第6話 忙殺の年末 (Complete Story)
時は年末。
ほとんどの人間は休暇を楽しんでいることだろう。
だが、そんな中でも鎮守府は動き続けている。
人間の押し付けてきた不要な仕事を終わらせるために。
そして、いつか訪れるであろう平穏な日々のために。
朝7時15分。
水月はいつもより遅い時間に目を覚ました。
普段なら司令官に説教を受けるところではあるが、しばらくはそんな心配をせずとも済む。
それは、司令官の命令だ。
年末年始のみ、自分の好きな時間に起きることを許されている。
仕事はあるものの、残業の翌日などはゆっくりと寝ることができるため精神面の負担は軽くなった。
そして、もう1つ解禁されたものがあった。
それは私服を着用することだ。
普段、私服を着ることはどのような時であっても許されないのだが、年末年始のみ許可されることとなった。
水月は背伸びをするとベッドから起き上がり、洗面所で歯を磨き、顔を洗った。
それらを終えた後は部屋の戻り、棚の中からいつも着用している軍服を取り出した。
そのまま棚を閉め、軍服に着替る。
「結局は着慣れたものが安定するわね」
水月はそう言いながら襟のチャックを閉める。
水月にとっては普段着ることのない私服よりも毎日着用する軍服の方が肌に合っていたのだ。
軍服についた埃を払い、頭にアンテナを装着する。
そして水月は部屋を後にした。
部屋の外は静寂に包まれていた。
いつも誰かが行き交う廊下は誰も歩いていないどころか、気配すらも感じることができない。
水月は全員疲れて眠っているのだろうと思い、なるべく音を立てないように廊下を進んだ。
兵舎から本部に移動すると、知ってる者がちらほら確認できた。
確認した数人は私服を着ており、とても暖かそうだった。
だが、水月にとっては関係のない話だ。
そもそもとして軍服の生地が分厚く、服の構造上の通気性が悪いため体温が保たれやすい。
これらの点を踏まえるといよいよ私服を着るための意味が分からなくなった。
しばらく歩き、食堂に近づいてきた。
すると、曲がり角で紀龍姉妹とであった。
2人とも私服を着込んでいた。
「「水月さん、おはようございます」」
「おはよう、2人とも」
3人は軽い挨拶を交わした。
紀龍姉妹は寒そうに体を小刻みに震わせていた。
それほど着込んでいてまだ寒いのかと言いたいが、あえてそれは言わないでおく。
「水月さん、着込まないで大丈夫なんですか? 今日の気温は3度だそうですが」
「大丈夫よ。それより私服の着る意味を探してるくらい」
水月の言葉に2人は目を丸くした。
水月は何か地雷発言をしたと感じたが、時は既に遅かった。
「水月さん、私達にとって私服は有給と同じ、つまり人権と同じくらい尊いものですよ」
「ビキニアーマーの構造で腹が露出しているのでお腹は壊しますし、何よりも私達紀龍型の軍服の生地が水月さんの軍服の生地と違ってそこまで分厚くないんですよ」
「そこに龍鋼材でできた装甲板や艤装を取り付けられたら肌の感覚がなくなりますよ」
「ご、ごめんなさい…………」
2人は早口で私服の重要さを訴えた。
こころなしかその言葉には半分圧力がかかっていた気がするが、これは自身の不用意な発言が原因なので何も言えなかった。
だが、2人の話には納得できる部分が多くあった。
確かに生地や服の構造によって熱の保温率や通気性は大きく変わるので見た目だけで判断することはできない。
そして、紀龍姉妹や斬龍姉妹が着用しているビキニアーマー構造の軍服は腹が露出しているため寒さ対策には向いていない。
構造が原因で体調を崩す可能性だって考えられた。
水月は心の中で深く反省した。
改めて3人は食堂に入った。
