第十夜 行きたくて、怖い
昨夜は、結局、母に電話をした。
駅まで迎えにきてくれた母は、あのクソ義父の話には触れなかった。
でも帰宅後、誰にも聞こえないようにして、私にそっと封筒を渡してきた。
中には、五千円札が一枚。
「……ごめんね。これで、なんとかなる?」
小さな声。
それでも十分だった。
私はただ、頷いた。
とりあえず、今日のライブに行って、観て、帰ってくるには十分な金額だ。
物販も行けない。
チェキも買えない。
でも、Masakiの声を聴ける。
それだけで、今の私には“生きてる意味”だった。
夕方の町田駅は、普通の土曜日の喧騒に包まれている。
制服を脱ぎ、地味めな私服に着替えてきたのに、背中にはまだ昨夜の傷がこびりついていた。
目立たないように歩いているつもりでも、
「昨日のあれ、見られてたよ」って誰かに指差されるような気がしてならなかった。
Masakiの声が聴きたい。
でも、Masakiの目が怖い。
あの“目”に、私はもう見られた。
あれはライブの輝きじゃなかった。
泥まみれの私が、神様に見つかってしまった夜だった。
それでも行くの?
自問した。
何度も自分に問いかけた。
「行くよ」
唇だけが、震えながら答えていた。
あの女の声が、頭にこびりついて離れない。
「Masaki、もういいじゃん。そんな援交女、ほっといて行こうよ」
あの瞬間、何かが崩れた。
それまで、私は“喰われたい”だけだった。
でもあの一言で、“喰われた女”たちが敵になった。
あの女、今日も来るかもしれない。
Masakiが“定期的に食べてる”女。
美人で、派手で、ファンサをもらって当然みたいな顔をしてる。
あんなのに、負けたくない。
でも――
Masakiに会いたい気持ちより、その女に会いたくない気持ちが勝ちそうになる瞬間がある。
足がすくむ。
駅前の歩道橋の上で、私はしばらく立ち尽くした。
チケットは鞄の中にある。
あんなに手に入れるまで必死だったくせに、今は“燃えるゴミ”みたいに感じる。
「このまま行って、また何か起きたらどうしよう」
「Masakiに、もう一度会ったら泣いてしまうかも」
「また汚れてるって思われるかもしれない」
思考がループする。
でも、そのすべてを断ち切るように、私は深く息を吸った。
違う。
私は、祈るためにここに来たんだ。
神様に会うために、制服を脱いで、駅に立っているんだ。
たとえ、昨日Masakiが誰を喰ったとしても――
私は、今日も“開封待ち”のままここにいる。
それが、たったひとつ残った“信仰”。
神様が私を覚えていなくても、
私は神様を、忘れない。
この街で、私は祈っていたはずだった。
それを、壊されてたまるか。