14. 夢のあとさき
枕元に明かりがともった。
『ああ、またこの夢だ』
梅子は開かないまぶたを無理やり開けて、目の前に立つ男を見つめた。
「こんばんは」
今回はすんなり声が出た。
「また来たぞ」
閻魔様は偉そうにそう言って、見てみろと言わんばかりに両腕を広げた。
「小野のせがれの服を真似てみた」
「スーツ姿でもコスプレみたいですね」
「むう。似合わぬか」
「お顔が閻魔様ですもんね」
梅子は失礼なことを言っている自覚はあったが、どうせ夢の中だし不敬罪にもなるまいと考えた。
「仕方ない、今夜もそなたの身体を借りよう」
何やら不穏なセリフが聞こえたと思ったら、耐えがたい眠気に襲われて、梅子はベッドに崩れた。
気づくと竹林の中にいたり、橋を渡っていたりしている。歩いている感覚はない。暗闇なのになぜか周りが見えている。『夢だから、そういうものか』と納得し、さらに道なき山を進んだり、河川敷で川の流れに見入ったりしていた。『もっと楽しい夢がいいなあ』梅子がそう思うと、『我は楽しいぞ』という声が頭の中に響いた。
『閻魔様?! どちらに?』
『そなたの中だ。身体を借りると言ったろう』
『ああ、はいはい、夢ですね。お貸ししますよ。レンタル料はずんでくださいね』
『よかろう』
そして閻魔様が機嫌よく笑ったので、梅子は安心して眠りについた。
翌朝。
職場見学三日目は、小野の部屋に着いたとたん、激しいノックの音から始まった。
「小野さーん、いらしてますかー」
ダンダンダン
「小野さーん」
ダンダンダン
小野は不機嫌そうにドアを開けて、
「着替えるから三分待って。茶も入れるからさらに五分」
そう言って返事も待たずにドアを閉め、隣の部屋で着替えて、お茶の乗ったワゴンを押してきた。
「はやっ、五分かかってないですよ」
「菅原さん、ごめん、たぶん面倒くさい案件だから、ここでお茶して待っていてください。本でも資料でも適当に読んで構いません。お茶はドクダミ茶です」
「効能は?」
「デトックスと高血圧予防です。では行ってきます」
「行ってらっしゃい」
小野は袖のたもとをひるがえし慌ただしく出ていった。梅子は立ったままそれを見送った。
一人残されてすることもないので、梅子は座ってドクダミ茶をいただくことにした。
いったい何種類のお茶を用意しているのだろう。健康オタクなのだろうか。ちゃんと効能を知っているのがすごいと思った。
ドクダミ茶は、予想よりやわらかく甘い味がした。
『ま、待て、飲むな』
「ん?」
何かくぐもったうめき声のようなものが、身の内からにじみ出てきた。
「お茶のせい?」
梅子がもう一口飲むと、
『出る! 出るからそれ以上飲むな、待ってくれ』
その声と同時に梅子の輪郭の内側から、質量をもった何かが、どろりと出てきた。
「何! なんで! 閻魔様?」
床にうずくまるスーツ姿が似合わない大男は、昨夜夢で見た閻魔様だった。ゼイゼイと呼吸も荒く、恨めし気に梅子を見上げた目は血走っていた。
「お前、これから上司になる我に容赦なさすぎだろう」
「あの、どういうことですか。私のせいなんですか」
梅子にはまったく心当たりがない。
「京都の夜を一緒に歩いただろう」
「あれは夢です」
「そなたの身体を借りると言っただろう。そなたの目を通して見て回っていたのだぞ」
「夢だと思っていました」
「ちゃんと許可も取ったぞ、覚えておらんのか」
閻魔様はすっかり息を整えて、横目で梅子を見た。梅子はおぼろな記憶をたどった。
「あ、あー! 私がレンタル料はずんでくださいって言ったら、よかろうって答えましたよね。思い出しました」
「ふむ、そこはしっかりしておるな」
「それで今の今まで私の中にいたのですか。全然気づきませんでした」
「我は冥界の身体なのでな、向こうの世界に滞在するのは負担がかかるのよ。そなたも冥界では疲れ方が違うだろう? それと同じよ」
「なるほど、そういうものなのですね」
「そして思った以上に長居してしまって、ついそなたの中で眠ってしまったのだ。こちらでなら十億年寝ないでも、なんともないのだがな」
「眠る気持ち良さを知らないなんて」
梅子は可哀そうに思った。
「そうだな、眠りとはなんと心地よい快楽であることか。その抗いがたい悦楽に浸っていたら、頭から茶が降ってきたのだ。なんだあれは!」
「ドクダミ茶です。小野さんが淹れてくれました」
そこに至って梅子は気づいた。
「デトックス!」
「なんだ、それは」
「ドクダミ茶の効果ですよ。体内の毒素や老廃物を排出してくれるんです。閻魔様は冥界の方ですから、私にとっては毒素というか異物扱いになるってことでしょう」
「うむ、不本意ながら認めざるを得ないか。デトックスとやらをされたのだな。仕方あるまい。うっかり寝付いてしまった我のせいでもあるからな」
「閻魔様も飲みます? ドクダミ茶。あちらの空気もデトックスしておいた方がいいのではないですか」
「そうだな、気が利くな。いや、待て! そのドクダミ茶もお湯も、向こうから持ち込んだものだろう。我がうっかり飲んではいけないのではないか」
「あ、そうですね、閻魔様丸ごとデトックスで消滅とか笑えませんよね」
「恐ろしいことを言うでないわ」
「じゃあ、一人でいただきます。小野さん帰ってこないとすることがないので」
「小野のせがれはどうしたのだ」
閻魔様もソファに座ってくつろぎ始めた。
「すごい急ぎの用件らしくて、着替えてお茶淹れて出ていったので、何の用事か分かりません。
ところで閻魔様、身体のレンタル料の件、貸しにしておきますので、いざって時に使わせてくださいね」
「分かった。それより、こちらで働く覚悟は決まったのか。積極的に見学して回っていたようだが」
「そうですね。いいかげん腹をくくろうと思います。女性の先輩も生き生きと働いていましたし、やっていける気がします」
「そうか、正式な契約は小野の立会いのもとでな」
「あの、そういえば閻魔様の最終面接があるって聞いたんですが」
「これがその面接だな。まあ、小野が連れてきた時点で合格は決まっていたがな。もし、どうしても冥界がダメなら、六道輪廻に放り込んでやるから、またいつか人間にもなれるだろう」
「それを聞いて安心しました」
「そういえば小野から聞いているか? 向こうの世界からリクルートされて来た者には、希望の能力を一つ授けるぞ。何が良いか考えておくがいい」
「ええと、それは例えばどのような?」
「そうさな、空を飛べるとか、数時間だが姿が消せるとか、千里眼とか、まあ色々だ。すぐでなくていいぞ。それを考えるのも楽しかろう」
「だったら私、さまざまな言語を古語も含めて読み書きできる能力がほしいです。漢字だらけの古文書とか梵字とか、地道に学んでいる時間が惜しいです。小野さんのところで働くには必要ですよね」
「ふうむ、なかなか大それた願いであるな。だがしかし、仕事に必要とあらば良しとするか。相分かった。契約の折に授けよう」
「やったー」
梅子と閻魔様はすっかり打ち解けて、梅子が覚えていない夜の京都散策の話で盛り上がった。
その頃閻魔庁では、朝から姿の見えない閻魔大王を捜して、司命・司録の書記官をはじめ大勢の下級官吏まで駆り出されて右往左往していたのだった。
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