第三話 人に成って ②
日も高く昇り、鎮守府で過ごす者が業務を終えるこの時間帯、水月は『第三射出カタパルト』へやってきた。三日前の艤装の使用訓練を行った際もここに訪れ、地上にある射出機構から海へと繰り出した。
改めて見ると、室内には多くの配管が張り巡らされている。ここまでくると、もはや工場の作業部屋のようにも見える。誰もいないこの室内には配管の中を移動する海水やら温風やらの轟音が支配し、圧力計の針やらが常に踊っている。
それから数分後のことだ。小さな轟音の中に混じって、足音が聞こえてきたのは。その足音は小さく、貴賓な歩き方を連想させるものだ。
水月が部屋の入り口へ振り向くと、そこには白よりの白灰色のセーラー服寄りの軍服を身に纏った女がいた。白銀のポニーテールは、女の動きに合わせて美しくなびいている。容姿といい足音といい美しい彼女は水月の前まで歩いてくると、海軍の敬礼を取った。
「復活と艦隊への所属、心より感謝申し上げます。自己紹介が遅れました、私は風龍型駆逐艦八番艦 雪龍です。お顔を拝見したのは最期の時以来ですね」
自らを雪龍と名乗った女は、「最期の時以来」と口にした。それを聞いた水月が思い出すのは、思い出したくもないあの記憶だ。だが、その記憶の中には目の前の女含まれていた。
「そうね……あなたを初めて見たのは、確かにあの時だけだったものね」
水月は哀愁を匂わせながら言う。それは雪龍に伝わり、僅かながらに罪悪感を感じさせる。だが、水月自身も分かっている。過去から抜け出すことの重要性を。
ふと、水月は雪龍の背後にある通路を覗いた。そこには誰もおらず、照明の通った薄暗い通路が続いているのみだ。
「雪龍、神龍達はどこにいるの?」
「分からりません。ですが、現時刻は予定よりも五分ほど早いので、しばらくしたら来ると思います」
「そうね。待ちましょうか」
雪龍の言葉に従い、水月は待つことにする。その間に装着していたアンテナを外し、埋め込まれた電子機器に異常がないかを確認する。幸いにも異常は見られないまま、時間は過ぎていった。
やがて、神龍を含めた五人が薄暗い通路の中から姿を現した。よほど急いでいたのか、普段着こなしているはずの巫女服は僅かに着崩れていた。しかし、見る限りただの睡眠不足に見え、誰もがだらしなくあくびをする始末だ。
「神龍、どうして服がこんなにも着崩れているのですか? 提督からお叱りを受けても私は責任を取れませんよ」
「仕方ないじゃろ……三時間ほどしか寝とらんのじゃ……」
怒りを表面に出さない雪龍の追求に対し、神龍はだらしない声で答える。それに合わせ、背後の妹達も首を縦に振った。
その行動に呆れた雪龍は、どこから取り出したのか分からない櫛を持ち、神龍の背後に回り込む。そして、その一部が跳ねた長髪を梳かし始めた。神龍は驚く素振りすら見せず、その場で倒れかけては倒れないよう必死になり、それを繰り返している。
そうしている内に、雪龍は神龍姉妹全員の髪を梳かし終え、僅かに着崩れている巫女服の修正を行う。それは慣れた手つきで、気がつけば作業が終わっている。
そして、雪龍はその場にいる神龍姉妹の身だしなみを整え終えた。櫛を懐に入れ、最後に喝を入れるかのように神龍姉妹の頭に瓦割りを打ち込む。神龍姉妹はそこで初めて完全に目が覚めた。
だが、次に神龍姉妹を襲ったのは頭の痛みだ。木の角材で叩かれたような痛みは、瞬時に神龍姉妹に共通して広がる。
「雪龍よ、何をするのじゃ……」
「演習時刻間近に神龍達が起きなかったので、強制的な起床を行っただけです」
神龍は烏のような呻き声を上げるも、雪龍は正論でそれを軽々く躱した。少々やり過ぎな部分は否めないが、任務に支障をきたさない場合はこれが手っ取り早い。
それとほぼ同時だった。配管が叫ぶ轟音の中、僅かに雑音が聞こえてきた。
『全員が第三射出カタパルトに集合したのを確認した。これより作戦の再確認を行う』
配管の中に紛れた大型のスピーカーから、司令官の声が聞こえてきた。だが、その声の質は悪いと言わざるを得ない。使用されているトールボーイ型のスピーカーは明らかに年季の入ったものであり、半分壊れかけているようにも見える。
水月は改めて、鎮守府の財政難を実感した。
『本日の演習は、水月の戦闘においての反応速度の向上、および神龍型の対艦戦闘訓練を目的としている―――』
司令官の言葉はスピーカーを通じ、淡々と進んだ。有事でないからか、話の内容は主に注意点に置かれた。演習とはいえ、戦闘行為が危険であることには変わりない。聞き手がそれを理解してもなお注意を行うということは、彼にとって最も重要なことだからだろう。
『―――伝達事項は以上となる。では、現時刻を持って演習を開始する。くれぐれも生傷を出さないように』
数分続いた伝達事項は終を迎え、スピーカーは役目を終えたかのように虚無になる。代わりに聞こえるのは、再び配管が叫ぶ声のみだ。
「では、行くとするか。我らを束縛する海原へ」
「では、駆逐艦部隊は先に行くよう命令されていますので、後ほど合流しましょう」
「分かったわ。また、海上で」
水月は神龍姉妹と雪龍と言葉を交わし、彼女達が去る背中を見送った。
やがて水月の番が回ってくる。艤装を装着するため、先ほどシャッターが開いた専用の小部屋に入ろうとする。だが、水月はふと足を止める。ただ配管の叫び声が木霊す部屋の中、ただ一人拳を握りしめた。
その数秒後、水月は何も言わずに歩き出した。部屋に入ると同時にシャッターがゆっくりと閉まり始める。その部屋の奥に向かい、女は歩みを進めた―――




