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少女なる兵器 Act.1〈旧版〉  作者: 深瀬凪波
第二次龍鬼戦争
19/109

第四話 海蛇の病 (完全版+α)

 人間が残した爪痕とは、見えないところで、今も鎮守府の者達を苦しめている。それは、見て分かるものから、少し考えなければ分からないことまで、様々だ。

 それらの中で、一番身近に現れているのが『心的外傷』や『コンプレックス』なのだ。それらを抱えた上で、鎮守府に囚われる少女達は、今日も変わることのない生活するのだ。

 鎮守府のとある一室。そこは、普段は使われない部屋だ。大規模な攻勢や、緻密な作戦を練るために使用される会議室には、鎮守府の主である男と、十数人の女の姿があった。

 女達の中には、先日、水月の標的役を務めた神龍型の神龍や燕龍、風龍型の雪龍などの姿が見受けられた。

 突如として招集された駆逐艦達は、水月の演習における戦績結果を元に、今後の運用方法や実戦投入を慎重に選ぶためだ。

 鎮守府の主は、神龍と雪龍から提出された資料を見比べ、困惑していた。双方、感じ取り方が違ったのか、その評価には大きな差が開いている。これが原因となり、今後を決める判断が難しくなっていた。

 そんな中、司令官の向かいに立つ女が、この静寂の空間に言葉を放つ。


 「提督、そこまで悩む必要は無いと思われます。今考えるべきは、枯渇しつつある資源の問題です」


 司令官に意見する女は、風龍の妹の内の一人であり、雪龍の二つ上の姉だ。水月の髪色にほぼ近い長髪は、無意識の内に、いつの間にか魅入ってしまうほどだ。

 女の言葉に少し悩んだ後、司令官は首を横に振った。


 「それも大切だが、これ以上の犠牲を出さないようにしなければならない」

 「ですが、就役して数日とはいえ、彼女は旧大龍帝国最強の超戦車です。心配する要素はどこにもないはずですが」


 女の言葉に、司令官はまたもや首を横に振る。その隣では、六つ上の姉である風龍が、首を縦に振っている。

 司令官は資料を机の上に置き、僅かに重心が左に寄っていた提督帽の角度を調整して言った。


 「水龍、お前はあいつの本心を見抜けたか」

 「いえ、まだ顔を合わせていないのでそこまでは……」

 「一応言っておくが、あいつの本心は―――」


 そこから司令官が言った言葉は、水龍と呼ばれた女に衝撃を与えた。それが本心だとしたら、彼女はきっと―――


 「分かりました。以後、気をつけます」


 水龍は司令官の言葉を諒解し、自分の意見がどれだけ愚かだったかを、自分自身が一番分かっているはずの苦痛を疑えなかったことを恥じた。

 だが、司令官は決してそれを咎めない。戦力が不足し、さらには資源までもが枯渇したこの状況で、前線を後退させる他ない状況下の中、やっと、戦況を覆せるかもしれない希望が見えたのだ。それに縋ることは、当たり前の事だろう。


 司令官は、再び資料に目を通そうと、それを手に取ろうとする。だが、ふと気づいた時、机に置いたはずの資料が消えていた。

 しかし、その資料はすぐに見つかった。横を見ると、風龍が、妹の一人と共に、資料を見比べていた。その目は真剣かつ、内容の奥底を見通す目だ。

 そして、目を一度閉じ、再び見開いた風龍は、司令官の方を向く。


 「提督、水月さんを実戦投入しても良いかと思います」

 「根拠は」

 「最低限、資源の海上輸送路を開くためです」


 風龍の意見は、資源の海上輸送の開拓のためだった。今でこそタンカーなどが往来しているが、現実では、人類が制海権を損失しつつある。それに伴い、資源の輸入費が、日々上昇しているのが現状だ。

 だが、自分達が直接輸入するとなれば、話は別だ。排他的経済水域の境界線に霧の門を出現させ、そこから輸送艦隊を送り込み、現地で資源を調達。そのまま元の場所まで戻り、帰還する方法ならば、掛かる関税は少なくて済む。

