1. リクルートする人 される人
軽く読めて、くすっと笑える作品を目指しました。よろしくお願いします。
川面がゆらゆら波打つのを、菅原梅子は橋の上から眺めていた。
日暮れにはまだしばらくあるが、すでに真夏の暑さは遠のいて、心地よい風が梅子の肌をなぞってゆく。
「もう、いいかな」
誰にともなくそう言って、梅子は使い込んだリクルートバッグを足元に置き、踵の減った黒のパンプスを並べて脱いだ。橋の欄干に両手を掛けると、ぐいっと伸び上がった。
「ちょ、ちょっと待って!」
思いがけないほどの近さで叫ばれ、次の瞬間には抱きとめられていた。
梅子は、飛び降りを邪魔された怒りと、知らない男に触れられた嫌悪感で叫び返した。
「放してください。今、忙しいんです」
振り返って睨みつけると、見知らぬ若い男は降参というように両手を上げて、
「いや、忙しくはないよね?」
と、呆れたように言った。
「止めないでください。迷惑です」
そうは言ったものの、梅子は、先ほど一人きりで思いつめ、なけなしの勇気を振り絞って飛び込む覚悟を決めたのだ。今から気持ちを立て直すのも難しい。宙ぶらりんな気持ちを持て余し、途方に暮れてしまった。
「もう、行ってもらえますか」
「また、飛び込むつもりですか」
「あなたに関係ないですよね。目の前で死なれたら後味が悪いというのなら、あなたが見えなくなるまで待ちます」
「待つ時間があるんですか? 忙しいんじゃなかったですか? それならちょっと話を聞いてほしいのですが。お願いです、五分でいいです。悪い話じゃないと思います。むしろ、あなたにとって渡りに船の話だと思います。どうですか、人生に絶望して真っ暗なままの気持ちで死ぬのと、最後の最後で人の願いを聞いてあげて良いことしたなあって思いながら死ぬのとでは、だんぜん僕の話を聞いた方が良いですよね?」
「近い近い近い!」
見知らぬ男は、突然変なスイッチが入ったかのように、息継ぎもせず喋りながら迫ってきた。
男の勢いに押され、梅子の一途に思いつめていた気持ちが少し冷めた。人生を閉じるのは先に延ばすことにした。
それから梅子と男は、橋のたもとの小さなベンチで話をすることになった。
雑草がいいあんばいに伸びていて、周りの目は気にならなかった。
「それで、私にとって悪くない話って何ですか。今なら、あなたの言う良い話のことごとくを論破できる気がします」
「なんでそう攻撃的なんですか。就活うまくいってないんでしょう?」
「いきなりそこ抉ります? 飛び込みますよ!」
「わあ、待ってください、すみません。僕これでいつも失敗するんです。単刀直入過ぎて相手を怒らせてしまって。話を最後までする前に逃げられてしまうので、素敵な提案も聞いてもらえずじまいなんです」
「素敵な提案ていうのも怪しいですね」
「まあ、そこは聞いて判断してもらえれば。
まずは自己紹介からいきましょう。僕は小野といいます。平安の頃より続く家系ですが、代々とある方の補佐をしています。職場はここから離れていますが、今はリクルーターとして東京に出張で来ているんです。業種が少し変わっているので、既存の就職展にブースを構えることもできません。
また、もう一つネックになっていることがあってですね、未来に輝かしい希望を抱いているような眩しい若者には、この仕事は斡旋できないのです。世を儚んで死ぬ直前であるとか、この世に未練はいくばくもないというような、現世と縁の薄そうな方がターゲットなのです」
「その求人要件に、私が合致していると?」
剣呑な目で梅子が睨むと、小野は慌てた。
「あ、引いてますか? 引いてますよね。そうなんです、みんなここらで怒って帰ってしまうんです。でも、ここからです。最後まで聞いてください。僕の練習を見届けると思って。人助けだと思って、お願いします。悪くない話です」
「ここから挽回できるとは思えないんだけど」
「大丈夫です、今日はいけそうです。
その前に、菅原さんの話も聞きましょう。あなたの現状や、今後の希望なども知っておいた方が、的確に提案できると思いますので」
「話すことなんて、・・・」
「この際、ばーっと、ぶちまけてみましょうよ。就活連敗の記憶と、見る目のない採用試験官への恨みつらみを。そうしたら、いかに僕らの職場がクリーンでアットホームか分かると思います」
「出た、『クリーン』に『アットホーム』。ブラック企業の典型的な誘い文句じゃない」
「何をおっしゃる。今時、働き方改革は津々浦々に広まっており、言葉そのままに受け取ってもらっていいですよ。何か嫌な経験があるのですか?」
梅子は言葉に詰まった。
小野は口をつぐんだまま、辛抱強く待ってくれた。
「アットホームだという職場に、内定前の研修だと言って連れていかれたんです。普通の家の居間みたいなところで、ガチャガチャのカプセル詰めをやらされました。次の日はシール貼り。器用ならアクセサリー作りをやってもいいよって言われましたけど、さすがにおかしいって思いますよね。
一緒にやっているおばちゃんに、これで正社員になれるんですかって聞いたら、『パートならともかく、たかが内職から正社員は無理じゃないかねえ』って言われました。アットホームって、社員仲良く親しみやすいってやつじゃなくて、at home 文字通り自宅でできる内職のことだったんです。二日分のお給料をもらったけど、時給に換算したら五百円くらいでしたよ」
「賽の河原の石積みくらい延々と果てしなさそうな作業ですね」
「その例えはどうかと思うけど。
それから『クリーン』の方ですけど、これも言葉のまんま、駅の清掃でした。しかも、正規の人がお孫さんとディズニーランドに行きたいから、一日だけ代理でやってほしいって。
そのほかにも職種を問わずエントリーシート出しまくったけど、なんの資格も特技もない私は、半分以上が門前払い、試験や面接も一次止まり。不採用のお祈りメールが届かない日はないくらいよ。
もう、どんな仕事でも定職に就きたいって思ったけど、ダメみたい。短大二年の十月に内定が決まってないようじゃ、もう見込みないんじゃないかって。両親も兄弟もいないし、私が今この瞬間この世から消えたって、きっと誰も気にしない。もういいや、死んでやれって思ってたのが、さっきの橋の上の私。
だけど、小野さんが声かけてくれたのも何かの縁かもしれない。仕事内容も分からないけど、ダメもとで乗ってみようかな。
私、もう少し生きてみる」
梅子は、決意を込めてそう言ったが、小野を見ると、困ったような顔をしていた。
「どうしたの、リクルートしてくれたんじゃないの? それとも、こんな経歴の私じゃ採るに値しないってこと?」
「いえ、とんでもない! 採用基準を大幅にクリアしています。いますぐ採用通知をお渡ししたいくらいです。ただ、・・・」
「ただ・・・?」
「生きていてもらっては困るんです!」
読んでいただき、ありがとうございました。