不老不死と人狼 起
その日の空には、身の毛がよだつほど美しい満月が浮かんでいた。まるで何者かが我々を覗き込んでいるような錯覚を抱いてしまうような、真円を描く月。遠方からは、獣の甲高い遠吠えが鳴り響いている。
私は思わず、空に手を伸ばす。届くはずもないその手は空を切り、私はふと現実に戻された。それとほぼ同時。私の背後で、ガサッと音をたてて茂みが不意に揺れた。
後ろを振り返る。目の前にいたのは怪物。全身が薄っすらと銀色が混じった毛に覆われ、その二足でそびえ立つ体躯は私を優に見下ろす巨体。そして何よりも、その相貌は人間のそれではなく。鋭い牙、オレンジ色に煌めく瞳、頭部には誂え向きの獣耳。
人狼。そう聞いて、十人が十人想像するような存在が私の目の前に居た。
「――」
「ワゥオオオン!」
私が話しかけようと口を開くより早く、人狼は声を上げながら私に飛びかかった。巨体は私を弾き飛ばし、強い衝撃が私の背を襲う。
「ッ――」
私が覚えてるのはここまでだ、打ちどころが悪かったのかプツリとそこで私の記憶は途切れてしまった。
◆◆◆
「と、言うことが昨晩あったんだよ」
時刻は正午を過ぎ十三時前、神妙な顔つきでダフネはそんなことを語った。
「……寝坊した言い訳はそれで以上か? 夢の内容なんて別に俺は聞いてないぜ」
ダフネは時間にルーズすぎる。要するに寝坊や遅刻の常習犯だ。最近は口うるさくした結果が実を結んだのか、その悪癖が改善されて着ていたはずなのに……。まあ、これでもマシになった方か。ひどい時だと、一日二日待たされることなんてざらにあったのだから。
「ほう、私が虚言を吐いていると? 馬鹿にするなよ、寝坊の一つや二つ。私なら、堂々として見せるね」
全く持って威張れる内容ではない。が、ここまで堂々としていると逆に清々しさを感じてしまう。
「はぁ……別に良いけど。急ぐ旅でもねえ、待たされてるのも慣れてる。ってかよ。だとしたら、さっきの話は一体何なんだよ。まさか本当に見た夢の話なんかじゃないだろうな?」
「だからさっきも言った通りさ。襲われたんだよ、人狼に。意識が戻ったのが明け方だったから、大方それまで殺され続けたんだろうけど」
ダフネがこんな嘘を付くとは思えないが、同時にどうも誂われてるような。また、何かを隠しているような、そんな気がしてならないのはどうしてだろうか。
「人狼って……あれかぁ? 童話で出てくる――」
俺がダフネに訪ねようとしたまさにその時だった。背後で突然、ハスキーな女性の声が聞こえた。
「いや、人狼は存在するよ」
慌てて俺はその場から飛び退く。声をかけられたことに驚いたのではない。俺が驚いたのは、先程までなかったはずの人の気配が突然現れたことに対してだ。自慢ではないが、俺は人の気配には敏感だ。にも関わらず、一切のそれを悟らせなかった眼の前の女に俺は、警戒心を上げざる得ない。
「お前……何者だ」
「……あれ? その反応、ダフネちゃんからまだ聞いてない感じ?」
アッシュグレーの髪を肩ほどで揃えた、背の高い女性はそう言って小首をかしげる。
「すまないなオレン。今話そうと思ってたんだ」
ダフネの反応を見るに敵ではない。むしろ、この女とは親しげな雰囲気が感じられる。
俺はようやく警戒心を解き、ダフネに問いかけた。
「知り合い、なのか?」
「ああ、こいつの名前はオウレン・シオドマク。何ていうか、そう腐れ縁ってやつだよ」
オウレンと呼ばれた女性は、どうにもその紹介に納得がいかない様子で、不満を全面に押し出しながら口を開いた。
「腐れ縁なんて酷いじゃない。一夜を共にした仲なのにさ」
「……」
ノーコメント。ダフネの恋愛事情なんてのにはてんで興味はないが、まさか対象が女性であったのは予想外だ。
「確かに、私はお前には散々食われたな。……物理的にだが」
物理的にって。ああ、成る程納得した。どうやらこのオウレンとか言う女性は、ダフネと同類のようだ。含みをもたせた言葉で相手をからかう、俺の苦手なタイプ。
「ってことは、話の流れ的にこいつが……」
「そうだ。昨晩私を襲った人狼、その張本人って訳さ」
「ご紹介に預かりました! 人狼のオウレンだよ」
類は友を呼ぶという言葉があるが、全く持ってその言葉の正しさを実感させられる。ダフネの知り合いはこんなのばっかりかよ。一癖も二癖もある、そんな人脈ばかりな気がしてならない。まあ、俺もその一人に数えられるんだおるけど。
それにしても納得した。さっき俺が背後に立つ彼女に気が付け無いのも無理はない。だって俺が敏感なのは人の気配であって、獣の気配はその適応範囲外だからだ。
「で、説明してもらおうか。あんな人里に近いところで何をしていたんだ。襲われたのが私だから良かったものを……。いや、それより何故人に襲いかかるような真似をして――」
「ごめん、ってダフネちゃんは謝って欲しいわけじゃないよね。これでも最近までは、ギリギリで理性を保ってたんだけどね……。心配しなくても襲ったのはダフネちゃんが一人目だよ」
二人の話を俺は理解できないでいた。俺が知る人狼ってのは、一重に人に仇名す存在だった。だがそうにも話の流れ的にそうではないようだ。
「待ってくれ。人狼ってのは人を襲うのがデフォじゃないのか?」