食堂では数人が朝食を取っているものの、やはり人数が少ない。
7時40分近くになる今、ほとんどの者は目を覚ます頃合いだろうが、日頃の疲れが溜まっている者が多いだろうから再度寝る者も現れるかもしれない。
そう考えなおすと鎮守府の生活環境はブラックだと考えられる。
「水月さん、あれ…………」
亰龍が食堂の端に座る者達を指差した。
食堂の端の席では夜間海上警備任務から帰還した神龍姉妹が食事を食べ終わり、うたた寝しかけている様子が見受けられた。
彼女達は毎日約11時間の間、時には敵艦を相手にしなければならない時もありながら睡魔とも戦っている。
その体にどれほどの疲れが溜まっているのかは計り知れない。
水月は先ほど考えていたことを撤回した。
この鎮守府の生活環境は明らかにブラックだった。
だが、今はそのことを脳の隅に置き、朝食を作ろうと3人は厨房の扉を開けようとした。
だが、厨房の扉が勝手に開いた。
そこから顔をのぞかせたのは司令官だった。
「お、起きたか。なら受け取り口で待っておけ。すぐに朝食を持っていくから」
司令官はそう言って厨房の扉を閉めた。
3人はわけの分からないまま司令官の言葉に従い、食事の受け取り口まで歩く。
すると、そこには3人分の朝食が用意されていた。
各自朝食を取ると空いている席に運び、椅子に腰を下ろす。
「「いただきます」」
そして、3人は朝食を食べ始めた。
朝食はとても優しい味がしたような気がした。
どの料理からも冷えた体を内側から温めてくれる温もりを感じられた。
司令官は美味しそうに食事を食べる3人を受け取り口からこっそりと見て小さくガッツポーズをした。
だが、それと同時にうたた寝をしている神龍姉妹を発見した。
司令官は霧の門を開き、中に手を入れる。
霧の中から取り出したのは10枚の毛布だった。
司令官は厨房から出るとうたた寝している神龍達に毛布をかけ始めた。
本来ならば部屋に送り届けるべきだが、年末年始くらいはそっとしておこうとした司令官なりの配慮だった。
神龍姉妹に毛布をかけ終えた司令官は朝食を食べ終えた後の食器類を厨房内に持ち込んだ。
そしてお盆以外を水面台の近くに置くと、近くにあったスポンジと食器洗い用洗剤で皿を洗い始めた。
一方で、3人は朝食を食べ終えたところだった。
3人は返却口に食器を戻すと、返却を知らせるランプを点灯させた。
そして3人は食堂を去った。
食堂を出ると、廊下は相変わらず寒かった。
気温差から風邪を引いてもおかしくないと感じたほどだ。
「水月さん、私達は今日の書類仕事があるのでここで失礼しますね」
「ええ、分かったわ。体調は崩さないようにね」
紀龍姉妹は課された書類仕事を片付けるために水月と別れた。
だが、書類仕事を課されているのは水月も同じだった。
これと言って緊急の予定もないため、水月は部屋で書類仕事に徹することにした。
部屋に戻った水月は扉の受け取り口に入っていた書類を取り出す。
今日の仕事はそこまで量がなく、集中して行えば30分足らずで終わる見積もりだった。
水月はそれらを机の上に置くと引き出しの中からボールペンを取り出し、書類仕事を開始した。
15分後。
思ったよりも早く書類仕事が終わってしまった。
書類仕事となここまであっけなく終わってしまうものかと考えさせられるくらいのやりがいの無さに水月は何とも言えない心情になった。
だが、これらを執務室に持っていくまでが仕事の流れであるため、水月は執務室に向かうために部屋を後にした。
しばらく歩き、執務室に到着した。
だか、水月は違和感を感じていた。
執務室の中から発せられる空気がいつもと少し違ったのだ。
執務室の中に何があるのか分からない。
だが、書類を届けるためには執務室の中に入らなければいけない。
