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少女なる兵器 Act.1〈旧版〉  作者: 深瀬凪波
第三次龍鬼戦争
105/109

第七十二話 一角の崩落 (完全版+α)

 誰も死なせないという言葉は、言うだけでは簡単なものだ。実際に守るためには、何かを捨てなければならない時もある。

 しかし、彼女は見送り続け、残された者だ。機会が与えられず、最終兵器として温存されるかのように、外の世界を駆けたことのない彼女は、死して帰ってくる仲間を見て、苦しんでいた。

 だからこそ、彼女はその都度願った。次こそは、私に守らせてほしいと。

 ―――眼前に立ちはだかる怪物。それは、この世のものとは思えないと、屠月は捉える。その容姿は、どことなく紫桜姉妹のようであり、そうではない。

 その点は、主に武装だ。特殊盾展開装置板(ホログラムナンバー)は左腕に取り付けられ、元ある場所には、一本の剣が取り付けられている。それには文字が刻まれており、紅く、不気味に光っている。

 屠月は、展開していた肩装着多連装速射砲(ショルダーキャノン)を格納させ、代わりに多連装誘導弾射出機(ミサイル発射管)を展開する。そして、敵意をむき出しにしたまま、存在へ問いかけた。


 「何が目的か言え。言わないと、こうなる」


 屠月はミサイル発射管の一部を開く。それは脅しであり、殺害宣告だった。

 しかし、存在は屠月の問いに応えず、ただその場に立ち尽くすだけである。その表情には、一切の起伏が表れていない。

 屠月は、何も応えない存在に用は無いと判断し、排除するべく、ミサイル発射管を一斉に開く。ここまで存在が動かないことが疑問だったが、一刻も早く、目の前の怪物を殺さなければならないと思った。

