第七十話 前線の崩壊 ③
前陸軍は雪崩のように押し寄せる吸血鬼と正面衝突した。後方でそれを見る主力部隊は、前陸軍が目の前の重装甲目標に敵うはずないと思っていた。
だが、現実は大きく違った。機動力のある者は近くの建物の壁に跳び移ったかと思うと、地面を走るかのように建物の壁を駆ける。そこから宙に跳んだかと思うと、今度はその間に、砲弾を撃ち出す。それは敵の脳天を貫き、一撃で絶命に至らしめた。
吸血鬼達は宙を舞う前陸軍の者の体勢が悪いと見て、即座に砲口を向ける。だが、それは前陸軍の仕込んだ巧妙な罠の内の一つだ。
「奴さん、ちと、正面が疎かなんじゃない?」
その言葉が放たれた次の瞬間、丘の上から大口径の榴弾が放たれた。それは弧を描くように飛翔し、吸血鬼が密集する場のど真ん中に着弾した。榴弾の爆発は、吸血鬼を吹き飛ばし、さらなる隙を生み出させる。
「乙月、隙を作ってくれたこと、感謝します」
次の瞬間、狙撃に徹していた丙月が発砲する。旧式ながらも乙月に近しい口径を持つ対戦車砲弾は、吸血鬼の胸部に取りつけられた装甲板を貫き、体を貫通すると、そのまま直線上にいた吸血鬼をも貫いた。
それと同時に、先ほどまで宙を舞っていた者達が体勢を整え終え、満身創痍の吸血鬼達に襲い掛かる。その手にはダガーナイフが握られており、無防備な敵の背中に振るわれた。
敵の背中から鮮血が舞う。その傷は背骨や肋骨を切り裂き、敵を再起不能にした。
「こいつら、背中だけは弱いみたいね」
「これなら機動戦で勝てる」
機動戦での勝利を確信した禄月と絨月の二人は、無防備な敵の背中を次々と斬り裂いた。中には致命傷に至らないものもあるが、それでもなお、敵の動きを鈍らせるには十分だった。そして、動きを鈍くした敵の残党の前に現れるのは、まだ余力を残した前陸軍の者だ。
「恨みはありませんが、ここで死んでいただきますよ」
「私達にも守るものがありますので」
そう言って、中距離から徹甲弾を敵の心臓に放つのは、幣月と佩月だ。簡易的ながらも砲安定装置を搭載した砲撃は、敵の重要臓器を軽々と貫く。
しかし、敵も黙って殺されるだけではない。僅かながらでも爪痕を残そうと、こちらを翻弄する前陸軍に動きに食らいつく。そして、その魔の手は数体の吸血鬼に囲まれてしまった鐸月に伸びる。
だが、その手も前陸軍に触れるには至らない。突如として、その場にいた吸血鬼は吹き飛ばされた。大口径榴弾が爆発するその風圧は、鐸月すらも体勢を崩しかせる。
脳震盪を起こし、倒れた吸血鬼達は、殺されないよう即座に立ち上がる。だが、立ち上がった吸血鬼に待ち構えるのは、鉄板をも打ち砕かんとする殴打だった。吸血鬼は軽々と吹き飛ばされ、地面を転がる。そして、やっと転がり終わったところで、掠月の機銃掃射で眼球を潰された。
鐸月は立ち上がり、戦闘態勢を取りつつも、吸血鬼を殴り飛ばした者に感謝の言葉を飛ばす。
「智月、ありがとう」
「良いってことよ。それよりも、気合を入れなさい。残りを蹴散らすわよ!」
「了解!」
智月と言葉を交わした鐸月は、再び機動戦を仕掛けるために走り出した。一方で、智月は掠月が機銃掃射で動けなくした敵にゆっくりと近づく。そして、動けない吸血鬼の脳天を、腕に取り付けられた主砲から放たれる砲弾で貫いた。
吸血鬼が絶命すると、智月は掠月に言葉を掛ける。
「ありがとうね。ただでさえ戦場への対応が難しいのに」
「いいえ、私にできることはやらせてください。この命を賭してでも、遂行してみせます」
掠月の言葉を、智月はあまり良くは思わない。彼女は旧大龍帝国で二番目に製造された戦車であり、その性能は第一次世界大戦でイギリス軍が使用したMk.V戦車の雄型と変わらない。今の彼女にとっての戦場は、常に高度なものなのだ。
一方、丘上の主力部隊は、一部の者を除いて目の前の光景に驚愕していた。まさか、戦争初期に登場した戦車が、後期になって登場した吸血共和帝国の黒鉄軍の新型戦車と、ほぼ変わらぬ対等な立場で戦闘を行えていたのだ。それも、機関砲の口径と同じ主砲口径の者達がだ。
「信じられないわ……まさか、あの黒鉄軍を簡単に翻弄するなんて……」
「技量の差とは、ここまで出るものなのね……」
前陸軍の力を侮っていた深月や幻月は、思考力が低下するほどの衝撃を受けていた。目の前に広がる光景は、ただただ一方的な殺戮なのだ。
