第十四夜 私も腐ればいい
母と義父は離婚した。
どちらの涙も見なかった。
ただ、古びた家具と段ボールふたつを手に、私たちは小さなボロアパートに引っ越した。
「引っ越し」なんて言葉、笑える。
持ってきたのは制服と下着と、数着の服とライブTシャツ一枚だけ。
それでも十分だった。
もう、学校には行かないし、制服を着る予定もない。
私は、コンビニの店長に頼んで、朝から夕方までのシフトに変えてもらった。
これからは、家計を支える側の人間になるらしい。
でも、母にはもう男がいる。
本人は何も言わないけど、スマホを見る頻度とか、休みの日の香水の匂いでわかる。
その人とは離婚前から会ってた。
知ってる。ずっと、知ってた。
「どいつもこいつも」
そう口に出したとき、自分の声が思ったよりも冷たくて驚いた。
この街も、この家も、この国も――
全部おかしい。
学校も、家族も、正しさも、
とっくに腐ってるくせに、
こっちが壊れたら“問題児”って言われる。
ふざけんな。
だったら、私も腐ってやる。
真面目に生きて、誰かに期待して、
踏みにじられて、それでも何かを信じろって?
そんなのもう、無理だ。
「行こう」
私はそう呟いた。
“最後のライブ”に行こう。
二ヶ月ぶりのクリキャのライブ。
Masakiの声を聞くのは、それぶりになる。
次の給料は、母に渡さない。
生活費にも、電気代にも、回さない。
私は、私のために使う。
そのチケットで、Masakiに喰われて終わるために。
制服はもうないけど、
ボロボロのバンTにジーパンで、
私は“最初の頃の私”に戻って、またステージに立ち向かう。
もし、今日何も起きなかったら、
たぶんそのまま、どこかの線路にでも座ってしまうかもしれない。
でも、まだ――
Masakiの声に、救われる可能性がゼロじゃない限り。
行くしかない。
これが私の祈りで、私の遺言。
電車の窓に映る自分の顔は、いつもよりちょっとだけ大人びて見えた。
たぶん気のせいだ。
髪も整えてないし、化粧だってしてない。
でも、目だけが、少しだけ鋭くなっていた。
そう、これで終わるなら、
今日のこの目で、Masakiの顔を焼きつけて終わる。
誰かの隣席で優越感に浸ってるあの女がいたとしても、私はもう逃げない。
邪魔だと思えば、押しのける。
この感情を“最後にする”って決めたから。
駅の改札を抜け、ライブハウスへと続く道。
空気が変わる。
あの照明、あの音、あの香り。
そして――あの人の声。
耳の奥に、遠い記憶のように響いてくる。
「また来いよ」
前に、Masakiはそう言った。
たぶん、ただのファンサ。
でも私は、ずっとそれにしがみついてた。
だったら今日、私は来たよ。
あんたに喰われるために。