「まさか。私達は基本的に人を襲わないよ。むしろ、人を殺すのはタブーとされてるぐらいだしね」
「いや、でも俺が知る人狼ってのは……」
「君が知る人狼のイメージってのは大方、民話とか童話に出てくるアレだろ? なら、仕方ない。ってよりそう風潮を広めたのはほかでもない人狼族だからね」
オウレンは語る。人狼という存在について。
人狼、またの名をウェアウルフ。狼人間と言う人もいれば、ワーウルフとも言われるそれは。有名な童話に出てくる存在だ。派生して多くの説話や小説にも登場しているが、その全てに共通しているのは、人に仇なす存在であるということだろう。
月夜に姿を真の姿を表し、人を食らう。人にも、狼にもなりきれない悲しき怪物。
曰く、丸いものを見ると狼の姿になってしまうとか。曰く、銀の弾丸が弱点であるとか。他にも多くの話はあるが……。多くの人にとっては、人狼は架空の生き物で、それが出てくる物語はフィクションとされている。
しかし――現実は異なる。
人狼は実際に存在している。今、目の前にオレンという存在が居るように。彼女こそが数少ない人狼族の生き残り。伝説上の存在そのものである。
そして、何故童話で語られるようなマイナスのイメージ。人に恐れられるような風潮を自分たちで広めたのかと言えば――人からの接触を避けるため。
というのも、人狼族には人に滅ぼされた歴史があるらしい。人は人でありながら獣でも有る、そんな異端な存在である人狼族を恐れ迫害したそうだ。だから、そういった悲劇を二度と起こさないように、基本的には自分たちの存在を空想上のものとして、世界から隠れることを選んだのだという。
だがそんな話、勿論俺は見たことも聞いたこともない。しかしそれも仕方がないのだろう。過去に葬り去られ、それを知っている人間なんてのはもうダフネぐらいという昔、昔の話らしいから。
「だが、昨晩は私を襲った。……まさかお前、そうか。もうそんな時期なのか」
オウレンが説明する間、静観に徹していたダフネが唐突に何か思い至ったような声を出した。その声にはどこか感慨に浸るような思いが含まれていた気がした。
「そういうこと。そろそろ決めないと駄目なんだよね」
「どういうことだ?」
「……簡潔に言えばだ。決めないといけないんだ――人として生きるか。それとも狼として生きるか」
曰く、一定期間生きた人狼族は徐々に精神が獣に寄っていく。そうして最終的には身も心も、どこにでもいるような狼へと変化してしまうのだ。だが例外、人として生きる道も存在している。その方法とは。
「人と番になって、子供を授かれば良いのさ」
「……そんだけ?」
「それだけ。けど、それがこの上なく難しいの。なんて言ってもこの身の半分は獣だからね……」
そう語るオウレンの顔は憂いを帯びており、自身の発言が不用意だったと感じた。よく考えてみろ昨晩お出来事を考慮すれば、オウレンの身が既に獣へと寄っているのは明白。すなわち人間のそういった相手が現時点で存在しないのだろう。
「にしても、驚いたよ。ダフネちゃんが男を引き連れているなんて。もしかして、私の為に連れてきてくれた訳だったり――」
「な訳無いだろう。それにコイツは止めておけ、お前に八つ裂きにされる趣味があるなら別だが」
「八つ裂きって……。あれ? あんまり冗談じゃなさそう」
まあするだろうな八つ裂き。いや、殺し方は決まって無いが俺に特定の親しい人間が出来てとして、殺さずに我慢するなんてのは不可能だろう。
「そもそもオウレン。お前、五十年前は相手がいただろ。名前は確か……」
ダフネが何かを思い出そうと首を捻ったと同時だった。ドンという音を立てて、勢いよくオウレンはその場から立ち上がり、ダフネの話を中断させる。
「忘れた。もう五十年も前の話だしね」
「……そうか、それはすまなかった。五十年という月日は充分に長い時間だったな。失念していたよ」
ダフネの言葉の裏を汲み取れば、それはつまりダフネにとって五十年という時間は分厚い叙事詩の一ページの様なものなのだろう。どれほど長く、永く生きればその様な感覚になるのかなど、俺は考えたくもない。
しばしの沈黙。ダフネとオウレンの間に何処か気まずい空気が流れる。互いの地雷踏みあったようなものだ。それも仕方ないだろう。伴って、初対面の俺は殊更気まずいわけであるが。その様な空気を変えたのはオウレンの方だった。要因を作った責任を感じたのだろう。
「ところで。ダフネちゃんは態々こんなところまで何しに来たの? その様子じゃ、私に会いに来たって訳でもなさそうだし」
「ここに寄ったのは偶々だ。つまらない捜し物をしている途中で……コレなんだが」
そう言って取り出すのは幾何学模様の描かれた厚底の瓶。中には俺たちが今までに集めた紅に輝く賢者の石。それを見たオウレンの反応は俺たちの予想外のものであった。
「えっ、それ多分持ってるよ」
「「は、はあ!? マジで?」」
「マジマジ。大マジだよ。人狼族に伝わる家宝って言われて、代々受け継いでるものらしいけど……。欲しい?」
「喉から手が出るほどに」
その言葉を聞いたオウレンは何かを思案すること数秒。そして、何かを思いついたかのようにニヤリと口角を上げて、俺たちに意気揚々と告げた。
「いいね! じゃあさ代わりに一つ頼みを聞いてもらおうかな!」