ふと、横を見ると、狙撃に徹している四人が見える。その内の三人は同系統の重駆逐戦車であるが、残りの一人は前線で戦っている智月の発展型ともいえる重戦車だ。前線で戦える速度を持つ彼女は、なぜか狙撃に徹している。気になったた幻月は、弾薬を再装填するその女に話しかけた。
「慶月、どうして前線に出ないの? 智月とほぼ同じ性能のあなたなら、前線でも戦えるでしょうに」
「ああ、そのことですか。それなら見ていただければ分かると思います」
慶月はそう言うと、装填を終えた主砲から、敵に向けて徹甲弾を撃ち出す。そして再装填を始めたかと思うと、慶月は主砲のレバーを引き、薬莢を排出する。
それを見た幻月は、全てを察したように目を見開いた。
「分かりましたか? 私の主砲は単発式のボルトアクション方式なんです。禄月や絨月はマガジンなので、案外乱戦でも戦えますが、私はこれなので、前線には向かず……」
慶月の言葉からは、悔しさが垣間見えた。幻月は悪いことを聞いてしまったと思い、内心反省した。それと同時に、慶月の新型主砲の開発を、流月依頼しようかと本気で考えた。
その時だった。突如として、丘上の側面の道から、またもや数え切れないほどの吸血鬼が押し寄せてきた。
「深月、ここは私が防御に徹する。援護は任せたわよ」
「了解。くれぐれも盾を突破されないようにね」
深月の言葉を確認し、幻月は走り出した。そのまま、雪崩込む敵の中に、盾を構えた状態で突撃した。重低音が鳴り響き、幻月は即座に波の中に呑み込まれた。
だが、幻月は無策で敵の波の中に呑まれたわけではない。直後、血しぶきが空に舞い上がった。よくみると、そこには短刀を振り回し、大盾で敵を跳ね飛ばす幻月の姿がある。
「澪月さん、幻月を援護するので砲撃支援をお願いします」
「了解したわ」
深月は澪月に協力を呼び掛け、幻月の援護射撃を行う。それでも減らない敵の物量だが、三人は諦めない。
やがて、そこに空月も加わり、戦況は徐々にアライアンスが優勢になっていった。沿岸部の打撃部は、夜桜と水月の砲撃により壊滅し、後方に控える屠月が制空権を握った。勝利は目前まで訪れていた。
そして、ついに敵は壊滅した。その場に転がるのは、黒塗りの装甲板に身を包む吸血鬼の屍のみだ。損耗は十数発の弾薬のみで、肉体に損傷は見られなかった。
「戦闘終了。残りはバルパライソの街を捜索し、敵の残存兵力の有無を確認する」
「「了解」」
夜桜目の前の者たちに指示を出し、バルパライソの街の捜索に出ることにした。後は、後方に控える屠月に連絡を取り、こちらに合流させるだけだった。そのため、夜桜は屠月に無線を送ろうとする。
だが、その時、隣に立つ水月は異様な気配を感じ取った。まるで、心臓を何者かに掴まれたような緊張感が、体のありとあらゆる部位に走った。そして、この気配は強力な殺意を持つ、一度知ったことのあるものだ。
そこで、水月はこの気配の正体に気づいた。
「皆、今すぐ伏せて!!」
水月はそう言い、隊列の最後尾にいる空月、風月の背後に駆け、シールドを展開する。
その次の瞬間、シールドと何かが衝突し合う轟音が響きく。水月の展開したシールドの前には、自らと同じ軍服、艤装を纏った何かが、シールドに剣を突き立てていた。
だが、それは一瞬の出来事だ。水月の目の前に立つ存在は、シールドに突き立てた剣を離すと、刹那の間に無防備だった水月の側面に移動する。水月は反応する間もなく、腹に喰らいつこうとする剣を見ることしかできなかった。
だが、剣が水月の腹を捕らえることは無かった。大盾を構えた幻月が間に入り、間一髪のところで水月に刃が届くのを防いだ。
しかし、剣の威力が強すぎたためか、幻月の大盾に亀裂が入った。それだけに留まらず、その威力は幻月を吹き飛ばし、背後にいた水月を巻き添えにした。吹き飛ばされた二人は民家の壁に叩きつけられ、自らの骨の砕ける音を聞いた。
一方、存在に気づいた部隊は攻撃を開始していた。夜桜に至っては、我が妹を傷つけられた怒りから、存在に近距離戦を仕掛けた。
しかし、部隊の必死の攻撃も虚しく、存在が傷を負うことは無かった。それどころか、弾幕の僅かな合間を発見し、急速に部隊へ接近する。それに反応できる者は、誰一人としていなかった。
そして、前陸軍や部隊の中間地点にいた者は気づかない。背後に立っている、風月の心臓が貫かれていたことを。
隣に立ち、唯一それに気づいた空月は絶句した。あまりの恐怖に機関砲を撃つ手を停めてしまう。だが、一秒もすると、心友を殺された目の前の存在に、強い憎悪を覚えた。
「風月から離れなさい!!」