複雑な心境ではあったが、鎮守府内だからと何も問題は起こらないと思い、執務室の扉を叩いた。
執務室の中に入ると、司令官が山のように積み上がった書類を片っ端から片付けていた。
だが、執務室に入ってきた水月に気がつくとその手を止める。
「もう書類を片付けたのか。早いな」
「今回は量が少なかったからですよ。いつもなら4倍の時間はかかっています」
水月はそう言いながら司令官に書類を手渡した。
司令官は書類を受け取るとその内容に目を通す。
「何も問題ない。後は個人の時間を過ごしてくれ」
「分かりました」
司令官から書類仕事を終えたと認められた水月は執務室を後にした。
だが、水月は違和感を感じていた。
司令官の話し方がいつもと少し異なっているのだ。
普段なら「個人の時間を過ごしてくれ」と言うことはなく、書類の確認をするのみだったからだ。
そして何よりも違和感があったのが、声のトーンだ。
執務室で仕事をしていた司令官の声はほんの僅かながら声のトーンが低かった。
何千年も生きた龍族が数日の間にいきなり声変わりすることは体に異常がない限り起こり得ない。
そんなことを考えていると、廊下の角ではち合わせた誰かとぶつかってしまった。
「すまない、大丈夫か?」
「いえ、こちらこそ……元帥…………?」
水月がぶつかってしまった相手は司令官だった。
司令官は心配してくれたが、水月の頭の中は混乱していた。
ここは執務室とは真反対の場所だ。
ここに来るためには水月が通ってきた道と同じ道を辿るか、鎮守府本部を大きく回ってこなければならない。
仮に何か重要なことを伝え忘れたとしても、わざわざ本部を大回りする必要はない。
司令官がストーカーをする人物でないことは誰もが知っている。
全てにおいて納得がいかなかった。
「どうして俺がここにいるか知りたいのか?」
考えが顔に出たのか、司令官は水月の疑問を突いた。
水月は黙って頷くと、司令官は水月を手招きする。
水月は司令官についていった。
司令官の後をついてきて到着したのは執務室だった。
司令官は執務室の扉を開けた。
すると、中には司令官がもう1人いた。
水月は目を疑った。
顔も体型も、髪型すら僅かなズレもない。
これが世にいうドッペルゲンガーだと言われても何の違和感も抱かないだろう。
「まず、こいつは俺の分身体だ」
隣にいる司令官が執務室の椅子に座る司令官を指差した。
水月はぽかんとした表情で椅子に座る司令官司令官を見た。
「仕組みは複雑なんだが、意識だけ共有された独立物体と言えば分かりやすいか? こいつは俺だが俺じゃない。しっかりと別個体としての意識や思考、言動や行動を持ち合わせている」
「失礼だな、俺がお前に1番近しい存在だろう」
「1回黙ってくれ。水月の頭がパンクしたりでもしたらどうするんだ?」
「いや、既にしてるだろ。横を見てみろ横を」
執務室の椅子に座る司令官の言葉の通り、水月の横に立つ司令官は水月を見た。
水月は無表情になっていた。
短い間ではあるものの、司令官にはこの表情の指す意味が分かっていた。
水月の理解力が追いついていないと。
「とにかく、別人格の俺が複数体存在すると思っておけ。そこまで難しく考えずに」
司令官の言葉に水月は無表情で頷いた。
これは駄目だと感じた司令官は、椅子に座る司令官に向けて手を向けた。
「戻れ」
その言葉と同時に椅子に座っていた司令官が白い霧に変わった。
白い霧は司令官の手に集まると、空中で四散した。
「とにかく、深く考えるな。俺も深くは考えないようにしているくらいだ」
「は、はい……分かりました…………」
水月の思考回路は完全に焼けきっているようだった。
司令官は水月を執務室のソファーに座らせると、温かい紅茶をカップ淹れた。
