第一話 指揮車交代 ②
艤装を取り付け、海上に出た二人は鎮守府の近海を進んでいた。
北側を向けば陸が目の前にあるのにも関わらず、南側を向けば海原が続いた。
その先には四国地方がうっすらと見えるが、明らかに海原の方が広く感じた。
水月はどこまでも続きそうな海原を眺めていた。思わず、息をすることを忘れている。
『やっぱり、海の広さが気になりますか?』
無線から、前を進む妹の言葉が聞こえた。その声色は、どこか楽しげだ。
『ええ、少しだけ』
『人間の体だと、どうしても広く感じますよね。私も始めは困惑しました』
冥月は笑いながら言う。
水月は僅かながら苦笑する。
その瞬間、潮風が吹き抜けた。髪が乱れ、咄嗟にそれを抑える。
―潮風……錆の元になるから嫌いだったけど……今は、そうじゃない。少しだけ、心地良い―
水月は乱れる髪を抑えながら、ほんの僅かに微笑んでいた。
後ろで微笑む姉を見て、冥月も微笑んだ。姉が笑えるようになれば良いと、心の底から思った。
しばらくして、水月は艤装を使っての水上航行に順応した。そこそこ激しい動きも可能になり、海上に設置されていた障害物を軽々と躱す。
機敏に動く姉の姿に、冥月は驚きを隠せなかった。
冥月は着任して間もない頃、水上航行の順応に三日も費やした。
それに比べ、姉は僅か一時間ほどで水上航行を習得してしまった。
悔しさと尊敬が混ざり、複雑な気持ちになった。心なしか、胸の奥が靄に覆われた気がする。
そこへ、航行の訓練項目を終えた水月が戻ってきた。
冥月は悔しさを振り払い、姉と真剣に向き合った。
「凄いですね。私を含めて、陸海共同軍は航行技術の習得に数日は掛かったのに……」
「いいえ、冥月の教え方が良かったからよ。私一人じゃ到底できないことよ」
姉の言葉に、冥月は僅かに頬を赤らめた。気づかれないよう、咳を挟む。
「では、次は主砲の射撃訓練に移りますね」
冥月はそう言い、遠くに見える的を指さした。
海上に浮かぶのは、射撃訓練用の的が描かれた看板だ。
看板までの距離は、ざっと数百メートルほど先だ。波の影響を受け、的はじっとしていない。
「今回は試射も含めているので、一撃だけ入れてください。先に言っておくと、外しても大丈夫です」
水月は妹の説明に頷くと、右手に持っていた主砲を的に向ける。
不安定な的に砲撃を命中させることは、まだ順応していない人間の体では難しい。
だが、今回の標的は動いていない。これを外せば、かつて最恐と言われた実力を示すことはできない。
水月は極限まで集中力を上げた。風向き、風速、波の間隔、その全てを事細かく分析する。
そして、その目は適切なタイミングを捉えた。
「撃て」
トリガーとなる言葉が放たれ、主砲は榴弾を撃ち出す。凄まじい爆音と爆風が辺りを支配し、砲煙が視界を覆う。
冥月は双眼鏡を持ち、榴弾の飛翔先である的を見ている。
やがて、的の周辺からは爆発と水しぶきが上がった。僅かながら、木片が辺りに飛び散るのが確認できた。
「命中です」
妹の口から放たれた結果を聞き、水月は緊張のあまり肺に溜め込んでいた息を吐き出した。
冥月は姉の実力を羨ましがった。
順応していない人間の体で、初弾で命中させることは、それ相応の技量が要求される。
これが指すことは、姉の技量が元から高水準でまとまっていることだった。
冥月は口から出したい本心を抑え、冷静に姉の結果報告を行う。
「文句無しですね。砲弾は的のほぼ中心に命中していました。ですが、実際の敵は動いていますし、反撃もしてきます。反応速度を上げる必要があるかもしれません」
妹の冷静な分析を聞き、水月は先程の射撃までに掛かった時間を反省した。実戦に近いもので行うべきだったと後悔した。
その時、冥月の無線が反応を示した。即座に発信元を確認する。それは、鎮守府からのものだった。
『こちら、超戦車冥月。要件を乞う』
『数時間前に離陸した偵察機から、瀬戸内海にRed1級駆逐艦で構成される敵艦隊が侵入したとの報告が入った』
『ですが、私達は訓練中です。実弾は合計で六発しか所持していませんが』
『烈月に弾薬を運ばせ、そちらに合流させる。牽制射撃でも構わないから、どうにかならないか?』
司令官の頼みに、冥月は躊躇した。姉が被害を受ける可能性と、鎮守府への火種が大きくなる可能性。その両方を考えると、どちらとも見過ごすことはできなかった。
だが、どちらかを必ず選択しなければならない。冥月は与えられた選択肢に苛立った。
すると、姉が隣からそっと肩に手を置いた。
「敵艦隊が近海にいるんでしょ? 対応可能なら、早く壊滅させるべきよ」
「ですが……」
冥月は何かを言おうとしたが、姉の瞳を見て、続きを言わなかった。
『分かりました……烈月との合流後、敵艦隊の殲滅に動きます……』
『すまない……』
冥月の命令承諾の言葉に、司令官からは謝罪が返ってきた。
だが、冥月は何も返さずに無線を切る。吐き出したい本心を抑え、冷静に対応する。
「烈月との合流後、敵艦隊の殲滅に動きます。指揮は私が行うので、姉さんは指示に従ってください」
「分かったわ」
冥月の言葉は重かった。その重圧は、怒りと虚しさから成るものだ。
水月は鎮守府の置かれている状況を知らない。だからこそ、心の底では警戒心を高めていた―――




