第五話 本質と絆 ①
いつもと変わらない日々。それは、仕事をこなし、時に戦闘を生き延び、空いた時間を自由に使うこと。その空いた時間こそが、鎮守府に住む者達にとって、至福の一時なのだ。
日々、鍛錬怠らない者。
装備の改良に熱中する者。
休息を取る者。
全て有意義なものであり、今後の鍛錬や趣味にも使えるこの時間は、彼女達にとっては重要なものだ。特に、日頃から出撃回数の少ない陸軍の者達は、鎮守府内に設置されたトレーニングジムや射撃場を利用し、身体の強化や武器の扱い方の上達を図っている。
そんな鎮守府であるが、休めない者が一人だけ存在している。その者は、常に机と向き合い、山のように積み上げられた書類の一枚一枚に対し、無言で万年筆を走らせている。
それを見る鎮守府者の者は、誰もが呆れ顔をするが、その原因は、日本政府にあると理解している。しかしながら、休息も取らないその姿は、明らかに異常だ。
そして、今日もまた一人、執務室を訪れる女が、その光景を目の当たりにした。
女の名は紫龍。神龍姉妹の末っ子。名前の『紫』が指すように、髪は滅紫色の美しい長髪だ。いつもなら就寝している時間帯である彼女だが、今回は長期休暇を取っているため、どの時間に起きていようが問題はなかった。
そんな紫龍の視線上にあるのは、書類の山に埋もれる、鎮守府の主の姿だ。書類の隙間から見える表情は、無を示していた。
しかし、紫龍がここに来たことには理由がある。しかも、それは鎮守府にとって問題のあることだ。提督がどんなに忙しいとはいえ、要件は伝えなければならない。
「提督、お忙しいところすいません。お伝えしなければならないことがありまして」
「そのまま続けてくれ。見ての通り、手が離せない」
眼前の提督の忙しさは異常だが、なんとか喋るほどの余力はあるらしい。これならば大丈夫だと、紫龍は少しながら安心できた。
「では、報告します。鎮守府の食料が不足しています。年の瀬も迫ってまいりましたので、買い出しに行くべきかと」
紫龍の報告に、鎮守府の主は万年筆を走らせる手を止める。その頭の中では、思考回路が目まぐるしい速さで巡っていた。
というのも、いつもならば鎮守府の主が買い出しに出向いているのだが、現在、積み上げられた書類の山を片づけるべく、手が離せない状態だ。
しかし、ここで買い出しに行かなければ、下手をすれば年末年始を乗り切ることができないと考えられる。鎮守府全体約百名を養わなければならないのだから、その量は凄まじいものになる。
そんな時、突如として執務室の扉が叩かれた。鎮守府の主は入出許可を出すも、その扉は開かれない。
何かあると思い、直接扉を開けると、そこには書類の山があった。いや、正確には書類の山ではない。書類の山を抱えた一人の女が、執務室前で立っていた。
鎮守府の主は書類の一部を抱えると、それを近くの机に置いた。女が抱えていた書類残りの書類も、女が同じ場所に置いた。
ふと、紫龍は書類を運んできた女の姿を見て、目を丸くした。
「白龍姉さん、どうして起きていらっしゃるのですか?」
紫龍の目に映る女。それは、一つ上の姉である白龍だった。その髪は白長髪であり、その身長と若さは想像しにくいものだ。
「私も休暇を取ったのよ。あなたが休暇を取ったって聞いたからね」
姉の回答に、紫龍は深い溜息をつく。姉が過保護であることは薄々感じてはいたが、ここまできてしまうと、もはやうっとおしく感じる。
溜息をつく妹を他所に、白龍は鎮守府の主に向き合う。
「それで、買い出しですね。それなら、紀龍姉妹か斬龍姉妹に任せてはどうですか?」
白龍は、鎮守府の主の悩みを把握していた。その上で出された提案に、鎮守府の主は、深く悩み込んだ。
事実、白龍の言った選択肢以外の答えが見つからないのだ。陸軍は人数不足、陸海共同軍は大半が人間不信の状況の中、残すは海軍のみとなる。その海軍でさえ、風龍姉妹や海龍姉妹は人間を恨み、神龍姉妹は就寝している状況だ。
しかし、紀龍姉妹や斬龍姉妹とて人間への恨みが無いわけではない。比較的恨みが少ないだけで、手綱を手放しさえすれば、殺戮劇を繰り広げかねない状況だ。
だが、そう考えている内に、鎮守府の主は一つの妙案を思いついた。その時の鎮守府の主の顔は、白龍には気持ち悪く見えていた―――