「頭を冷やせ。リラックス効果のあるやつだから少しだけでも飲むと楽になる」
司令官の言葉を聞いた水月は紅茶を一口だけ飲んだ。
温かい紅茶はまろやかな味だった。
そして、どこか懐かしい香りと味がした。
水月はこの紅茶をどこかで見たような気がしていた。
その記憶は今となっては思い出すことのできない記憶だった。
だが、頭の中に懐かしい声が聞こえてくる。
それは、兵器時代、かつて共に過ごした乗組員との何の変哲もない普通の会話だ。
あの頃の水月のアバターは休憩時間には必ず近くのモニターに姿を現し、休憩していた乗組員とよく話していた。
時には恋の話に花を咲かせたりもした。
機械的な自分だったが、それでも乗組員達と離すのは兵器として生きる中での楽しみだった。
あの頃の誰も、もう生きてはいない。
どれだけ過去を振り返ろうと、あの日から止まった彼達の時の流れが動き出すことは無い。
自分だけが進み続ける道の定めにあったからだ。
気がついた時には自然と涙が流れ落ちていた。
頭の中で絡まっていた問題が解けたからなのか、在りし日の過去を思い出したからなのかは分からない。
だが、涙が流れ落ちることが答えを導き出していた。
「過去……か…………」
司令官はそう呟くと、水月の隣に座った。
そして、ポケットからハンカチを取り出して水月の涙を拭う。
「時の流れというのは残酷なものだ。常に自分から大切なものを目の前で奪っていく。だが、老いることも、死ぬことも、生物が生き残り続けるために選んだ道だ。俺の知らない先人がいたからこそ俺達はこうして生きている」
司令官は自然の摂理の一部を説いた。
だが、その司令官の言葉もどこか過去に浸っているような部分があった。
現に、司令官の目は手の届かないところに行ってしまったものを見る目だったのだ。
「何千年も前になるんだが、俺には妻がいた。他にも男はいただろうに、両親の反対を押し切ってまで何の取り柄もないこの俺を選んでくれたんだ。それどころか、結婚後は政治によく参加して大龍帝国の本格的な改革を行おうとしてくれていた。だが、あいつは空襲による火災で死んだ。俺と息子を残して…………」
司令官は膝の上で握っていた自身の両手に力を入れた。
愛する妻が焼死体となって目の前に現れた時の光景が脳裏で蘇っていた。
「あの時は絶望した。それから俺は首脳の座を降りてこの日本で暮らすようになった。あれから時の流れに身を任せて生きてきたが、まさかこんなことになるなんて思ってもいなかったな。結局、俺は無力な龍族の落ちこぼれなんだよ」
司令官は暗い声で言った。
そして、過去を払うように少し口角を上げて肩を上下させた。
水月も司令官も同じなのだ。
もう戻らない過去を振り返っては立ち止まり、立ち止まっては駄目だと自覚して再び歩き出す。
それの繰り返しだ。
「元帥……元帥は私よりも大きな苦労をされたと思います。私ごときが想像できるはずもない苦労ですが、どうか前を向いて進んでください。それに、元帥は落ちこぼれなどではありません。でなければ、私達にここまで良くしてくれることに納得がいきません」
水月は真っ直ぐな視線で司令官に言った。
司令官は水月の真っ直ぐな瞳の奥を見た。
その瞳は在りし日に妻に向けられた瞳と全く同じだった。
『お前は落ちこぼれじゃない。自分のことよりも人のことを考えられる優しくてどうしようもないやつだよ』
妻に結婚を持ちかけられた時に言われた言葉が脳裏に浮かんだ。
すっかり忘れていた。
自分にも唯一の取り柄があったということを。
先に進む者だからこそ止まることは許されない。
これまでに去った多くの者達の意思を受け継ぎ、必死に足掻くしか無いのだ。
「水月、ありがとう。少しだけ救われた気がした」
