19. コールセンター(1)
梅子の手習いが終わり、いよいよ閻魔庁の仕事に取り掛かることになった。
「閻魔様の裏方の仕事をしている官吏たちのもとへ行きましょう」
小野がドアを開けると、廊下の向こうから息せき切った一人の官吏が走ってくるところだった。
「お、小野さん、、今すぐ、閻魔さまの、もとへ。菅原さんもっ」
転移装置を使うのを忘れるほど急いできたのか、まだ息が整わないようだ。
「話を聞くより、行った方が早いな。行こう」
「はい」
返事と同時に小野が梅子の腕をつかみ、一瞬でどこか知らない部屋に着いた。
小野の部屋の二倍はあって、数名の官吏が机に向かって書き物をしている。筆記具はもちろん毛筆だ。
「閻魔様があちらでお待ちです」
すぐ近くにいた男が、奥の部屋を指し示した。
「ホットラインか」
「はい、今日に限って何件も重なって、閻魔様も持て余し気味なんです。法廷も休止状態ですし」
「ほかの者でも説明はできるだろう?」
「それが、最近ニワカが多くて、『お前じゃ話にならない、閻魔を呼べ』とか言い出しやがるんですよ。呼び捨てですよ。何様ですかって話ですよね。どうやってここのホットラインの存在を知ったんだか、今調査しているところなんです」
「正規に認めた相手ではないのなら、さっさとぶった切ればいいだろう」
閻魔様至上主義の小野が、早くも怒り心頭だ。
「我々もそう進言するのですが、閻魔様の公平さがそれを許さなくて、新興宗教であろうと話はひと通り聞くべきだとおっしゃって、もうかれこれ一時間近いです。
小野さん、なんとか閻魔様を説得してください」
「わかった。菅原さんも一緒においで。みんなには後で紹介するから」
周りの『あれは誰だ』という視線に居心地の悪さを感じつつ、梅子は小野と奥の部屋に入った。
グツグツグツグ・・・
不可思議な音が響く中で、閻魔様が椅子にもたれて座っていた。目をつぶっていても憤怒の表情を崩さないらしい。
グツグツグツグツ・・・
「閻魔様、いかがなさいました?」
「小野か」
「はい、菅原もお呼びと伺いましたが」
「それよ!」
閻魔様は急に体を起こして、小野と梅子に向き直った。
グツグツグツグツグツ・・・
「あの、畏れながら申し上げます。さっきからずっと響いているこのグツグツは何の音ですか。気になってお話が入ってこなさそうなので、先に教えていただけませんか」
閻魔様が顎をひょいと上げて、小野に説明を促した。
「保留音ですね」
「保留音? 電話の」
グツグツグツグツグ・・・
「あの、保留が長すぎて、そろそろ相手もしびれを切らしていませんか」
小野が言うと、閻魔様は保留を解除した。
一瞬の沈黙の後、ツーツーツーという音が響いた。
「ふん、切れたようだな」
「これで落ち着いて話ができます」
そう言って、小野がホットラインについて説明を始めた。
「このホットラインというのは、もともと各宗教の神様や開祖様、他国の地獄の管理をしている方々それぞれとの間に設置された直通回線でした。
現在は、山ほどある後発の宗教団体とも連絡をとる必要に迫られて、フリーダイヤルの番号も用意しました。ただしその番号は一般には秘されているはずなのです。
そもそも死者の審判には、宗教もしくは地域による管轄があります。
キリスト教の最後の審判はキリスト教徒だけのものですし、閻魔様の裁きにしても、中国には中国の閻魔王がいらっしゃいますし、チベット仏教ではシンジェと呼ばれる閻魔様が、というようにそれぞれの場所でそれぞれのルールでやっているわけです。
ですから、我らの閻魔様は日本に住む仏教徒に対してのみ審判を行っています。
その日本の仏教も、時代が下るといろいろな教義の宗派が現れました。閻魔様の裁きを受け入れている宗派については特に混乱もないのですが、阿弥陀様を信じ『南無阿弥陀仏』をひたすら称えれば、極楽浄土に行くことができるという宗派の方が、誤って閻魔様のもとに来てしまうと厄介です。お引き取り願うように阿弥陀様に連絡をいれなくてはなりません。
それでも江戸時代まではほぼ鎖国状態でしたし、そういう案件はさほど多くありませんでした。キリスト教徒もいましたが、彼らはものすごく敬虔でしたから、死ぬ時も正しい方向に迷わず進んでいきました。
明治以降は様々な異国の宗教が入ってきただけでなく、把握しきれないほどの新興宗教も生まれました。おかげでこの冥界にも、海の物とも山の物ともつかない教えを引っ提げた死者がやってくるようになりました。話を聞きだして教祖に連絡をとり、このまま裁きをすると通告します。いちいちお伺いを立てている場合ではないので、もはや事後報告のことが多いです。
ええ、もちろん話が通じる相手ばかりではありません。