場所は変わり、第二兵舎へと移る。二日前にも説明したが、ここは駆逐艦の居住区画である。よって、ここに入る者は、渡り廊下を経由し、第二兵舎以降の兵舎に用がある者か、ここに住む駆逐艦以外は基本的にあり得ない。
だが、今日は例外が発生しており、第二兵舎には陸海共同軍の者がいた。その者は、数日前、この鎮守府の新戦力として迎え入れられた者だ。
「―――なので、結局のところは速度重視なだけですよ」
「やっぱり機動力よね……私には到底真似できないわ……」
陸海共同軍の新戦力もとい、水月は、第二兵舎に住む雪龍の部屋を訪れていた。というのも、二日前、演習で完全敗北したため、戦い方の改善点などを教えてもらおうと、雪龍の元を訪れていたわけだ。
「そんなことはありせん。冥月さんだって、私の四分の一くらいの速度なら出せるようになりましたし」
「それ、艤装に改良を加えたからじゃなくて?」
「半分正解です」
水月と話す雪龍は、前回とは違い、とても穏やかな表情をしている。その様子は、どこにでもいる年頃の女の子のようだ。
その様子を見守るのは、風龍型の長女である風龍だ。普段は厳格な風龍だが、姉妹の前ではたびたび微笑むことがある。今回も同じで、雪龍が楽しそうに会話しているのを、微笑みながら見ていた。
「だけど、そんな速度を出して、艤装は大丈夫なの? 所詮は鉄だから、あの速度を出すには負荷が大きいと思うわ」
「それなら、風龍姉に聞いてください。艤装の扱い方は、この鎮守府で随一ですので」
雪龍はそう言い、壁に背をつけていた姉に目を向ける。同じように、水月も風龍を見た。
風龍は一瞬戸惑うも、一瞬微笑み、雪龍の机に置かれている鉛筆と紙を手に取った。そして、紙に何かを描き始めながら、説明を始めた。
「確かに、艤装は鉄の塊です。回路も人間の使うものと、何ら変わりはありません。ですが、仕組みを模式図に表すとするならば、こうなります」
風龍は言い終わると同時に、何かを描いた紙を水月に見せた。そこに描かれていたのは、足に取り付ける艤装の模式図だった。理解しやすいそれは、水月の疑問を納得へと変えた。
「確かにこうすれば、負荷は最小限に留まるわね……」
「そうですね。ですが、プロペラシャフトの摩耗だけはどうにもならないので、緊急時以外は使用するなと、提督から言われているんですがね」
風龍はそう言い、横目で妹の顔を見た。雪龍は何かをごまかすように、顔を明後日の方向に向ける。
それを見た風龍は、少しだけ笑った。
「まあ、今回は提督から、水月さんの心を折るよう指示が出ていたので、仕方がないと言えば仕方ないのですがね」
「それは聞いてないわよ」
「提督が言うわけないじゃないですか」
三人が交わす会話は、戦略的な技術力を共有すると同時に、純粋に、一部ふざけた馬鹿話のような楽しさも存在している。この時間がどれほど大切なのか、当の本人達は気にしない限り気づかないだろう。だが、それはそれで良いのかもしれない。
そんなこんなしている内に、水月が雪龍の部屋を訪れてから、三十分以上が経過していた。水月はそろそろ部屋に戻ろうと、二人に礼を言い、雪龍の部屋を去ろうとした。
だが、それと同時に、部屋の扉が叩かれた。この時間に誰かという疑問を持ちつつ、部屋の主である雪龍は、その扉を開けた。
扉を開け、目に入ったのは、二人の妹の姿だった。
「雷龍、電龍、どうしたの?」
「水月さんがここにいると聞きましたので」
「提督から手紙をお預かりしています」
雷龍、電龍と呼ばれた雪龍の妹達は、水月を探し、ここまで来たようだ。それも、鎮守府の主の要件だった。
雪龍は二人を部屋に入れ、中にいる水月に、手紙を渡させた。それを受け取った水月は、その内容に目を通した。
しかし、次の瞬間、水月が見せたのは溜息だった。何があったのかと思い、風龍が横から内容を覗き見る。そして、水月が溜息をついた理由を理解した。
「なるほどね。それは溜息もつきたくなるわ」
風龍はそう言いなら、頭を掻いた。その裏に隠された思いは分からないが、水月の考えを一定理解している風龍が言うのなら、それは水月にとって、何か都合の悪いことなのだろうと、三人の妹は理解した―――