 その時だった。存在は、その喋りにくそうな牙の口で、死にかけの鴉の啼くように、小さな声を発する。


 「……ス……ロス……」

 「はい?」

 「キサマヲ、ココデコロス!!」


 突如として、存在が咆哮を上げた。その咆哮は、大地を揺るがし、空気を震わせるものだ。その影響か、屠月は一瞬、存在に恐怖を覚えた。

 だが、そんなことを覚えている暇も、感じている暇もなかった。瞬きした次の瞬間には、存在は懐を侵略している。ミサイルの間合いは潰され、反撃できる距離は無い。

 屠月は間一髪のところで、特殊盾展開装置板を使用し、レーザーの盾を生み出す。

 それと同時に、存在が剣による刺突を繰り出した。それはレーザーの盾に阻まれ、屠月には届かない。両者の間には火花が散り、攻撃の威力を物語っている。

 しかし、次の瞬間には、存在は屠月の目の前から消えていた。まるで、幻影を見ているようだ。しかし、その殺気と、動きによる微細な空気の乱れは誤魔化すことはできない。

 屠月は、集中力を極限まで高める。それと同時に、ミサイル発射管を格納し、機動戦を仕掛けてくるであろう存在に対応するべく、肩装着多連装速射砲を展開する。

 そして、屠月は目を閉じる。頼るのは視覚ではなく、肌で感じる感覚と、聴覚のみだ―――


 ―――僅かに聞こえる風の乱れる感覚。何かが草木の間を掻き分け、生物の常軌を逸した速さで進む音。そして、背筋が凍るほどの殺気。

 それが指すのは、あの存在の他にない。

 ならば、ここで全てが決まる。極限を超え無ければ、勝機も、活路も、どこにも見えない。

 そして、屠月は捉えた。瞬時に、再びレーザーの盾を生み出す。それが向く方向は、近くにある森林の方角だ。

 その次の瞬間、凄まじい轟音と共に火花が散る。その中にあるのは、レーザーの盾に刺突をした存在の姿だ。

 あまりの威力に、屠月は吹き飛ばされそうになる。だが、それを耐え、肩装着多連装速射砲の弾丸を、存在に向けて乱射する。

 その弾丸が生み出すのは、これまでに類を見ない弾幕。火薬が連続して爆発する轟音と、薬莢の排出される金属音が混ざり合い、その場は都市部以上の轟音に包まれた。

 存在は堪らず、屠月から距離を取った。僅かな反応の遅れから、弾丸を数発被弾してしまうも、大した損害には至らない。

 存在が距離を取ったところで、屠月は掃射を中止した。この距離となれば、短機関銃の弾道に近い肩装着多連装速射砲の命中精度は、期待できたものではない。

 屠月は次の一手を放つべく、懐に手を入れた。その手に握られたのは、多数の六角手裏剣だ。屠月は目にも止まらぬ速さで、それらを投擲する。

 存在は難なく、最小限の動きでそれを躱した。しかし、それと同時に、存在は屠月の狙いに気づいた。放たれたそれは揺動に過ぎなかった。

 本命は、屠月が再び展開した、多連装誘導弾射出機から放たれる、対艦誘導弾だ。存在は、これを躱せないと察し、レーザーの盾を生み出す。

 対艦誘導弾は、見事、存在に傷を与えること無く、レーザーの盾によって防がれてしまった。存在は表情一つ変えないが、こちらを見つめる目が余裕を物語っていることは、明白だった。

 その一方で、屠月は早くも窮地に陥っていた。肩装着多連装速射砲の弾も無尽蔵ではなく、有限なのだ。それに対し、存在は一発も弾を撃っていない。全て、機動力と刺突による攻撃だ。

 このままでは、体術で劣る屠月は、存在に勝つことはできないだろう。それこそ、肩装着多連装速射砲の残弾が尽きたところで、敗北は決定してしまう。

 すると、突如として、屠月が思考を巡らせている中、存在が屠月に剣を向け、問いかける。


 「キサマノタタカイカタ、シザクラガタデハナイ。ホンモノノシザクラガタハ、ドコニイル」


 その問いは、紫桜姉妹の居場所を問う言葉だ。それと同時に、目の前の存在は、紫桜姉妹に、何かしらの因縁があることを示した。

 しかし、屠月にはこれを答える責務も、義理も無い。その答えが、自分の死を確定させるものだとしても、答えは一つだけだった。


 「馬鹿が、私が教えるとでも思ったの? 所詮、知能は前線の奴に劣るようね」


 それは、回答の拒否と同時に、存在を嘲笑する言葉だ。無論、存在は怒り心頭だろう。その証拠に、存在の手は震えている。

 屠月は再び、懐に手を入れた。そこから取り出されたのは、手榴弾だった。それは迷いなく、存在へ向かって投擲される。

 存在は後方に飛び、手榴弾から距離を取る。それと同時に、レーザーの盾を生み出し、この後に撃ち込まれるであろう対艦誘導弾を防ごうとした。

 だが、なぜか対艦誘導弾は飛んでこなかった。それを補填するように、手榴弾が起爆し、白煙が周囲を覆った。

 屠月が投げた手榴弾は、発煙筒だった。厄介なことに、存在は屠月の位置を把握できなくなってしまった。その様子は、濃霧の中で迷った旅人のようだ。

 だが、存在は決してこの事態を想定していなかったわけではない。煙幕が展開されたとなれば、空気の流れが可視化されることを理解した上で、煙幕の中に留まった。

 存在の予想通り、瞬時の内に空気を切り裂く動きを確認する。即座に横に一歩動き、飛んできた対艦誘導弾を回避した。しかも、それは複数発だった。

 存在は、対艦誘導弾が熱源を頼りに飛んでくるのではないと理解した。このこの距離であるならば、爆発型の煙幕による僅かな温度を感じ取り、誘導弾はこちらの正確な位置を把握できないはずだ。そこから推測されるのは、眼前の敵がその実力を持っているか、あるいは―――


