第三話 人に成って ③
日が南中して少し経過した頃、海上では水しぶきが舞っていた。それは世界最大の準巨砲の弾が水中に帰す音だ。それを軽々と躱すのは、夜戦の天才と謳われる神龍姉妹だ。彼女達は互いの練度向上を目的とした演習に参加し、砲を撃ち合っていた。
だが、実弾を込めた砲の撃ち合いではない。着色弾、またの名を演習弾を使用しいる。しかしながら、演習弾も下手をすれば負傷の可能性があり、決して安全ではない。本来ならば、空砲と射撃管制装置を模擬戦機能にした方が、資源の消費は少なくて済むだろう。それでも司令官や一部の者からの意識より、演習弾は使われ続けている。
そうこうしている内に、審判を務めていた雪龍が双方に待ったを掛けた。
『双方、一時停止してください』
無線を通じて雪龍から送られてきた無線に、水月や神龍姉妹は前進するのを止め、火器を海面に向ける。
『皆さん、本気で演習に挑まれてますか? 神龍達は手加減をしてますし、水月さんに至っては、射撃管制装置を使用していませんよね?』
無線から送られてきた言葉に、神龍姉妹は肩を上下させ、水月は目を斜め下の海面に向ける。雪龍の言葉は図星だった。
彼女達の素振りを見た雪龍は、額を手で抑えながら深く溜息をつく。これでは練度向上などできないという呆れが、吐息をより深くさせる。
『これでは練度向上などできません。どうして手加減する必要があるのですか?』
『水月が射撃管制装置を使わんようじゃからな、ハンデは必要かと思うてのう』
神龍の言葉に、雪龍は頭痛を痛める思いになった。その一方で、水月は自身が要因となって神龍達が全力を出していないのだと理解した。
しかし、間を置かずに雪龍からの追及の言葉が送られてくる。
『水月さん、どうして射撃管制装置を使わず、目視の偏差射撃を? あなたの性能ならば、神龍達に打ち勝つことなど容易いことでは?』
『技量を出したかったから……とでも言うべきかしら。人間の体を得た今、昔のように性能だけでどうこうできる問題じゃないと思ったから』
水月の言葉に、雪龍は沈黙する。彼女の言葉はある意味で正しく、ある意味で間違っている。技量差は確かに大切だと、それは毎日のように姉から指導を受けていた雪龍が一番分かっていることだ。だが、それだけを戦場に持ち込むわけにはいかない。いずれそれは、自身を破滅に追いやるからだ。
『水月さんの言うことは正しいです。ですが、ここは模擬とは言え戦場です。全力を出さなければ、本番で死にます』
雪龍は威圧を孕んだ言葉を無線に乗せる。その言葉は、親友関係にある神龍姉妹でさえも肩を震わせるものだ。今まで関わりのない水月にとっては、その言葉にどれほどの恐怖を感じたことだろうか。
『ご、ごめんなさい……』
『別に怒っているわけではないのですが……』
雪龍はそう言うも、心の何処かでは僅かに怒りの感情が顔を覗かせているのは明確だ。そうでもなければ、手元に持っていた鉛筆を圧し折るようなことはしないのだろう。
だが、水月や神龍姉妹が予想していなかったのは、雪龍が放った次の言葉だ。
『神龍、水月さんの相手は私がします。代わりに観測手と審判をしてください』
雪龍は、水月の模擬戦相手をすると言った。神龍姉妹は断ろうとも考えたが、手を抜いた手前、その言葉を出すことはできなかった。
『分かった。くれぐれも怪我をするでないぞ』
『大丈夫です。これでも神風の風の字なので』
二人が言葉を交わすと、神龍姉妹は雪龍がいた位置に、雪龍は神龍がいた位置に移動する。そして、雪龍は水月を蛇のように鋭い目で見る。
『水月さん、私は本気で挑みます。あなたが手を抜くというならそれでも構いません。ですが、決して後悔しないでください』
