第七十三話 未知の侵略 ①
時は遡り、司令官が海上部隊、及び潜水艦隊を出撃させた直後へと戻る。艦隊を見送った司令官は、転移霧を用い、執務室へと即刻帰還する。
執務室へと帰還したら、即座に無線機の配線を操作し始めた。万が一、艦隊から緊急事態を知らせる信号が送られてきた場合、一刻も早く、それに気づくためである。
しかしながら、これが意味を為すのか為さないのかは、疑問が残った。もし、艦隊の通信が遮断、妨害されてしまえば、この無線機は何の意味も為さない、ただの大きな箱と化してしまう。
それでもなお、万が一の可能性がある以上、司令官はやるべきことをやるだけだった。
やがて、執務室には、蜘蛛の巣ように配線が張り巡らされた。下手をすれば足に絡まりそうな量の配線は、執務室に運び込まれた様々な機材へと繋がっている。
それを手伝った冥月は、目の前に広がる異様な光景に、何とも言えないと心無関心の間に心境があり、言葉を出せなかった。
しかし、司令官がここまですることは、異例中の異例だ。これが決戦時ならまだしも、通常の出撃において、これほどでの警戒を張ることは、これまでに一度もなかった。
だからか、僅かに興味があり、冥月はそれを聞いてしまった。
「元帥、どうしてこれほどまでの配線を?」
「何か、嫌な予感がする。それだけだ」
冥月の問いに、司令官はただ一言、そう言った。司令官の感じる悪感というものは、常日頃から的中してしまう。それほある意味、司令官の優秀さを示していた。
それから数分が経過した頃、執務室の扉が叩かれた。清掃班の掃除が終了したのかと思い、司令官は入出許可を出した。
だが、目に入ったのは、予想もしない光景だった。執務室に入ってきたのは、紫桜だった。確かに、本日帰還予定だった紫桜だが、まさか、ここまで早く帰ってくるとは思わなかった。
紫桜は執務室に入るなり、蜘蛛の巣のように張り巡らされた配線を見て溜息をついた。司令官がこんなことをするのは、何か悪感を感じた時しかないからだ。
「司令官、何かあるのですね」
「ああ、救援要請のあったバルパライソに向け、陸上部隊と海上部隊を送り込んだ」
「そこに、悪感を感じると」
「ああ、俺の思い違いであって欲しいがな」
司令官はそう言うと、手元にある無線機のつまみを回した。しかし、無線機が捉える周波はどこにもない。そこに広がるのは、雑音に満ちた世界だ。
一方、紫桜も胸の奥が揺さぶられているのを感じた。これまでに感じたことのないこの感覚の正体は、紫桜には到底分かり得ない。
鎮守府は沈黙している。清掃班が発していた掛け声さえ、今は聞こえなくなってしまった。空は雲行きが怪しくなり、光を全て遮った。
海は荒れ、常時よりも波が高くなっているのが確認できる。明るく、穏やかだったころの姿を隠し、今は髪を乱れさせ、怒り狂っている。
風は吹き荒れ、鎮守府正面に存在する森を激しく揺らしている。木々は怯え、何かを鎮守府へと訴えようとしている。
そして、事態は動き始めた―――
―――突如として感じた圧迫感。それは、空気が激しく揺れた音だ。鎮守府の窓ガラスは悲鳴を上げて割れ、外付けされていた時計の針は、踊り狂った。
紫桜は、胸の奥にあった悪感が本当であったと確信した。この空気の揺れといい、どこからか感じる強い気配といい、全ては未知のものだ。
司令官立ち上がり、背後の床に散乱したガラス片を拾い上げた。それは、美しいほど綺麗な状態で、砕け散っていた。
その時、割れた窓枠を突き破り、一人の女が執務室へ飛び込んできた。女は受け身の体勢で執務室を一回転がると、その反動を利用し、立ち上がる。
女は鎮守府の主の方を向く。そして、鎮守府の主は、女が何者なのかを理解した。
「白蓮、外で何があった?」
「私にも分からない。分かるのは、明らかに吸血鬼ではない、何かが現れたということ」
執務室に飛び込んだ女は、白蓮だ。鎮守府の主と交わす言葉には、普段感じられる穏やかな雰囲気は、一切排除されている。事態はそれほど深刻らしい。
すると、白蓮に続くかのようにして、破壊された窓から、またもや一人の女が入ってきた。その女は、鎮守府の主が一番知っている顔だった。
「霊花、どうしてお前まで」
「叔父上、緊急事態じゃ。とりあえず外を見てみよ」
孫娘である霊花の言葉に促され、司令官は体を窓から乗り出し、灰色に染まった空を見上げた。しかし、そこには何も存在していない。
だが、霊花の言うことだから、何かあるに違いないと、龍双眼を発動させ、鎮守府から街までを探知する。
そして、鎮守府の主は驚愕した。龍双眼が捉えたものは、雲に溶けいるようにして、街の上空を浮遊する、見たことのない、巨大な飛行物体だった。側面には大砲が何十門と取り付けられ、それは、飛行船艦と言っても良いほどだ。
だが、飛行物体の異常性はそれだけではない。現代で言うならば、それは隠密機能を備えた戦闘機のようなものだろうか。
しかし、それは電波探知機に捉えようとした場合の話だ。目視では、確実に発見できる。それに対し、飛行物体は、龍双眼で確認しなければ、視認することができない。それはまるで、透明化能力を持っているかのようだ。
驚愕する鎮守府の主を前に、白蓮は再び口を開いた。
「既に、街では被害が出ています。あの飛行物体から下りてきた何かによって」