突然かけられた司令官からの感謝の言葉に水月はきょとんとした。
司令官は鼻で笑うと水月の頭を軍帽越しに軽く叩いた。
「突然何ですか?」
「いや、やっぱりお前はお前なんだなって」
水月は司令官の言葉の裏側を理解することができなかった。
だが、司令官はそれで良いと思った。
これ以上の言葉は水月をより混乱させるだけだと考えたからだ。
今はゆっくり自分を見つめ直せば良いと思う。
そのためにも、今は自分を見つめ直すための環境を整える必要がある。
長い時を生き、様々な者達の死に様を見届け、最後はその身を冷たい海の底に没した彼女達が少しでも幸せだと思えるように。
そして、いずれは訪れるであろう自由になる日のために。
鎮守府では休暇として時が流れる中、別の場所では今もことが動き続けていた。
吸血鬼達は密かに大規模な反攻作戦の準備を進めていた。
そのために海上に集められたのは100隻を超える航空母艦とそれを護衛するための多種多様な艦艇達だ。
そして、搭載される合計艦載機は6万機を軽く超えていた。
それの光景を高台から見下ろすのは吸血鬼の指揮を執る存在だ。
「さて……これだけあれば十分かしら…………」
その存在から放たれる声には明確な殺気が含まれていた。
その殺気が向けられるのは鎮守府に住まう者達だ。
その存在は鎮守府に住まう者達に明確な恨みや殺意は微塵もない。
だが、人間の盾となるのであれば話は大きく変わる。
本来ならば自らを滅ぼした奴らを守る義理など存在しないはずだ。
だが、事実として鎮守府に住まう者達は人間を守っている。
「恨めしいな……同胞をこき使っているのにも関わらず、挙句の果てには差別か……反吐が出る…………」
その存在の言葉には先の言葉よりも強い殺意と鎮守府に住まう者達を哀れむ感情が混ざり合っている。
だが、それも後数年で終わるだろう。
人間の滅亡と鎮守府に住まう者達への救済のためならば、どのような痛みも厭わない。
屍の山が目の前にできても構わない。
その覚悟は目の奥の正気をねじ曲げている。
その存在……彼女を止めることはできない。
少なくとも今は。
場所は大きく変わり、太平洋へと移る。
ミクロネシア連邦の排他的経済水域内にて鎮守府から派遣された2隻の駆逐艦が哨戒活動を行っていた。
「たく、どうして遠く離れた太平洋の島国に派遣されたのよ…………」
「敵の潜水艦に民間漁船が何隻も沈められているからですよ。それの調査と撃滅が今回の任務です」
駆逐艦火龍の苛立ちを駆逐艦水龍が抑える。
彼女達が派遣された理由は言動から分かる通り、民間漁船が敵潜水艦から攻撃を受けて撃沈される被害を被っているからだ。
国際連合だけでは対処しきれないらしく、鎮守府から駆逐艦を2隻ほど派遣してほしいとの依頼があったようだ。
「だとしても、私達2人での哨戒は頭がおかしいでしょ。明らかに戦力が足りていない」
「それについては同感です」
「そもそも、この任務を達成したところで資金は増えないし出費は増えるしで結局借金が増えるだけじゃない」
「はたしてその任務に命をかける必要があるのか? 否、この任務に命をかける義理は本来ありません」
2人は哨戒を行いながらも人間への愚痴を言い合っていた。
だが、現在進行で受けている仕打ちは本来黙認されて良いものでは無いのだ。
本来、この問題は国際法に大きく違反している。
平和維持活動だとしてもその範疇を大きく超えている。
だが、その実態は日本政府が隠蔽工作をしているため国際連合は国際法の違反だと気がつくことはない。
それから数分が経過した。
駆逐艦水龍の逆探が敵潜水艦を捉えた。
「火龍、敵潜水艦を発見したわ」
「ええ、こちらでも確認したわ。早く終わらせて年明けまでに帰るわよ」