 そのためには、制海権の安定化が必須条件だ。そこで水月を投入し、一時的であったとしても、制海権の安定化を狙う。合理的かつ、鎮守府の財政難を解決する方法だ。

 しかし、司令官は未だに結論を出せない。その理由は、水月の本心を考慮してのものだ。

 すると、隣に立っていた風龍の妹が、意見を言った。


 「提督、風龍姉さんの意見は適格で正確です。水月さんの本心が、何かしらの状況下で発動しない限り、大丈夫かと」

 「霜龍、お前まで……」

 「提督よ、ここは素直に聞き入れるべきじゃ」


 話の間に、神龍が口を挟んだ。それに加え、神龍は風龍の意見に賛同していた。その隣では、首を縦に振る燕龍の姿がある。それは、その隣にいた金髪の女も同じだった。


 「燕龍、鳳龍、お前たちもか……」

 「何を当たり前のことをおっしゃるのですか」

 「このままでは、負債がいつまで経っても返せませんよ」


 鳳龍と呼ばれた女の言葉に、司令官は胸を突かれる痛みを覚えた。

 二日前、水月に告げたように、鎮守府には異常なほどの負債がある。それは、人間の私腹を肥やすために出費したものがほとんどだ。結果、金融機関から資金を枯れる羽目になった。

 これは、鎮守府の者が共通して認識している事実であり、一刻も早く返済しなければならないと考える者が多い。それを盾にされてしまっては、負債者である司令官は、手も足も出せなかった。


 「分かった分かった。水月を前線に出そう」


 司令官は、渋々ながらも、水月を前線に出すことを決定した。近々、反攻作戦の準備をしなければならないと考えると、日本政府に押しつけられた無意味な書類仕事を含め、肩の荷がさらに重くなるのを感じる。

 その一方で、その場にいる駆逐艦達は微笑んでいた。前線に強力な戦力が来ることを考えたら、希望の光がより強まったことだろう。

 その微笑みを見て、司令官も微笑んだ。この笑顔を守れるなら、自身の労力と疲労は対価に見合ったものだと、心の底から思った。

 やがて、会議は終わった。駆逐艦達を先に帰らせた司令官は、執務室にある、何重にも鍵をかけた資料棚の戸を開いた。その中には、鎮守府に住む者一人一人の演習による戦力の分析結果が纏められたファイルが敷き詰められている。

 司令官は、水月の結果を中に保管すると、棚に再び鍵を閉める。そして、静寂の包む執務室を見つめた。そこには何もないはずだが、司令官には、何かを感じるところがあるらしい。

 見えない何かを見つめた司令官は、それから目を逸らすようにして、執務室から出て行った。そこに残されたのは、静寂が支配する空間のみだった―――




 鎮守府本部の裏に設置された巨大な水槽。それは、世界大会などで使用されるものと、ほぼ同じ広さを有している。しかし、その風貌は、フィールドグリーンに染まった鉄格子に囲まれ、学校のプールのようにも見える。

 だが、ここは泳ぐための施設ではない。海上で戦う者達の艤装訓練の使用で使われるのがほとんどだ。しかし、それよりも頻繁に行われているものがある。

 それを示す水しぶきが上がる。水槽の水の一部は紅く染まり、周囲に溶けいるようにして無色に戻る。その水槽から姿を現すのは、鎮守府で特注される鋼色の軍用水着を身に纏い、海水に濡れた数人の女だ。その体は、ところどころ紅く染まっている。

 周囲に立つ女達は、水槽から上がってきた女達にタオルを渡す。女達はそれで体を拭き、先ほどで狭い場所にいた猫のように、のびのびと背伸びをした。


 「お疲れ。疲れたでしょ」

 「ええ。ですが、爆雷の規則が読めしまいましたから、この訓練は意味がなくなってくるかもしれませんね」


 訓練の内容に触れる女達は、この訓練の機械に対して愚痴を零した。しかし、変わらないものは変わらないとして、受け入れている部分もある。

 そんな彼女達は、旧大龍帝国海軍の唯一の潜水艦である、海龍型潜水艦の姉妹達だ。人に成ってから、全盛期では一日で十数隻の敵輸送艦を撃沈するなど、大きな戦果を上げていた。