白蓮の言葉に、鎮守府の主は言葉を詰まらせた。喉元まで昇った言葉は、職業病とも言える言葉。いつものように、我が子とも言える者達に言い続けた言葉。それは、今回は関係ないものだ。
しかし、その喉まで昇った言葉を出させるべく、紫桜が動いた。
「司令官、指示をください。人間を守るのが、今の我々の契約事項です」
「しかし、今回の相手は未知のものだ。それに加え、敵は吸血鬼ではない。人間に任せていいだろう」
司令官は、今回の件に関与しないつもりのようだ。契約と無関係なことをするよりも、この場の命を優先するつもりのようだ。白蓮と霊花も、それに同意していた。
だが、紫桜が一枚上手だった。
「私たちの生活を支えてくれた者を、このまま見殺しにするのですか?」
たったそれだけだった。その言葉は、紫桜が放つ特有の威圧感に乗せられ、言葉の重みを感じさせる。事実、鎮守府の生活は、龍族を信用してくれた町の人々の善意によって成り立っていた。それは、司令官が一番分かっていたことだ。
しかし、その一方で、司令官は常に葛藤していた。無関係な者だと分かっても、それでも、祖国を滅ぼした種族には変わりないと、溢れ掛けた殺意に蓋をしていた。
司令官は利用していた。人間の善意と言うものを。それは、かつての人間が行ったことと同じだと、今ここで気づいた。だからこそ、退路は既に塞がれていると、理解した。
「……至急、出撃可能な者を集めろ。我々も動く」
「了解しました。では、正面玄関広間にてお待ちしております」
司令官の指示を受けた紫桜は、冥月を連れ、執務室を後にした。それにより、執務室に残されたのは、司令官を含め、三人だけとなった。
決して口を開こうとしない沈黙の時間。それは、心臓の鼓動さえも、聞こえてくるほどだ。
その空間の中、司令官は思い悩んでいた。また、家族同然の者達を失うのかもしれないのかと。ここに来るまでに、多くの者が、契約のために命を落とした。本来ならば、自らがその立場を変わってやりたいと思うほどだ。
しかし、司令官もとい、暁翠には力がない。龍との力の融合が、不完全なもなだったからだ。幼少期から病弱だった体を動かすには、龍の力の大部分を、生命維持に回さなければならなかった。そのため、暁翠は戦闘に出られなかった。
それでもなお、せめて苦労は共にしたいと、心身を削るほどの修行を行ったことは、今もなお記憶に染みついていた。
机に手をつき、下を向く叔父の姿に、霊花は呆れ顔で言った。
「叔父上らしくないのう。妾が幼き頃は、あれほど熱心に構ってくれたというのに」
孫娘の言葉に、暁翠は過去の日を思い出させられる。まだ、幼かった霊花に、護身術を教えたのは、紛れもない自分だった。時には優しく、時に厳しく接した日々は、昨日のように思えた。
しかし、次の瞬間、突如として白蓮が、暁翠目掛けてトンファーを投げつけてきた。暁翠はそれを既のところで受け止め、机の上に置いた。
「白蓮、どういうつもりだ」
「どうもこうも、今の攻撃を見て何か思い出さない?」
白蓮の問いに、暁翠はまたもや過去の日を思い出す。それは、国を去ってから、中国が清であった頃、繁華街の表裏店で看板娘をしていた白蓮と共に、修行を行った時のことだ。
当時、白蓮は今のように不意打ちをするような者ではなかった。真正面から、正々堂々、敵を叩き潰す戦い方をしていた。
それが原因なのか、度々、力が劣っているはずの暁翠に敗れることがあった。白蓮は実力不足だとして、厳しい修行を積んでいた。それでもなお、白蓮の力は伸び悩んでいた。
そこで、不意打ちの助言をしたのが暁翠だった。最初こそ違和感を感じていた白蓮だったが、やがて、継続的な修行と不意打ちにより、白波とほぼ互角に渡り合えるほど強くなった。
暁翠は、無意識の内に、誰かを育てていた。それが助けになった者は、目の前の二人だけではなく、死んで逝った旧大龍帝国の剣士達、そして、この鎮守府に住む者達や、妻である水月も暁翠の教えを受けた。紛れもないそれは、暁翠の努力の賜物だった。
それを自覚した暁翠は、腹を括った。白霧で自らを包み込み、一瞬、執務室から姿を消した。そして、霧が晴れた時、暁翠は全身を鎧で固めていた。
「あなたのその姿、久しぶりに見たわね」
「ああ、埃をかぶったまま、私物置場に眠らせておくはずだったが、お前達のおかげで目が覚めたよ」
暁翠の姿は、もはや司令官としての原型を留めていない。重厚感のある青銅色の鎧は、質の良い龍鋼材で造られたものだ。そして、その肩の部分には『吸血鬼殺し』の紋様が刻まれている。
それを見た霊花は、僅かながら微笑んだ。叔父が戦場に出るならば、鎮守府の戦士達の士気も向上すると確信した。
暁翠は鎧の状態を確認し終えると、二人に向かって言った。
「お前達もついてきてくれるか。今回の戦いは、あいつらだけでは対処できない可能性が高い」
暁翠から掛けられたのは、この戦いへの参加要請だった。無論、二人にも自分たちの生活を守らなければならない。ここで断る理由は、どこにもなかった。
「お望みのままに。吸血鬼殺しの英雄よ」
「断る理由など、どこにもない」
二人の承諾を受け、暁翠は、執務室の扉を開いた。目の前には、一階の玄関まで直通する階段が存在している。それを下れば、戦場へ一歩近づくことは明白だ。
しかし、執務室を出た三人には、そのような弱音は通用しない。守るべきもののため、三人は前進するのだ―――