「同意です」
2人のそこからの行動は早かった。
敵潜水艦の反応がある地点との距離を潰し、反応のある地点に爆雷を投げ入れた。
爆雷は爆発し、水飛沫が上がった。
だが、悲鳴のような声は聞こえてこない。
爆発が命中しなかったか、まだ生きているかの2択だ。
幸いなことに、逆探は敵潜水艦の反応を示していた。
2人は再度爆発を投げ入れた。
今度は悲鳴のような声が聞こえながら水飛沫が舞い上がった。
「まずは1隻ね……このまま何も出てこないでほしいわね」
「そうですね。できることならばこのまま予定通りのスケジュールで定時帰還したいところですが……潜水艦が現れたとなると無理そうですね…………」
「年始は海上の上? 国際連合の連中はふざけてるのかしら?」
駆逐艦火龍は深くため息をついた。
駆逐艦水龍は肩を上下させると、鎮守府に無線を入れる。
『こちら、風龍型駆逐艦6番艦 水龍。ミクロネシア連邦排他的経済水域内にて敵潜水艦の存在を確認。おそらく複数隻存在していると考えられる。指示を乞う』
『潜水艦か……なら、23時まで海上警備を続けろ。後のことは国際連合に押し付ける』
『了解しました。では、引き続き海上警備を続けます』
駆逐艦水龍は無線を切ると、駆逐艦火龍に司令官からの指示を共有した。
駆逐艦火龍は面倒くさそうににため息をつくと、空を仰いだ。
晴れた空は2人を照らしていた。
場所は鎮守府に戻る。
執務室では水月と司令官が会話をしていた。
資源の在庫や現在の戦況、敵の潜んでいるおおよその地域などを共有し、来年から始まる本格的な反攻作戦についてある程度の算段を立てたいた。
「ですから、ここは水雷戦隊を向かわせるのが最適だと考えます。万が一の可能性を考慮するならば、紀龍か亰龍を編成するべきかと」
「だが、そうなると今度は攻撃隊の火力が足りなくなるな……戦力不足の影響がこんなところまで響くとはな…………」
司令官は戦力不足に悩まされていた。
どう作戦を立てても、艦隊を2つ動かすとなると戦力不足が影響して攻撃隊か支援隊のどちらかにしか火力を置けないのが現状だ。
水上戦車遊撃部隊も控えてはいるものの、速度の違いから随伴させることは非常に困難を極めていた。
「戦力不足は今に始まったことではありませんよ。どうにかして考えましょう」
水月は司令官に励ましの言葉をかけた。
司令官は苦笑すると、再度作戦の算段を練り始めた。
数十分後。
執務室の扉が叩かれた。
司令官が入出許可を出すと、2人の女が執務室に足を踏み入れた。
1人は灰色のビキニアーマーと胸にアーマープレートを装着した黒長髪の女だった。
もう1人は同じくビキニアーマーを着用するも、黒長髪世女のビキニアーマーと比べると所々にレース素材が使われているものを着用している。髪は淡い水色のポニーテールだ。
司令官は彼女達を見るなり目を丸くした。
「驚いた……帰還は1カ月後じゃなかったのか?」
「早期決着に持ち込めましたからね。早々に追い出されました」
司令官の言葉に、黒長髪の女が答えた。
淡い水色のポニーテールの女は隣で沈黙していた。
その顔からは明らかに不機嫌だといことが覗える。
「響月、どうかしたのか?」
「私達を遮蔽物の無い場所に立たせながら自分達は塹壕の中に隠れて……本当に腹が立ちます」
響月と呼ばれた女は怒りを孕んだ声で言った。
司令官は全てを悟った顔で苦笑した。
「まあまあ、結果としては無事だったんだし良いんじゃない?」
「震月、そう言う問題じゃない。下手をすれば死ぬ可能性があった以上、私としては黙認できない」
震月と呼ばれた女ののんきな言葉に、響月は呆れた声で答えた。
司令官はこの会話を見るだけで疲れた顔をしていた。
だが、響月の機嫌が悪いのは分からなくはないのだ。