 しかし、時の流れは残酷であり、対潜技術象徴とも言える逆電波探知機や、爆雷の性能が向上した敵艦が登場してからは、敵艦へ近づくことすら困難になってしまった。

 今は、誰一人として欠けないようにするため、日常的に爆雷の回避訓練を行っている。しかし、この訓練は、生存性を向上させる苦肉の策だった。本来ならば、装備の性能を上げるべきなのだろうが、鎮守府の財政状況を考えると、贅沢は言えなかった。


 女達が話している中、一人の女は、少し離れた場所から、その光景を見ていた。その表情は、とても穏やかで、優しい目をしている。

 女の紺碧色の長髪は、地上を照らしつける日光と、海から絶え間なく送られる潮風に吹かれ、美しく靡いている。

 すると、まだ水槽に残っていた一人の女が、紺碧髪の女の元へと上がってきた。髪に染みた水を振り払い、そのまま、碧髪女の隣に隣に並んだ。


 「お疲れ様、深龍。かなり上達したじゃない」

 「ええ、海龍姉さんの教えが良いからですよ。それより、いつまでこの無駄な訓練を続けるつもりですか?」


 海龍型の長女、海龍は、妹の言葉に黙り込んだ。穏やかな表情は、自然と消え失せていた。

 海龍自身も、分かっているのだ。この訓練が苦肉の策だと言うこと、根本的な解決に至っていないことを。それ故に、この訓練を正当化する理由が見つからなかった。


 「そうね……私たちがやっていることは無意味に近いかもしれない……」

 「事実、そうでしょう。旧日本海軍が建造した潜高型潜水艦、またの名を伊201型潜水艦の真似事に過ぎません」


 深龍は、旧日本海軍の潜水艦と現状を比べた。事実、海龍型の速度は、潜高型潜水艦の初期計画速度と変わらない。二十五ノットの水中速度は、海龍型の強みでもある。

 そして、潜水艦潜水艦は、速度の向上によって、生存能力を向上させようとした型だ。最終的な水中速度こそ十五ノットとなってしまったものの、構想自体は生きている。

 しかしながら、潜高型潜水艦が実戦投入され、敵艦と戦火を交えたとしても、生存能力の向上は実感できなかったかもしれない。その理由は、電池に問題があったとされるが、それ以前の問題として、爆雷を回避できたのか不明という点がある。これは、海龍型が現状抱えている問題だった。

 だが、海龍は、この意味のないかもしれない訓練に対し、強い信念を持って挑んでいた。だからこそ、この訓練を、無駄だと思いたくはなかった。


 「知ってるかしら。『怠惰の痛みより努力の痛み』という格言を」

 「……ええ、知ってます」

 「この格言は、今の状況に当てはまるんじゃない? 少なくとも、何もしないよりかは良いと思うわ」


 姉の言葉に、深龍は黙り込んだ。姉の言葉は、この訓練の意味を問う核心に近いものだった。いつかは報われるかもしれないが、報われないかもしれない。未来とは、そういうものだ。

