第四話 海蛇の病 ②
鎮守府の主という立場は、常に仕事が付き纏うものだ。日本政府から押しつけられた山の量の書類もそうだが、鎮守府に住む者達の健康を把握するのも、司令官としての役割だ。
それ故、司令官は定期的に医務室を訪れている。そこには、旧大龍帝国にすら現れなかった、神の手とも言えるほどの医師が存在している。彼女こそが、鎮守府全体の健康を管理していると言っても過言ではないほどだ。
しかし、今回は少しばかり勝手が違った。いつもなら医務室に訪れるはずだった司令官だが、どういうわけか、今日は医師の私室へと呼ばれていた。
司令官の目線の先には、ベッドに腰を下ろし、熱いコーヒーを飲む藍白の長髪の女がいた。鎮守府の特注品である、鋼色の軍用水着の上に白衣を着る姿は、医師とは思えない姿だ。
「―――それで、俺をここに呼び出したと」
「はい、あまり公にできない話ですし、監視カメラが存在しないこっちの方が落ち着きますから」
女の事情を聞いた司令官は、呆れた顔で額を抑えていた。まさか、数日もしない内にこのような事態になっているとは、考えもしなかった。
しかし、その一方で、司令官は納得している部分もあった。鎮守府に住む者達は、何かと自己犠牲の精神が根付いている。それを考えれば、女から聞いた言葉は必然的に思えた。
ふと、司令官は、時刻が正午を過ぎていることに気づいた。仕事に集中していたあまり、時間のことを忘れていたらしい。
「氷龍、これから昼食にでもしないか? 食事は俺が作るから、お前は座って待っているだけでいい」
司令官は女の名を呼び、昼食に誘った。
女もとい、氷龍は少し悩んだ後、カップに残っていたコーヒーを、全て腹へと流し込み、近くの棚の上にカップを置いて言った。
「提督がそうおっしゃるなら、断る理由はございません」
氷龍は、司令官の誘いに乗ることにした。昼食は栄養ゼリーで済ませようとしていたため、司令官の誘いは、願ってもないことだった。
氷龍は司令官と共に私室を出ると、部屋の鍵を閉めた。
部屋を出てすぐ、四つ隣の部屋から、一人の女が出てきた。女は氷龍と同じ軍用水着を着ており、花浅葱色の長髪をしている。
女はこちらに向かってくる氷龍に気づくと、すぐに扉の鍵を閉め、氷龍の元へと歩いてきた。
「氷龍、久しぶりね。元気にしてた?」
「元気ですよ。まあ、医務室勤務なので、基本的に姉姉さん方にも、妹達にも会えないので寂しくはありますが」
女は、氷龍の言葉を聞き、微笑んだ。その笑顔は、どこか掴みどころがないくらいに穏やかなものだった。
女はふと視線を逸らすと、氷龍の背後に立っている提督を見つけた。女は慌てて、海軍の敬礼を取った。
「お久しぶりです。体調も回復しましたので、また、任務に復帰します」
「いや、日時的に考えて、お前のやるべき仕事はもうない。大人しく年明けまで安静にしていろ」
「ですが……」
女は、司令官に安静にしとくよう、釘を刺されてしまった。確かに、ここ数日は体調を崩していたが、今となってはそれも心配しないほどに回復した。せめて、何かしないと落ち着かなかった。
しかし、それを制止したのは、氷龍だった。
「清龍姉さん、ここは提督の言葉に従いましょう」
「あなたがそう言うなら……分かったわ。不本意だけど、もうしばらくは安静にするわ」
清龍と呼ばれた女は、妹の言葉に従うことにした。その顔は不機嫌そうだったが、半ば諦め、現実を受け入れているようにも見えた。
すると、遠くにある鎮守府本部と兵舎を繋ぐ通路から、紺碧髪の女が歩いてきた。それは、清龍と氷龍にとって、心配の的だ。
案の定、少しづつ近づく女の足取りはおぼつかないもので、手袋は血に染まっていた。二人は呆れながら、目を見合わせ、肩を上下させた。
「海龍姉さん、また無理をなされたのですか?」
「自分のことくらい自分で管理してください」
二人の言葉を聞き、苦笑したのは、姉である海龍だ。やはり、心配をかけてしまったと、またもや反省した。
だが、海龍はそれどころではなかった。手袋が血に染まったこともそうだが、妹二人の背後にいるのは、間違いなく提督だ。一刻も早くこの場から去ろうと、私室の扉を開けようと、鍵を差し入れた。
「海龍、少し待て」
提督から、冷徹な声が掛かった。それは、心臓を鷲掴みされたような声であり、向けられている視線は、絶対零度のものだと分かった。
海龍は恐る恐る司令官の方へ向くと、案の定、提督が絶対零度の視線を送っている。その目は、何度も見たことのある、心の内を見透かされ、これまでの誤魔化しを清算するときの目だ。
「海龍、お前は数日前、容体は悪化していないと、確かに言ったな」
「な、何のことでしょうか」
「誤魔化しても無駄だ。お前、一週間ほど前から容体が悪化しているだろう」
提督から放たれた言葉に、海龍の表情が引きつったものに変わる。そして、この場にいた清龍と氷龍は、二人して姉を驚きの目で見る。
海龍は、これ以上の誤魔化しが効かないことを理解した。これ以上誤魔化そうとすれば、下手をすれば厳罰が下れるかもしれないと考えると、恐ろしくて腰が抜けそうになった。
「は、はい……そうです……」
海龍の言葉を聞き、鎮守府の主の表情が変わった。それは笑みだが、決して微笑んでいるわけではない。あれは、怒りを抑えている時の笑みだ。
海龍は蛇に睨まれた蛙のように動けなくなってしまった。
「清龍、氷龍、申し訳ないが、海龍を捕らえてくれ」
「「了解しました」」
提督が、二人に指示を出した。二人の目は、獲物を捕らえる鷹のように鋭く、海龍をこの場から逃さないという気迫を感じさせた。
ゆっくり近づく妹二人は、海龍にとって恐怖そのものだ。いつもの明るく、可愛らしい姿はどこにもなく、恐怖の対象へと変貌していた―――
―――かつて、海龍型潜水艦は『海蛇』の異名で恐れられていた。一方的に魚雷を放たれ、船を沈められる敵にとっては、絶望そのものだっただろう。
海龍は、その恐怖を見を持って感じた。提督の指示によって、自身を捕らえようとする妹二人の瞳には、一切の光が宿っていない。
そして、海龍が一歩後退りした時、二人は海龍へ飛び掛かっていた。一瞬にして体を押さえつけられ、手足を押さえつけられる。それはまさに、猛獣の狩りのようだ。
海龍が捕らえられたのを確認した鎮守府の主は、二人の元まで歩き、拘束された海龍を、まるで猫を扱うかのように担ぎ上げる。
「すまないが、少しばかり海龍を借りるぞ。氷龍、食事の件は申し訳ないが……」
「お気になさらないでください。昼食は栄養ゼリーで済ませておきます」
「よし、食事で待っておけ。すぐに戻る」
鎮守府の主はそう言うと、海龍を担いだまま、どこかへ向かって歩き出した。
無論、海龍はこの後、提督に何をされるのか分かっているので、拘束から逃れようと必死に暴れた。しかし、体格差や力の差があるため、それは叶わなかった。
海龍は最後の手段として、遠くなりつつある妹二人に助けを求めた。だが、二人は姉を助けるつもりなど元から無く、諦めて連行されるよう姉に返す。
結果、海龍は絶望の表情を浮かべながら、鎮守府の主に担ぎ運ばれるしかなかった―――




