髪を解き、夜露に濡れる指先は
雰囲気、というのは便利なことばである。雰囲気に頼りすぎる私は、なんとなし、という言葉も好きだ。幾通りも余裕がある感覚にだまされている気がして、心地良い。
私は、闇の雰囲気が好きだ。恋愛感情と闇とは、相互に作用する。通い婚は闇の中訪ねる男と女の恋模様だが、とりわけ、男がいつまでも通ってくれない闇の中の恋の雰囲気が好きだ。恋はひとりきりのときに育ち、相手不在の形がない恋は、恋のその雰囲気に押しつぶされそうになったり、夢が膨らんで酔いしれたりする。「住の江の 岸による波 よるさへや ゆめのかよひぢ ひとめよくらむ」の歌にあるように、夜の道をかき消す波の音の中で、夢でさえも通ってくれない男を、ひたすら恋い待ちわびる女は、闇に透けて行きそうなか弱さを連想させる。その闇の雰囲気は、幾層もの恋心で女を包み込み、一途なそのひたむきさは、歌に色を与える。
『源氏物語』の夕顔の巻。源氏によって荒れ果てた屋敷に連れてこられた夕顔は、源氏の胸に抱かれながら美しい女の物の怪に憑かれてしまう。おどろおどろしい闇は夕顔のいのちを奪ってしまうのだ。女の嫉妬心は闇を纏って夕顔に覆いかぶさる。源氏の愛を一身に受けた夕顔は、自分の身の上を自身で決めることもできず、夜に引きずり込まれるように亡くなってしまう。夕顔のはかない雰囲気は、その名の花にも似て、一瞬で燃えあがり散ってしまった恋のお話として強く印象づける。
雰囲気は、色を添える。闇は幾重にも重なる色の層であると言えるし、恋愛感情はそれに含みを与え、音を際立たせ、感情は柔らかに降り注ぎ、痛みとして訴えてくるものだ。なよやかで、はかなく、運命的で、神秘的。たゆたう闇夜に寄る辺のない自分をあずける。たちまちにいざなわれた一夜、物語が始まる。
髪を解き、夜露に触れる指先は、今日も迎える闇を色づく。