 しかし、深龍は知っていた。怠惰に身を投げ、後悔した者の姿を。記憶に残るそれは、海龍の言った格言を具現化したものだ。

 だからだろう、深龍は自然と納得せざるを得なかった。


 「そうですね。確かに、何もしないよりかは幾分か」

 「そう信じたいわね」

 「言った本人が不安にしてどうするんですか」


 海龍は僅かに笑うと、深龍の頭を撫でた。理由は特にないが、やはり妹の可愛ささらか、反射的にそうしてしまった。

 深龍は海龍の手を振り払うと、不機嫌そうに明後日の方向を向く。しかし、その頬は僅かに赤らんでいて、恥ずかしさを隠しているようだ。


 その直後だった。海龍は、心臓付近に激しい痛みと、異常なほどの熱を感じた。反射的に胸を押さえ、痛みのあまり、その場に膝をついた。

 それを見た深龍は、海龍に何が起こったのかを理解し、近くで話し合っている姉妹に向かって、こっちに来るよう叫んだ。

 状況を理解した姉妹は、走って海龍の元へと駆けつけた。海龍は激しく咳き込んでおり、口を手を押さえている。それは、何度も見た、命の危機を感じさせるものだ。


 「暗龍、黒龍、今すぐ手分けして氷龍を探してきて。響龍、霞龍は今すぐに薬と水入りの水筒を取ってきて」

 「「分かりました!!」」


 三人の妹に指示を出した次女は、咳き込む姉を横向きに寝かせようと近づく。

 しかし、それよりも早く、海龍が吐血した。口を押さえていた手の手袋に染みた血は、重力に従って下へと伝い落ちる。

 次女である女は、姉を横に寝かすのを諦め、先に、腹の中に溜まった血を吐き出させることにした。このままでは、薬を飲ませようにも飲ませられないからだ。


 「煌龍、私なら……大丈夫だから……」

 「大丈夫じゃない。無理せず、全て吐き出して」


 煌龍は、姉の言葉を信じず、血を全て吐き出させようと、姉の背中を擦った。姉は相変わらず咳き込み、手ですくう水の倍の量の血を吐き出した。

 そして、海龍が息も絶え絶えになった頃、響龍と霞龍が、薬を持って戻ってきた。煌龍は、妹から受け取った薬の容器から、錠剤を三錠取り出すと、それを姉の口に入れ、水で流し込ませた。

 数分もすると、海龍の容体は安定し、荒かった呼吸も正常になった。しかし、その容体は、未だに油断を許さない状況だということを、海龍の妹達は分かっていた。

 ふと、海龍が目を開けると、そこには晴天の空と、周囲に集まった妹達の顔が見えた。また、やってしまったと思いながら、海龍は立ち上がろうと、震える足を動かした。


 「海龍姉、まだ動いちゃ駄目。安静にしてないと」

 「いいえ、服を洗わないと、しみになってしまうから、早く行かないと……」


 姉の言葉に、煌龍は驚きを通り越し、呆れた。これまでにも、何度も、何度も、このような光景を目の当たりにしてきた。それでもなお、姉は自分の体よりも、周囲のことを気にしている節がある。

 今回も同じだ。自分のことよりも、鎮守府の財政状況を考え、新しい服を仕立てる代金を無くすため、血で汚れてしまった服を洗うべく動こうとしている。

 とは言え、海龍自身が、体のことは一番分かっていた。食べ物が喉を通らない日もあれば、一日中寝込んだ日もあった。そんな容体の安定しない中動くことは、本来自殺行為に等しいのだろう。

 だが、変わらない意思はあった。なるべく、自分のことは自分で何とかしようと。これまで、患った病の関係で、何度も妹達や、提督に迷惑をかけてしまった。だからこそ、自分の体を見た上で、行動するようにしていた。


 「私なら大丈夫。二人が帰ってきたら、すぐ戻るって伝えておいて」


 海龍が妹達を安心させるために放った言葉は、その場に沈黙を残すだけだった。無理もないだろう、海龍の行動は、結局周りに心配をかけさせているのだから。

 そんな中、数いる妹達の中からたった一人、海龍に近づく者がいた。それは、深藍の長髪で、黄蘗の瞳をした女だ。女は海龍の横を通り過ぎる刹那の間に、海龍の肩を叩いた。


 「姉さん、念の為、氷龍姉さんの元へ行ってから戻ってきてください。そうでもないと、姉さん達も、妹達も眠れません」


 女はそう言い、訓練水槽へと飛び込んだ。それと同時に、訓練用爆雷が投下され始める。

 一見すれば、女の行動は姉をあまり心配していないように見える。しかし、海龍がすれ違い際に見た妹の顔は、不安に満ちているものだった。

 海龍は、またもや心配をかけさせてしまったと、心から悔やんだ。それと同時に、ここまで気遣ってくれる妹達を、誇りと思った。


 「ありがとう、靂龍。気をつけるわ」


 海龍は、訓練水槽に潜った妹へ向け、感謝の言葉を呟くと、血に染まった手袋洗うため、訓練水槽を後にした。その背中を、海龍の妹達は、不安そうな眼差しで見ていた―――




 鎮守府の主という立場は、常に仕事が付き纏うものだ。日本政府から押しつけられた山の量の書類もそうだが、鎮守府に住む者達の健康を把握するのも、司令官としての役割だ。

 それ故、司令官は定期的に医務室を訪れている。そこには、旧大龍帝国にすら現れなかった、神の手とも言えるほどの医師が存在している。彼女こそが、鎮守府全体の健康を管理していると言っても過言ではないほどだ。