普段はツンデレながらも穏やかな性格を持つ彼女ではあるが、仲間を大切にする性格も持つことから仲間が人為的な理由で危険な状況に晒されることには強い不快感を覚えている。
「と、とにかく、お前達は部屋に戻って休め。1週間の仕事はこちらで請け負おう」
「分かりました。ですが…………」
響月は司令官の言葉に返事をするとともに、ソファーに座っている水月に目を向けた。
鋭い視線を向けられた水月は思わず身構えた。
「……水月さんとお話しても良いでしょうか?」
「ああ、水月が良いなから構わない」
「私も問題ありません」
響月の願いを水月は承諾した。
響月は震月を手招きし、水月の座るソファーとは対のソファーに座った。
水月は響月の鋭い視線を受け、まだ身構えていた。
「そんなに警戒なさらないでください。私は就役したばかりの貴女という人物を見極めたいだけです」
響月は優しい声色で言った。
だが、響月は気がついていない。
自身の発する声に僅かな圧力が掛かっていることを。
「響月、言葉に少し圧力がかかっているわよ」
「そうかしら? 私はいつも通りなのだけれど?」
響月は震月に顔を向けて言った。
その時の響月の目からは光が消えていた。
「目から光が消えているわ。やっぱり今すぐに寝たほうが良いんじゃない?」
「却下よ。今話さないでいつ話すの?」
「いや、今すぐに寝ろ」
2人の会話に司令官が口を挟んだ。
響月は光のない目で司令官を見た。
底の見えない瞳の奥は、全てを飲み込むような深い黒一色に染まっていた。
「体調を気にしろ。それこそお前が死ぬぞ」
「…………分かりましたよ。今日のところは部屋に戻って寝ます」
響月はため息混じりの声で言った。
だが、その目は司令官を睨みつけていた。
司令官はこれに気がついていたが、あえてそれを無視した。
そして、震月と響月は執務室を後にした。
2人が立ち去ると、水月は安堵した。
何かは分からないが、こちらを見る響月の目に底なしの恐怖を感じたからだ。
その目は衰弱したようでもあり、恨みを孕んだ目だった。
そんな水月を見た司令官は空いていたカップに紅茶を注いだ。
「あいつは人間からトラウマを植え付けられてからあんな調子だ。今回は睡眠不足によってそれが表に出たんだろう」
「トラウマ……ですか?」
「ああ、そうだ。これは知っておいた方が良いだろうから話しておく」
そう言って司令官は響月の身に起きたことを話し始めた。
当時の響月は今のような無表情なツンデレの性格ではなく、日常的に笑っている明るい性格だったらしい。
だが、その頃の響月は人間によって殺された。
響月は有給を使用し、装備開発に必要な部品や工具を買い揃えた。
そして、それは帰り道で起こった。
響月は複数人の黒い衣服で身を包んだ数人の男に囲まれた。
何か嫌な予感がした響月はカバンの中にあるスパナに手をかけた。
その瞬間、男達は響月に襲いかかった。
響月はスパナを取り出し、抵抗した。
だが、体力や反射神経において大きな差をつけられていたため、抵抗も虚しく響月は男達に取り押さえられた。
それでもなお、響月は体を捩って束縛から逃れようとした。
しかし、体力も筋力もあまり無い響月にとって、男達数人による拘束から逃れることは不可能だった。
すると、リーダー格らしき男が響月の髪をつかんだ。
男は響月を見てほくそ笑んだ。
次の瞬間、男は響月の腹にナイフを深く突き刺した。
響月の悲鳴がその場に響き渡った。
男はそれを見て狂気的な笑みを浮かべた。
その目は響月の苦しむ姿を見て生き生きとしていた。
そして、男は再びナイフを振り下ろそうとした。
だが、そのナイフが振り下ろされることはなかった。
突如としてその場に現れた司令官が男を殴り飛ばしたのだ。
