第一話 やがてお掃除ロボットでさえ俺達を殺しにくるのか? 2
「しかし契約した入居者の方々が入る前のこのビルでよかった。入居者がいる他のビルならとてもこんな事は容認出来ないからな。君達はこのビルに警備システムのパッケージが出来ないか見積もりと下見チェックしに来た。そこで”ついでに”あの野良化しているロボットを回収しに来た。それでいいか?」
「そう言っていただけると、ありがたいです。ありがとうございます梶社長。よし次秀行こか! お前は今、森川智之や」
「森……誰です?」
「まさか知らんのか? トム・クルーズの吹き替えしてる人や。ミッションインポッシブル!」
青森さんがバッ!と、体を大の字にしてみせるが。
「そ、そっすか……」
どう返事していいか分からないので、至極テキトーに相槌をうつ。
このやりとりで西条さんが青森さんについて、以前言っていた事を思い出した。
「青森は時々、最強の魔法を使う」と西条さんが以前に俺に言った事がある。
そのセリフに俺が「なんです?」と西条さんに聞くと。
「青森は周囲の人間を一瞬にして、「もうどうでもいいや……」って疲れさせて意識を凍結させる現象を巻き起こす。俺はその魔法を”コールドスリープ”略して”コルスリ”って心の中で呼んでる。次ちゃんも気をつけてね」と俺に注意してくれた。
その時は分からなかったが、今、ようやく分かった。
これか……。
「とにかく頑張って行ってこい!」
「……………はい」
胸の前でずいぶんと大きな手の平ほどもあるバックルを止めて、股、腰、胴回りをフルハーネスで固定する。
装着すると中々に重く感じるものだ。
その重さに、あ、腰にワイヤー付けてるからだ、と気づいた。
ちょっと重さがあると歩き方が急に不器用になる。
ワイヤーに引かれつつ、おぼつかない歩みで屋上の端に立つ。
研修の時、このロープアクセスの実習があった。
電気屋であるから念の為の実習だったが、受けてよかったと今思う。
しかし……。
下に広がるミニチュアと化したパノラマな景色を見ると、いやぁ……やっぱり高い。
車がトミカより小さく見えるな。
「次秀、インカムを付けてくれ。昇降してたら風の音で会話が聞こえんからな」
「はい。では……」
フルボディーハーネス、チェストアッセンダー、ハンドアッセンダー、下降器、フットループ、セカンドバックアップ……。当たり前だが、かなり重装備だ。
携帯ヘルメットをかぶって、ワイヤーを引きテンションを確認する。
「い、行きます……」
ワイヤーにしがみついた俺の体が、ビル風に割り込むように下降していく。
リュウグウノツカイは三十三、四階の間にいる。
このビルの階数は五十四階。
二十階分の高さを下降する事になる。
「聞こえるか次秀、オーバー」
青森さんの声が耳に入った。
「はい、聞こえます。青森さんトランシーバーじゃないでしょ」
「一度言いたかったんや……。ありがとう、夢の一個が叶った。もうそろそろ五十階ぐらいやな。今のところ順調か?」
「えぇ。まぁ、順調です」
「じゃあ、ちょっとウチらしい仕掛けを出すな」
仕掛け?
「青森さん、何もしなくていいですからね」
「そのフルボディーハーネスは元々、ロープアクセス用やなくてな。要介護のご老人や体の不自由な人、または妊婦さんに開発されたモンなんや」
「はい?」
「重力場をかき消す、万有斥力のオプションが付いとるんや」
「万有……斥力?」
「そや、レアアースがそれを可能にしてる技術でな、それでそこにおるリュウグウもフワフワしとるんや」
「なんでもいいですが、とにかく今は余計な事は止めてくださいね」
「大丈夫やって、人形で落下させて試したら五体の内、三体は無傷やったからな」
「二体ぶっ壊れてるじゃないですか! あの……! 本当に危険ですから止めてください!」
それを試したかったから俺を行かせたのか!
この………!
だが俺の悪態は虚しく。
「スイッチ入れるぞ」
「ちょ………!」
ブン、とテレビの主電源を入れた時のような音が鳴り、俺の体に軽い振動が起きた。
「おぉ………。これは………」
「どや? 驚いたか? ちょっとは尊敬してくれてもいいぞ」
万有斥力。
重力場の歪みをかき消すとはまさに、青森さんがホザい……言っていた通りだった。
下へ下へと体が引っ張られる、地上で生きていたら当たり前の重力の感覚が無くなった。
不思議な感覚だ。
自分の体がシャボン玉にでもなったように、重さというものを全く感じない。
間違いなく俺は今、地上二百メートル地点で浮いている。
今、俺の体を誰かに押されれば、永遠とその押された強さで彷徨い続けるだろう。
地上でしっかりと立っているのが”確か”なら、逆に今は”不確かな存在”になったとも言える。
「で、次秀。胸にバックルあるやろ? それ開くようになってるから開けてみてくれるか?」
バックル?
胸元にあるやたらと大きなバックルに目をやる。
「開けたか?」
「ちょっと待って下さい……」
親指をバックルの上に引っ掛けると、本当に蓋が開いた。
「開けました」
「そのバックルがリモコンになっとる。環境打ち消し……風とか気圧で変速するのを遮断してるのと、あと推奨スピードってのが画面にデジタル表示されとると思う。見えるか?」
「えーと……はい。見えます」
黒い画面の中で、推奨時速 三キロと白く光っている。
こんなリモコンがあるからバックルがやたらと大きかったのか。
「その推奨がリミッターになっててな、その設定を消したらスピードは次秀が自分で調節できる。バックルの左上にある一番小さいボタンや。一回やってみるか? ブレーキボタンは画面の左で目立ってる赤いボタンや。で、画面の右に進行ボタン……上下左右のボタンがあるやろ」
「はい。この上下左右で進むんですか?」
「そう、それでもいいけど。推奨消したら、体を振ると体重移動だけで進む。進みたい方向と逆の方向に腕や足を振ったら進むようになる。ただし、スピードが結構出るから最初は軽くな」
「上下はどうやって進むんですか?」
「上に進みたい時は、例えばドルフィンキックするようにしたら上昇する。下方向はバンザイしたりとかやな」
「なるほど……。ちょっとやってみます」
「ただしいいか? 軽くやぞ! フリとちゃうからな! マジやからな!」
「は、はい」
強く年を押す青森さんに、困惑して返事をした。
そんなに移動するのか。
とりあえず、推奨ボタンを押すと表示されていた推奨が消えた。これで、自由に進めるのか。
まず下に向かうのは怖いので、左右に動いてみるか。
緩く、やんわりと右手で微風を起こす。
これで左に進む……はず……。が、微動だにしない。
緩くし過ぎたか?
もう少しだけ、手の動きを強めていま一度振る。
やはり動かない。些かビビり過ぎているようだ。
今度は徐々に強めて手を振る。
「次秀。あんまり何回もすると、ロケットみたいにエネルギーが溜まっていくから……」
……青森さん。
そういう事は早く言って下さい。
青森さんの言葉が聞こえたと同時に。
俺の体は音速の壁を越える実験をしているかのごとく。
煌めきの速さにして消えた。
「次秀!!」
青森さんの怒号がギリギリ聞こえた。
ビルって高速のスピードで見ると、ただの灰色だけの塊に見えるんだ。
そんな情報しか脳が判別しなくなっている。
「ブレーキや! 次秀! ワイヤーが伸び切る前に早く押せ!」