 しかし、今回は少しばかり勝手が違った。いつもなら医務室に訪れるはずだった司令官だが、どういうわけか、今日は医師の私室へと呼ばれていた。

 司令官の目線の先には、ベッドに腰を下ろし、熱いコーヒーを飲む藍白の長髪の女がいた。鎮守府の特注品である、鋼色の軍用水着の上に白衣を着る姿は、医師とは思えない姿だ。


 「―――それで、俺をここに呼び出したと」

 「はい、あまり公にできない話ですし、監視カメラが存在しないこっちの方が落ち着きますから」


 女の事情を聞いた司令官は、呆れた顔で額を抑えていた。まさか、数日もしない内にこのような事態になっているとは、考えもしなかった。

 しかし、その一方で、司令官は納得している部分もあった。鎮守府に住む者達は、何かと自己犠牲の精神が根付いている。それを考えれば、女から聞いた言葉は必然的に思えた。

 ふと、司令官は、時刻が正午を過ぎていることに気づいた。仕事に集中していたあまり、時間のことを忘れていたらしい。


 「氷龍、これから昼食にでもしないか? 食事は俺が作るから、お前は座って待っているだけでいい」


 司令官は女の名を呼び、昼食に誘った。

 女もとい、氷龍は少し悩んだ後、カップに残っていたコーヒーを、全て腹へと流し込み、近くの棚の上にカップを置いて言った。


 「提督がそうおっしゃるなら、断る理由はございません」


 氷龍は、司令官の誘いに乗ることにした。昼食は栄養ゼリーで済ませようとしていたため、司令官の誘いは、願ってもないことだった。

 氷龍は司令官と共に私室を出ると、部屋の鍵を閉めた。

 部屋を出てすぐ、四つ隣の部屋から、一人の女が出てきた。女は氷龍と同じ軍用水着を着ており、花浅葱色の長髪をしている。

 女はこちらに向かってくる氷龍に気づくと、すぐに扉の鍵を閉め、氷龍の元へと歩いてきた。


 「氷龍、久しぶりね。元気にしてた?」

 「元気ですよ。まあ、医務室勤務なので、基本的に姉姉さん方にも、妹達にも会えないので寂しくはありますが」


 女は、氷龍の言葉を聞き、微笑んだ。その笑顔は、どこか掴みどころがないくらいに穏やかなものだった。

 女はふと視線を逸らすと、氷龍の背後に立っている提督を見つけた。女は慌てて、海軍の敬礼を取った。


 「お久しぶりです。体調も回復しましたので、また、任務に復帰します」

 「いや、日時的に考えて、お前のやるべき仕事はもうない。大人しく年明けまで安静にしていろ」

 「ですが……」


 女は、司令官に安静にしとくよう、釘を刺されてしまった。確かに、ここ数日は体調を崩していたが、今となってはそれも心配しないほどに回復した。せめて、何かしないと落ち着かなかった。

 しかし、それを制止したのは、氷龍だった。


 「清龍姉さん、ここは提督の言葉に従いましょう」

 「あなたがそう言うなら……分かったわ。不本意だけど、もうしばらくは安静にするわ」


 清龍と呼ばれた女は、妹の言葉に従うことにした。その顔は不機嫌そうだったが、半ば諦め、現実を受け入れているようにも見えた。


 すると、遠くにある鎮守府本部と兵舎を繋ぐ通路から、紺碧髪の女が歩いてきた。それは、清龍と氷龍にとって、心配の的だ。

 案の定、少しづつ近づく女の足取りはおぼつかないもので、手袋は血に染まっていた。二人は呆れながら、目を見合わせ、肩を上下させた。


 「海龍姉さん、また無理をなされたのですか?」

 「自分のことくらい自分で管理してください」


 二人の言葉を聞き、苦笑したのは、姉である海龍だ。やはり、心配をかけてしまったと、またもや反省した。

 だが、海龍はそれどころではなかった。手袋が血に染まったこともそうだが、妹二人の背後にいるのは、間違いなく提督だ。一刻も早くこの場から去ろうと、私室の扉を開けようと、鍵を差し入れた。


