第一話 やがてお掃除ロボットでさえ俺達を殺しにくるのか?
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誰かに連れられて、どこかへ向かう時。
あなたはどうします?
え?
行き先をちゃんと確認してから行かれます?
それは結構。大いに結構。
うん、やっぱり、そうだよね。
人を信じてヒョイヒョイ着いてくと、どこに連れてかれるか分からないものね。
そうやってちゃんと確認しなかった俺は今、高さ二百二十メートルのビルの屋上にいる。
本日もここ虎ノ門ビルは陽当たりが良好。風も心地よい。
この場所に来たのはきっと、アレの回収が目的だろう……。
ビルの中腹にいる、エデンの製品である奇怪な魚マシーン。
この景観を壊しかねない、リュウグウノツカイの姿をしたロボットが、何故かピッタリとビルの中腹に寄り添っている。
わぁ! 鯉のぼりみたーい。
あのお魚くんは何のために、どういう理由で作られたんだろう……。
青森さんは隣りで、せっせとクレーン型をした巨大なリールを組み立てて、それを縁に設置している。
「あれなんです? 青森さん」
隣でしゃがみ込んでいる青森さんの背中は、黒いスタッフジャンパーに包まれている。その真ん中にあるメタリックブルーの”E”の文字が、スタジャンを斜めに着ているせいで少しM寄りに見える。
そんな青森さんが。
「物干し竿や」
と、すっぱりと回答した。
「はい?」
「アレ、物干し竿やねん。あのリュウグウ」
物干し竿……リュウグウノツカイが?
再び、恐々(こわごわ)と階下を覗く。
確かに背ビレにフェイスタオルが数枚、挟まっている。
全長は四メートルぐらいか。
そいつが″つ”の字になったまま、ビルの壁にくっついている。
「その……あのお魚は何してるんでしょうか?」
「うーん……。あの、リュウグウは洗濯物をより効率よく乾かす為に、ベランダで常に良い場所を探してグルグルと回る」
「はい……」
「で、その場所選びの際に、リュウグウがベランダ外に出て行って他の場所に行くっていう危険性を無くす為に、敷地内だけで巡回させるセンサーがある。まぁ、ロボットが存在していい”縄張り設定”やな。それは次秀も知っとるやろ?」
「あ……。エリアセンサーですか」
「そう。それがこのリュウグウは結構古いタイプやから、パーツが老朽化して縄張り設定がイカれてもうとるんやろう。で、より乾きやすい快適な場所を探してここまで来てもうた……っちゅうところやろな」
なるほど、と一応納得してみるも、分かったような、分からないような……。
このクレーンリールの使用方法が気になるが……。
それと俺達のずっと後方、塔屋の近くで腕を組んでジッと見つめる人がいらっしゃるんですが誰?
黒いヴァレンティノのスーツを着た、このビルのデベロッパーで森林ビル代表者の方だ。
そういえば、名前は聞いてないな……。
緊張して現場に到着した時、青森さんがその責任者の人と淡々と話していたが、俺はほとんど何も聞こえてこなかった。
「青森さん、あの……後ろの方……」
「ん?あぁ、梶さんか。どないした?」
「怒ってらっしゃいます? 威圧感が……」
「いや、怒ってない。むしろ宣伝になると見守ってくれてる」
「……宣伝? どういう事です?」
「つまり、このリュウグウは陽当たりと風通し最高の場所を探してたらここにたどり着いたっちゅうわけでやな」
「はい……あ……」
「そや。この虎ノ門ビルが最高の場所に相違ないってことで、迅速に回収、警察沙汰になる前にって約束で合意して下さった。まぁ、大介さん……ウチの社長と知り合いやからって事が大きいが……」
『でも、話を聞けば元々はセンサーの故障でしょう!? それ詐欺じゃないですか!』
俺がヒソヒソと青森さんに言うと。
『あのなぁ、次秀。全ての企業、サラリーマンが”こういう厄介ごとになりまして、すみません”だけやったら誰も得せんやろ? だったらお互いにメリットが出るウィンウィンの関係でいいやないか』
ウィンウィンの関係って、久しぶりに聞いた。
「よっしゃ! 出来た。じゃあ次秀、出番や!」
組み立て作業を終えて、親指を立てた青森さん。組み上がったのは、船舶などで使用されるウインチと滑車のようだ。
そうか。あの魚を釣り上げるのか。
「はい。あのリュウグウノツカイを、このウインチでもって釣るんですね?」
「いや、違う。そんな事して、下手にビルの壁面に傷を入れたらマズい」
「……? じゃあ、どうするんです?」
「うん。だから、これでやね……」
青森さんは、安全ベルトの束、フルボディハーネスを俺に見せて。
「……次秀が吊られてくれ」
「………はい?」
「吊り下がって欲しい。大丈夫、『絶対に安全』やから」
両手をグッと握りしめて、青森さんが力強く言う。
だけども。
俺は知っている。
誰かがこういう状況で、『絶対安全』という言葉を使う時は、決して安全ではないという事を。
「あの……安全でしたら、青森さんがして下さいよ」
ド正論をついた。
青森さんはその身に返ってきたブーメランな俺の言葉に、ちょっと気持ち悪くモジモジしながら。
「……ごめん。俺、この前、実は給料の都合で保険解約してん……」
と、俯いた。
「保険が無けりゃ出来ないほどの、危険なシロモノって言ってますよね……?」
そうなのだ。
気をつけなければならないのは、会社で開発部に所属、もしくは所属していた人達には気をつけなければならない。
なぜならば。
あわよくば新開発製品の実験台にしようとすり寄って来るからだ。
このハーネスだって、どんな仕掛けがあるか分りゃしない。
ただでさえブラックな部署に放り込まれたってのに、実験台にまでされてたまるか。
「どうしてもあかんか?」
燃え盛りそうな真剣な目で、青森さんが言う。
「はい……。ちょっと、無理です」
「じゃあ、俺にも考えがある……」
言った青森さんは『実力行使』に出る。
とてつもないスピードで、その場に伏せた。
地面に折り畳まれた体。両手は両肩の隣。
そして、頭はその場に接着させたかのよう。
それは正座よりさらに深い礼……。
そう。土下座だ。
「おねしゃーす!! 俺がやってもあかんねん! 仕組みが分かってるから客観的になれん! 第三者の意見が欲しい! 頼む、次秀やってくれ!!」
「ちょ、青森さん! やめて下さい! なんでそこまでするんですか!?」
「頼む!」
さらに推して、バッタより低い姿勢でひれ伏す先輩。
「分かりました……。やります、やりますから」
「ほんまか!?」
バッと顔を上げた青森さんの目は爛々と輝き……を通り越して、怪しげな光を放出している。
「ありがとう。絶対、断られると思ってたから。開発部の実験台になったら、半年間起きられんようになるとか、女の子はおろか、昔からの友人も寄り付かんようになるとか……そんな噂が流れてるからな」
そんなイヤな事を言いながら立ち上がった青森さんは、俺の手を。
「……お前、いい度胸してる。しつこいけどありがとう」
と、熱く握ってきた。
やっぱり何が何でも断った方がよかったかな。