とんでもない言いがかりやら呪詛やら愚痴やらで、聞いている官吏も疲弊してしまって大変なんです。中には今日みたいに『閻魔を呼べ』と居丈高に言ってくる輩もいるわけです。閻魔様と直接繋がると、今度は大物と渡り合える自分に酔って勘違いする者も現れます」
「というわけで菅原よ」
閻魔様が梅子に視線を合わせた。
「我の代わりに、しばらくこのホットラインを受けるのだ」
「「はい?」」
小野と梅子の声が重なった。
「法廷を再開せねばならぬ」
「無茶ですって、閻魔様。菅原はまだ何も知りません」
「知らないことが有利に働くこともあるぞ」
「それ絶対今じゃありませんて。何かあったらどうするのですか」
「大事ない。本来このホットラインは、迷い込んできたよその信者を、自分のところのルールで裁いて良いかを互いに確認し合うためのものだ。それ以外でかかってくるのは、どうやら筋違いの苦情だけだと理解した。適当に相手をしてもかまわぬ。それに今手の空いている者はいないだろう?」
「そうは言いましても」
小野はなおも食い下がったが、
「私できます。やります閻魔様!」
梅子が力強く拳を握って宣言した。
「菅原さん、私も相手をしたことがありますが、とことん理屈が通じないことがありますよ。まして女性の声だとますます舐めてかかってきます」
「案ずるな、我の声にすれば良い。この赤いボタンを押せば我の声になって向こうに届く」
「ボイスチェンジャーなんていつの間につけたんですか」
呆れたように小野が言った。
「まあ、何かあっても責任は我にある。やってみろ」
「はい! 初仕事、頑張ります」
梅子のキリリとした声を背に、閻魔様はホットライン室を出ていった。
部屋に沈黙が落ちた。
「あの、菅原さん」
「はい!」
「元気いっぱいなのは結構ですが、閻魔様の代理ですよ、できるのですか」
「はい。でも聞いている限りでは、苦情受付係みたいなものですよね」
「まあ、そうですね。実際に閻魔様が相手をするまでもない者たちです」
「それなら私慣れています。コールセンターでアルバイトしていましたから」
自信満々な梅子に、小野は胡乱な目を向けた。
「失礼ですけど、菅原さんが対人スキルに長けているとは思えないのですが」
「うっ、それは私が就職試験に落ちまくっていたからですか」
小野は気まずそうにうなずいた。
「御心配には及びません。私は人に好感を与えるしゃべりは苦手ですが、規則に従ってこんこんと相手を説得するのは割と得意です。正義はこちらにあると信じている場合、いくらでも強気でいけます。根気もあるので最後は相手が折れます」
「それは正しい対応なのですか?」
「最初はうまくいかなかったんですけど、途中からほかの人が手に負えなくなった電話を回されるようになりました。時間をかけて丁寧に追い詰めていくと撃退できたので、そういう理不尽クレームばかり担当するようにになりました。真っ当なクレームはほかのみんなが対処できますから」
「うん、なるほど、適材適所ってことですね」
「はい、私のアルバイトの中で、いちばん長続きしました」
「よくくじけませんでしたね」
「学費も生活費も自分で賄っていましたから、ぜいたくは言ってられませんでした」
「そうでしたか」
「なので、怒鳴られたり罵られたりすることにも耐性があるんですよ」
ニコリと笑う梅子に、小野はいたたまれないものを感じた。
そんな小野のちっぽけな感傷になど梅子は頓着せず、
「そういえばさっきのグツグツいうのが保留音なのは分かりましたけど、メロディもないし、いったい何の音ですか」
と、話題を変えた。
「ああ、あれは地獄の釜の茹だる音ですよ。本来はもっとゴポリ、グポリと粘度のあるえげつない音なんですが、あんまりでしょう?」
「何を茹でている音か、言わないでください。ほかの音ではダメだったんですか」
「あとは地獄の業火くらいでしょうか。でもこれはゴーゴーボーボーいうばかりで、回線の不具合と間違われるものですからお蔵入りとなりました。悲鳴やら絶叫やらも候補にあがりましたが、おそらく不評でしょう。というわけで、あのグツグツです」
「地獄から離れるという発想はなかったんですね」
「みんな冥界に愛着持ってますからね」
小野は少し自慢げに言った。
「今日のところは僕が付いていて、困ったときには助け船を出しましょう。閻魔様のことですから、単に手が空いているというだけで菅原さんを選んだとも思えません。お手並み拝見といきますね」
小野は一度部屋から出て行き、大量の書類を抱えて戻ってきた。
「僕はここで仕事をします。菅原さんもコールが鳴るまでは、こちらの資料に目を通してください。これまでのクレーム対処の記録です」
「ありがとうございます」
梅子はクレーム対策の事前学習をしながら、本番に備えることになった。
読んでいただき、ありがとうございました。