司令官は県知事と会うために外出していた。
その帰り道、偶然その場を通りかかった。
司令官の出現という予期せぬ事態に男達は尻尾を巻いて逃げ出した。
本来ならば追撃するが、響月の腹部から血が溢れ出しているため見過ごすことはできなかった。
司令官は響月を抱きかかえると、霧の門を使用して鎮守府の医務室に向かった。
霧の門を通して医務室に入ると、運良くその場に氷龍が居合わせた。
氷龍は響月の状態を確認し、瞬時に傷口の縫合手術を行う選択を下した。
司令官は響月を治療室に運び込み、手術台の上に寝かせた。
氷龍は手術に必要な道具の準備を終えると酸素マスクを響月に取り付け、全身麻酔を行った。
そして、響月の傷口を塞ぐべく手術を開始した。
次に響月が目を覚ますと、そこは療養室だった。
最後の記憶を頼りに自身に何が起こったのかを思い出そうとした。
すると、司令官が療養室に入ってきた。
司令官は目を覚ました響月を見て一安心した。
司令官は響月に近づくと、氷龍を呼ぶためのコールボタンを押した。
そして、響月に話しかけようとした。
だが、そこで響月の記憶が戻った。
響月は近くにいた司令官を払いのけると、部屋の端まで逃げた。
司令官は響月を心配し、落ち着くよう言った。
だが、返ってきたのは「私に近づくな!!」と言う恐怖を孕んだ言葉だった。
そこへ氷龍が到着し、司令官に外に出るよう言った。
あの後、氷龍から聞いたそうだが、響月はあの時のことが記憶に根強く残り、トラウマと化してしまったようだ。
それどころか、男に対する恐怖感を抱くようになってしまい、司令官を払いのけたのもそれが原因のようだった。
「あれからしばらくして響月の精神状態は安定したが、あの時の響月はもうどこにもいない。今、俺ができるのはあいつの心の中のトラウマを少しでも取り除くことだ」
司令官は全てを話し合えると、深くため息をついた。
あの時のことを思い出すと、今でも腸が煮えくり返りそうになる。
もし、少しでも早くあの場にいたならば響月はここまで変わらなかったのかもしれない。
あの時の後悔が今でも押し寄せてくるのだ。
その話を聞いた水月も腸が煮えくり返りそうになっていた。
やはり人間は利己的で害を振り撒く存在だと心の中で強く刻みつけられた。
だが、同時に商店街で出会った人々のことを思い出すと一丸にそうは言えないのも事実だった。
心の中に矛盾と葛藤が生まれた瞬間だった。
「とにかく、できることならばお前も響月を支えてやってくれ」
「はい、もちろんです」
司令官の頼みを水月は快く引き受けた。
それが自分にできる唯一のことなのだと思い。
あれから数時間が経過し、鎮守府に住まう者達の入浴が終わった頃、全員が食堂に集められた。
食堂の机には見ているだけで目が痛くなるような色鮮やかな料理が並んでいた。
各自が指定された席に座ると、司令官が食堂の扉の前に立った。
「今日で今年が終わる。そして、この数カ月間を耐え抜いてくれたこと、改めて礼を言う。だからこそ、年末年始は戦場のことは忘れてゆっくりと休んでくれ」
司令官の言葉を聞いた全員が歓喜の声を上げた。
そして、2241年最後の食事が始まった。
時間が経つにつれ、酒が回った者達は食事を取りながら過去の思い出話や今について語り合い始めた。
そんな中、水月は1人で鎮守府の屋上を訪れていた。
夜風が髪をなびかせ、夜空に浮ぶ青白い月が水月を照らしていた。
「もう、あの日には戻れないのよね…………」
水月は過去を懐かしむ言葉を零した。
こうして自然を感じながら1人でいられる時間は滅多にない貴重な時間だ。
だからこそ、懐かしんでしまうのだ。
苦しくも大切な者達と共に歩んだ長い旅路を。