空月は腹から声を上げ、恐怖で動かなかった腕を無理やり動かした。そして、存在に対して零距離射撃を行おうとする。その距離は躱せるものではなく、機関砲から放たれる装弾筒付翼安定徹甲弾は確実に存在を貫く―――はずだった。
突如として、空月は腕の先の感覚が無くなるのを感じた。それと同時に、視界が明後日の方向を向いているのに気づいた。世界が全て逆になり、空に地面が広がる。そして、目の前には自らの体が映っている。
そこで、空月は全てを察した。首を切り落とされたのだと。混濁する意識の中で、自らの命は終わったのだと。
主力部隊のがその事実に気づいたのは、空月の叫びが上がってからすぐのことだった。目を向けると、うつ伏せに倒れた風月と、首を斬り落とされて息絶えた風月がそこにいた。存在は血のついた剣を薙ぎ、血を払い落としている。
(なんなのよ……これじゃまるで……あの時の……)
深月は顔を引きつらせ、恐怖に駆られた。静寂の空間でこちらを見るのは、まるでアニメの世界でしか出てこないような、典型的な三角の並んだ口と、円状の目が、黒洞々としているのだ。
だが、存在はこちらに向かって攻撃を仕掛けてはこなかった。それどころか、別の方向とこちらを何度も繰り返し見つめ、その場から動こうとしない。
それを隙と見た澪月は、これまでに類を見ない早撃ちを見せた。だが、存在はその攻撃が分かっていたかのように、瞬間移動ともいえる動きで躱した。
部隊は反撃がくると感じ、即座に散開できる状態へと移行した。だが、存在は部隊に攻撃を仕掛けなかった。その代わり、不気味な笑みを残し、残像を見せる速さでその場から去った。
部隊は唖然としていたが、目の前で命の灯火が消えかかっている風月がいることを思い出し、即座に駆け寄った。夜桜が風月の体を起こすも、風月の体には力が入っていなかった。風前の灯火となった風月は、思考が回らない状況下で、近くにいた深月に手を伸ばした。
「深月……ごめんなさい……私……」
「喋らなくていい!! すぐ鎮守府に戻るから、もう少し耐えなさい!!」
深月はそう言うも、風月は首を横に振る。深月も風月も、部隊も分かっていたのだ。この傷は心臓付近を貫き、この出血を止める方法は無いと。
「姉さんに伝えて……私は、無駄死にしたって……」
「……っ!!」
深月は言葉が出なかった。握っていた風月の手から、体温が抜けていくのを、ただただ感じ取ることしかできなかった。
だが、風月の言葉は終わっていなかった。息も絶え絶えになる中、まだ残っている意識を頼りに、必死に言葉を繋いだ。
「後、もう一つだけ……結婚……おめでとうって……」
風月の言葉に、その場の誰もが歯を噛み締めた。つい数日前、流月は相手の男と密かに結婚をした。男は、本来ならば盛大に執り行いたかったはずだが、戦争中とのこともあり、式は密かに行われたのだ。
風月は姉の結婚式に出席したかったが、残念ながらそれは叶わなかった。その後の忙しさもあり、結婚祝いの言葉すら掛けられなかった。それ故に、それがずっと心残りだったのだ。
「……分かった。伝えるから、あなたは安心して眠りなさい。必ず、戦争が起こらない世の中にしてみせるから」
深月の言葉を聞いた風月は、ゆっくりと目を閉じた。
そして、風月の意識は混濁を始めた。目を閉じたため、目に映るのは暗い空間だけだ。だが、その暗闇よりもさらに深い闇が、視界を覆っていくのが分かった。
(皆さん……私も、そちらに逝きます……また、よろしくお願い……します……)
風月の最期は、血に濡れた最期だった。だが、その死に顔はとても穏やかなものだった。
夜桜は風月を地に寝かせ、深月は風月の手を腹の上で握らせた。そして、二人は立ち上がり、その場の部隊も揃って敬礼を捧げた。彼女に、良き輪廻があらんことを願って。
だが、遠くから近づいてきた二人の女は、そんなことを気にしている場合では無かった。
「姉さん、皆!! 今すぐ、あの存在を追って、殺してください!!」
「水月、あなたは早く鎮守府に……」
「あの方向は、屠月がいる方向です!!」
「え……」
部隊の誰もが絶句するその言葉は、大切な仲間の死を一瞬にして薄れさせ、脅威がそこにあるという現実を思い出させた。
そして、案の定、屠月はあの存在と対峙していた。目の前の存在が、どれほどの強さを持っているかは分からない。だが、動かなければ殺されるのは明白だ。だからこそ、今できる抵抗を行うしかない。
存在の脅威は目の前まで訪れ、牙を剥き出しにしていた。それは、アライアンスにとって、絶望の入り口に過ぎなかった―――