 「海龍、少し待て」


 提督から、冷徹な声が掛かった。それは、心臓を鷲掴みされたような声であり、向けられている視線は、絶対零度のものだと分かった。

 海龍は恐る恐る司令官の方へ向くと、案の定、提督が絶対零度の視線を送っている。その目は、何度も見たことのある、心の内を見透かされ、これまでの誤魔化しを清算するときの目だ。


 「海龍、お前は数日前、容体は悪化していないと、確かに言ったな」

 「な、何のことでしょうか」

 「誤魔化しても無駄だ。お前、一週間ほど前から容体が悪化しているだろう」


 提督から放たれた言葉に、海龍の表情が引きつったものに変わる。そして、この場にいた清龍と氷龍は、二人して姉を驚きの目で見る。

 海龍は、これ以上の誤魔化しが効かないことを理解した。これ以上誤魔化そうとすれば、下手をすれば厳罰が下れるかもしれないと考えると、恐ろしくて腰が抜けそうになった。


 「は、はい……そうです……」


 海龍の言葉を聞き、鎮守府の主の表情が変わった。それは笑みだが、決して微笑んでいるわけではない。あれは、怒りを抑えている時の笑みだ。

 海龍は蛇に睨まれた蛙のように動けなくなってしまった。


 「清龍、氷龍、申し訳ないが、海龍を捕らえてくれ」

 「「了解しました」」


 提督が、二人に指示を出した。二人の目は、獲物を捕らえる鷹のように鋭く、海龍をこの場から逃さないという気迫を感じさせた。

 ゆっくり近づく妹二人は、海龍にとって恐怖そのものだ。いつもの明るく、可愛らしい姿はどこにもなく、恐怖の対象へと変貌していた―――


 ―――かつて、海龍型潜水艦は『海蛇』の異名で恐れられていた。一方的に魚雷を放たれ、船を沈められる敵にとっては、絶望そのものだっただろう。

 海龍は、その恐怖を見を持って感じた。提督の指示によって、自身を捕らえようとする妹二人の瞳には、一切の光が宿っていない。

 そして、海龍が一歩後退りした時、二人は海龍へ飛び掛かっていた。一瞬にして体を押さえつけられ、手足を押さえつけられる。それはまさに、猛獣の狩りのようだ。

 海龍が捕らえられたのを確認した鎮守府の主は、二人の元まで歩き、拘束された海龍を、まるで猫を扱うかのように担ぎ上げる。


 「すまないが、少しばかり海龍を借りるぞ。氷龍、食事の件は申し訳ないが……」

 「お気になさらないでください。昼食は栄養ゼリーで済ませておきます」

 「よし、食事で待っておけ。すぐに戻る」


 鎮守府の主はそう言うと、海龍を担いだまま、どこかへ向かって歩き出した。

 無論、海龍はこの後、提督に何をされるのか分かっているので、拘束から逃れようと必死に暴れた。しかし、体格差や力の差があるため、それは叶わなかった。

 海龍は最後の手段として、遠くなりつつある妹二人に助けを求めた。だが、二人は姉を助けるつもりなど元から無く、諦めて連行されるよう姉に返す。

 結果、海龍は絶望の表情を浮かべながら、鎮守府の主に担ぎ運ばれるしかなかった―――




 治療室に担ぎ込まれた海龍は、抵抗する隙もなく、ベッドに縛りつけられてしまった。縛りつけられてからも必死に抵抗するも、縄の縛りがきつく、藻掻こうにも藻掻けない。

 そんな中、鎮守府の主は注射器と、謎の液体を用意していた。液体の瓶を開け、それをシリンダー内に充填する。

 液体をシリンダー内に充填した司令官は、アルコール綿と注射器を持ち、ベッドに縛りつけた海龍に近づいた。海龍は恐怖からか、拘束から逃れようとより暴れる。

 だが、それは、司令官にとっては何の関係もないことだ。注射針が折れないよう、海龍の腕を押さえつけた後、アルコール綿で注射する箇所を拭いた。


 「提督、待ってください!! せめて、もう少し副作用の弱いものをお願いします!!」

 「申し訳ないが、これ以下のものでは効果が見込めない。我慢してくれ」


 海龍の訴えは、軽々と取り消されてしまった。それは、これから始まる、地獄ともいえる苦しみの幕開けを告げるものだ。

 海龍の表情が、より濃い絶望に染まる。だが、同時に、この拘束からは逃れられないと諦めがつき、抵抗をやめてしまった。