『……分かったわ』
水月は腹を括り、持てる全力を出すことを決意した。主砲に演習弾を装填し、いつどこからでも迎撃を行えるよう、身体の感覚を研ぎ澄ませる。
やがて、準備を終えた雪龍がスタートダッシュを切った。それと同時に砲撃を行い、初手から水月に命中弾を与える。しかし、それは有効打には至らない。
その一方で、水月はこの状況を重く受け止めていた。射撃管制装置を使い、砲撃を行ってもなお雪龍は砲弾の着弾位置を確認し、的確にそれらを躱している。
(雪龍は砲弾の軌道をよく見ている。だけど、射撃精度は射撃管制装置がないからか僅かにぎこちない……それでもあの命中率は油断できないわね)
水月は思考を回しながらも、雪龍を近づけさせないために主副砲の弾幕を張り続けている。それでもなお、撃ち出された砲弾が雪龍を捉えることはない。
そして、雪龍との距離が百メートルを切ったころだ。雪龍は懐から何かを取り出すと、刹那の間に水月に向かって蹴り飛ばした。
雪龍が水月に飛ばした物。それは時限信管の爆雷だ。水月がそれに気づいたのは、それが目の前に飛んできた時だ。だが、水月はそれが顔に命中しないよう、刹那の間に頭を下げた。
その次の瞬間、起爆した爆雷が赤い液体を周囲に撒き散らした。それは水月の肩に取り付けられた副砲や髪、軍帽などを赤く染めた。
「やられたわね……最初から副砲を狙っていたなんて……」
水月は戦闘を継続すると同時に、肩に取り付けられていた副砲を非戦闘状態にする。これにより、正面に生み出される弾幕は消え去った。
これを狙っていた雪龍は、弾幕の無くなった正面に突撃する。弾幕を生み出せなくなった水月はどうすることもできず、ただただ射撃管制装置を用いた主砲による射撃しか行えなかった。
しかし、現実はもう分かりきっていたことだ。雪龍は水月の懐を侵略し、袈裟斬りの距離に持ち込まれた。そして、雪龍が手に持っていたのは紛れもない短刀だ。太陽の光を受け反射するそれは、紛れもない本物だ。
(しまった、死ぬ……!!)
雪龍の短刀が腹に届く瞬間、水月の脳裏に何かが映る。
赤い視界の中、刀で腹を切り裂かれ倒れる誰か。
返り血が飛び散り、赤く染まる周囲の景色。
暗い部屋の中、数人の男に囲まれながら血を吐き、今にも死にそうな男の声。
その全ては水月にとって見たことも聞いたこともないものだ。艦内で戦闘が行われたことはもちろん、このような光景を見たことは一度もない。それは目を背けたくなるもので、頭痛を引き起こさせるものだ。
「……さん……水月さん!!」
女は、自身の名を呼ぶ少女の声で我に返った。目の前にいるのは銀髪の女で、名前は雪龍だ。その背後に控える者達は巫女服を着ている。神龍姉妹だ。そして、彼女達は共通して水月を心配する目を向けてる。
「すいません。本物のように見えたかもしれませんが、これはゴム製のものです。殺気を放ったならば、水月さんは持てる本気を出すだろうと思い……」
雪龍は短刀を曲げると、水月に向かって深々と頭を下げる。本心から、自分の行為を深く反省しているようだった。
「私こそごめんなさい。雪龍の動きが速すぎたことに衝撃が隠せていないみたい」
水月はそう言いながら、額に顕になった冷や汗を拭う。雪龍や神龍姉妹は、何か別の理由があることを察している。だが、それを深掘りしようとはしなかった。
水月の精神面のこともあり、演習はここで打ち切られた。水月は性能面と技量の両立の課題を見つけるも、一瞬ながら脳裏に映った謎の記憶に、鳥肌が立つほどの違和感を感じていた。だが、今はあの記憶を一刻も早く忘れたかった―――




