口だけは動くが、何かを進める気配はない。
「あの、どうしてそんなに慌てているんですか」
梅子が聞くと、
「逆にどうしてそんなに落ち着いていられるのかな」
と、返ってきた。
「だって、閻魔様の昔からのお友達が遊びに来るだけですよね。閻魔様こそ、明日お休みがほしいのではありませんか?」
梅子の言葉に、皆が一斉に振り向いた。常識知らずにも程があるとでも言いたげな顔だ。
そんな折、小野が部屋に戻ってきた。誰かが知らせたらしい。皆の表情が安堵に緩んだ。
「菅原さんは、気楽な友人訪問くらいに考えているのでしょう」
「違うのですか?」
「よく考えてごらんなさい。冥界の王たる閻魔様と、中国泰山地獄の王である泰山府君様が話し合うのですよ。首脳会談です。現世で考えたら、何の前振りもなく『明日、日中首脳会談開くからよろしく』って言われたようなものです」
「あっ」
遅ればせながら、事の重大さが梅子にも理解できた。
「日本閻魔庁の名誉にかけて、できる限りの饗応をしなくてはなりません。司録さんのところに行って、直近の首脳会談の記録を借りてきてください。また、泰山府君様の好む酒肴を調べ、楽の手配や部屋の設えも遺漏なく進めるように」
「直近といっても、いつだ?」
「かれこれ二世紀は覚えがないぞ」
「泰山府君様との会談となると、千年以上前か」
「司録様の記憶力に全力でお縋りしよう」
小野の指示が下ると、本来優秀な官吏たちはてきぱきと動き始め、梅子だけが取り残された。
「あの、私はどうしたらいいでしょう」
「そうですね、今頃法廷は判決を急ぎ、休廷した頃でしょうから、閻魔様のところにお使いに行ってもらえますか」
「はい」
「会談に向けて特に用意すべきもの、泰山府君様をもてなす際に留意すべきことなどあれば聞いてきてください」
「ホットライン室はどうしたら良いでしょうか」
「フリーダイヤルは留守録にして、ホットラインの方は僕の端末で受けられるようにしておきます」
「分かりました」
そうして梅子は法廷の近くまで、転移で飛んだ。
以前覗き見た法廷の後ろの部屋から、こそこそと閻魔様のところに向かう。
いつもは傍に控えている司命と司録も、今日は官吏たちにせっつかれて書類を捜しに行ったり、明日の打ち合わせをしたりで、閻魔様の周りには誰もいない。
梅子は少しほっとして、閻魔様に話しかけた。
「閻魔様、お聞き及びのことと思いますが、明日正午に泰山府君様がお見えになります。会談に向けて特に用意すべきもの、もてなしの際に留意することがあれば伺ってくるようにと、小野さんから言付かりました」
閻魔様は、
「そうさな」
と言ったきり目を閉じて黙り込んだ。
二分、三分と時間が過ぎ、梅子が居心地悪くなってきた頃やっと、
「なにも要らぬ」
とだけ言った。
「要らぬ、とは、特別なことは要らぬ、という意味ですよね?」
念のため梅子は確認した。
「もてなしそのものが要らぬ」
その言葉に、向こうで聞いていた官吏たちが、ぎょっとした目でこちらを見た。
「そんなわけにいくか」
思わず梅子は下を向いてつぶやいた。
「なに?」
閻魔様の地獄耳がそれをとらえ、憤怒の表情で梅子を見下ろした。
梅子はビクつきながらも答えた。
「よその地獄のトップが来日、いや、来冥? するんですよね。何もしないわけにはいかないのではないですか。双方の面子を潰すおつもりですか。プライベートだとしても、茶菓や酒くらい用意するものだと思うのですが」
「今から用意しても、おそらく無駄になる」
「なぜでしょう」
梅子には分からない。
「私どもの手配が間に合わないという意味でしょうか」
巻物を山ほど抱えた司録の顔は、心外だと言わんばかりだ。
「そうではない」
閻魔様と司録がにらみ合っていると、バタバタと騒がしい足音がして、法廷の巨大な扉が開いた。
「大変です!」
と駆け込んできた官吏の後ろから、
「よう、案内が待ちきれずに、来てしまったぞ」
呑気な声音で入ってきたのは、鼻の下に豊かなヒゲを蓄えた泰山府君様だった。
「やはり今日来たか」
閻魔様は予想していたようだった。
「長居をするつもりはないからな。早くから知らせると、相応の準備が大変だろう? かといって突然来ても騒ぎになるだろうから、一応前触れはしたぞ」
「騒ぎは起きたぞ。先ほどまで皆、取り乱しておったわ」
「それは済まぬな」
済まぬとも思ってもいない顔で泰山府君様はそう言った。
「それにしても、急にどうしたのだ」
閻魔様が問うたが、
「あの、立ち話ではなく、せめて座って落ち着かれませんか」
話の行く末を見守ってばかりの官吏たちに動いてほしくて、梅子は割り込んで声をかけた。
「では、茶を一杯だけ所望するか。言った通り長居はせぬからな。場所もここでいいぞ」
という客人の要望で、急きょ法廷が二国間首脳茶話会の会場となった。
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