 しかし、海龍の心境は、明らかに恐怖に支配されている。呼吸が荒くなり、触れている腕からは心臓の鼓動が速くなるのが分かる。

 鎮守府の主は、海龍がこれほどまでに注射を嫌がる理由が分かっている。海龍が恐れているのは、注射本体ではなく、シリンダーに充填された液体なのだ。そして、目の前で涙を流す少女に、地獄のような痛みを味あわせてしまうと考えると、心が痛んだ。

 しかし、これは変えられず、避けられない運命なのだ。そうしなければ、炎は徐々に海龍を蝕み、やがてその命をも灰に変えてしまうだろう。それを避けるためには、これしか方法がなかった。

 鎮守府の主は深呼吸をすると、手に持っていた注射器の針を、少女の華奢な腕に突き刺した―――


 ―――少女が目を覚ましたのは、夕暮れ時だった。頭部には、金槌で叩かれたような痛みが走り、とても起き上がれる状況ではなかった。しかし、彼女は自分の身に何が起こったのかを知るべく、無理をして、体を起こした。

 周囲を見渡すと、そこは、鎮守府の療養室だった。電気もつかず、夕日のみが照らす療養室は、実に不気味だった。

 ふと、体の感覚が回復してきたのを感じると同時に、右手を握っているものがいるのに気づいた。見てみると、隣では、妹の煌龍が手を握り、眠りに落ちていた。

 何があったのか把握できていない海龍は、この光景を不思議に思うも、妹の寝顔を見ていると、じっとせずにはいられなかった。先ほどから重たい左腕を動かし、妹の頭を優しく撫でた。

 その次の瞬間、突如として左腕に、激しい痛みが走った。あまりの痛みに、思わず叫びそうになるも、妹が隣で寝ているため、叫ぶのを必死に堪えた。

 数秒もすると痛みは治まったが、海龍は、左腕に違和感を感じていた。肩の関節だけを使い、左腕を顔の高さまで持ってくると、いつの間にか着せられていた病衣の袖を口で捲り、痛みの発生源を確認する。

 そこにあったのは、青くなった痣と、何か細いもので刺されたような跡だった。それを見た海龍は、全てを思い出した。提督に体を拘束され、患った病の特効薬を打ち込まれたのだ。

 それを思い出したからか、海龍の呼吸が自然と荒くなる。あの時の痛みが、フラッシュバックを通して体に伝わり、現実から目を背けたくなる。しかし、患った病が故に、それは叶わなかった。


 すると、突如として療養室の扉が開かれた。療養室に入ってきたのは、鶏の串焼きを食べている氷龍だった。本来、療養室に漂ってはならない焼鶏の香ばしい香りが、療養室を包み込んだ。

 その香りを感じ取ったのか、眠っていた煌龍が目を覚まし、氷龍の方に目を向けた。

 氷龍は二人の元へ近づくと、近くにあった折りたたみ椅子を開き、その上に座る。


 「目が覚めたようですね」

 「え、ええ……」

 「やはり、あの薬への恐怖は消えませんか」


 妹の言葉に、海龍は黙り込んだ。確かに、薬の副作用は恐ろしいものだ。だが、それよりも恐ろしいものを、海龍は知っている。


 「薬よりも、あなた達を失う方がよっぽど恐ろしい」

 「……そうですか」


 姉の言葉に、氷龍は、たった一言だけ返した。姉の心的外傷は、姉妹全員が知っていることだ。

 姉が最も恐れていることは、置いていかれることと、失うことだ。氷龍も、姉を残してしまった一人であり、姉が失った一人だ。

 だからこそ、姉が落ち込んでいる時は、なるべく側にいるようにしている。それが、姉にとっての幸せの時間なのだから。

 ふと、もう一人の姉を見ると、目覚めて間もないからなのか、まだ目が完全に開いていない。しかし、その視線は、はっきりとこちらを見ている。

 そして、氷龍は気づいた。もう一人の姉が、何を見ているのか。


 「念の為と思って、六本ほど拝借してきました。よければどうぞ」


 氷龍はそう言って、持ってきた袋の中に入っていた、パック詰めされた鶏の串焼きを取り出した。それを見たもう一人の姉は、頭を下げてそれを受け取った。

 海龍は、その光景をみて微笑ましいと思いつつも、妹の言動について頭を悩ませていた。頭が回っておらず、いつもなら簡単に予想のつくことも分からなかったため、妹に直接聞くことにした。


 「氷龍、その串焼きはどこから取ってきたの?」

 「提督の夕食から拝借してきました」


 妹の言葉に、姉二人の時が止まる。もう一人の姉に至っては、衝撃の事実のあまり、パックを落としかけてしまうほどだ。

 しかし、すぐに海龍は我に返り、氷龍の肩を掴んだ。


 「それは拝借って言わない。夕食泥棒だから」

 「すいません、言葉足らずでしたね。提督から、事前に許可は取ってます」

 

 妹の言葉を聞き、姉二人は安堵した。倫理観を重んじる氷龍が、まさか、夕食泥棒になるなどとは思えないが、万が一のことがあるため、不安になっていた。

 ふと、氷龍は現在時刻を見た。現在時刻は十九時近くで、そろそろ、鎮守府全体の夕食が始まる頃だ。一足先に夕食を取った氷龍は関係ないが、しばらく療養しなければならない姉の献立を考えねばならないと、椅子を片付け、療養室を去ろうとした。

 しかし、直前で姉が氷龍を呼び止めた。


 「氷龍、少し、わがままを言っても良いかしら」

 「何ですか?」

 「夕食、できれば白米と味噌汁を御願いしたいのだけれど……良いかしら?」


 姉の消え入るような願い。それは、献立を考える氷龍へと気遣いか、それとも、自分が食べたいだけなのか、それは分からない。

 だが、氷龍の答えは瞬時に決まっていた。


 「なんだ、そんなことですか。良いですよ」


 氷龍はそう言うと、療養室を去った。

 廊下は電気がついており、療養室の空気とは一変して、妙な安心感があった。近くの曲がり角を見ると、疲れ切った暗龍と黒龍が、食堂へ向かう姿が見えた。

 何の変哲もない、ごくごく普通の生活。唯一違うとすれば、ここが檻のような存在であること。それでも、鎮守府に住んでからは、その感覚も麻痺してしまった。

 だからだろうか、何か大切なものを失った気がするのは。それが何かは、氷龍自身も分かっていない。

 それでも、何かを求め、何かを失った感覚は、常に心につき纏っているのは分かる。心の中に巣食うそれは、ある意味で何かの病なのかもしれない。

 しかし、そんなことを気にしても仕方ないと、氷龍は歩き出す。歩く動作で僅かに揺れる白衣は、どこか暗く、寂しげであった―――

【登場人物】

《旧大龍帝国 首脳陣》

(軍備管理部門/鎮守府元帥)

・旧大龍帝国元十三代首脳 龍造暁翠


《旧大龍帝国 海軍》

(風龍型駆逐艦)

・一番艦 DF-001 風龍

・六番艦 DF-006 水龍

・七番艦 DF-007 霜龍


(神龍型駆逐艦)

・一番艦 DN-001 神龍

・二番艦 DN-002 燕龍

・三番艦 DN-003 鳳龍


(海龍型潜水艦)

一番艦 Kz-001 海龍

二番艦 Kz-002 煌龍

三番艦 Kz-003 深龍

四番艦 Kz-004 清龍 

五番艦 Kz-005 暗龍

六番艦 Kz-006 黒龍

七番艦 Kz-007 響龍

八番艦 Kz-008 氷龍

九番艦 Kz-009 霞龍

十番艦 Kz-010 靂龍


【裏設定②】

第一話でも登場した氷龍であるが、今回で、鎮守府に勤める医師ということが確定した。そんな氷龍であるが、その神の手とも言える医療技術こそが、コンプレックスとなっている。それは、救えたかもしれない命を救えなかったことに対する、自責の念から生まれているものだ。それ故に、手術の際など、極稀に自分の腕を疑い、迷いを生んでしまう時が稀にある。

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