 ―――煙幕へ向けて放った対艦誘導弾は、中にいるはずの存在に命中せず、煙幕を突き抜けてしまった。

 それを確認した屠月は、存在に対艦誘導弾の性質に勘づかれたことを危惧する。それと同時に、存在が突撃した場合に備えて、六角手裏剣を手に握る。

 そして、当たらないと分かっていながらも、対艦誘導弾を煙幕の中に撃ち込む。とにかく、存在に考える隙を与えさせてはならなかった。

 しかし、次の瞬間、存在は煙幕から飛び出してきた。その速さは、先ほどの速さとは比べ物にならない。

 屠月は手に握っていた六角手裏剣を投擲するも、一瞬の油断により、僅かながら、照準が合っていなかった。結果、存在は六角手裏剣を、難なく躱してしまう。

 だが、屠月とて、自身の防衛線を簡単に突破されるような実力は持っていない。瞬時に頭を切り替え、肩装着多連装速射砲による、弾丸の雨を放つ。普通なら、これで敵は近づくことができなくなる。

 しかし、存在の行動は、屠月の予想は想定外を超えてしまった。存在はそのまま、弾幕の雨の中に突っ込んだのだ。存在の体には無数の穴が空き、石油のような黒い血が、周囲に飛び散る。そして、存在は痛みの表情すら上げていない。

 屠月は察した。目の前の存在には、痛覚がないのだと。対艦誘導弾の直撃でなければ、仕留められないのだと。

 存在は宙へ飛び、弾幕から逃れる。もちろん、この突然のことに、屠月が対応できるわけがない。存在は剣を構え、屠月へ襲い掛かった―――


 ―――肩に凄まじい痛みが走る。肉の裂ける音と、金属の砕け散る音が、屠月の耳に入る。それは、剣によって貫かれた左肩と、その背後にあった、多連装誘導弾射出機が破壊されたものだ。

 存在は、目と鼻の先よりも近い距離にいた。それこそ、零距離射撃で反撃可能な距離だ。しかし、屠月は反撃することができない。存在の不気味な容姿は、零距離では威圧へと変わっていた。

 だが、屠月は理解している。このままでは、確実に殺されると。それを防ぐため、右手に握っていた六角手裏剣を、存在の腹へ突き刺そうとする。

 しかし、存在はそれよりも早く、屠月の肩から剣を引き抜き、後方へ飛んだ。無論、屠月の刺突が命中しなかったことは、言うまでもない。

 屠月は左肩を押さえながら、破壊された左舷の多連装誘導弾射出機の動作を確認する。駆動系は破壊されてこそなかったものの、発射管は歪み、対艦誘導弾の射出は、事実上不可能となった。


 「まさか、ここまでやられるなんて思ってなかった。だけど、これからはずっと私の一人劇場。反撃なんてさせない」


 屠月はそう言うと、懐から、またもや手榴弾を取り出し、存在へ向かって投擲した。手榴弾は弧を描きながら落下し、存在の少し前に落ちた。

 しかし、存在は手榴弾に興味を持たず、その横をゆっくりと素通りしようとした。その手榴弾には火薬の匂いはなく、発煙筒だと判断したからだ。

 だが、屠月は笑みを浮かべていた。それの笑みを、存在は見逃さない。何かがあることは確実だだが、それは何か分からない。

 立ち止まったところで、存在は気がついた。目の前の敵が狙っていたことを。

 次の瞬間、存在の足元にあった手榴弾が起爆する。それと同時に、存在はレーザーの盾を展開し、後方へ飛んだ。手榴弾から発せられた白粉は、煙幕のものではない。粉末状の何かだ。

 それを見た屠月は、存在の飛んだ方向を確認し、肩装着多連装速射砲から、またもや弾丸の雨を生み出した。しかし、それは存在へ向けて発せられたものではなく、その背後にある、民家に発せられたものだ。

 すると、突如として民家が倒壊した。元より爆撃で耐久度の落ちていた民家は、弾丸の雨を受け、自重を支えるために必要な柱を失った。それが意味することは、崩落の一つだけだ。

 そして、悪運か、計算された内だったのか、存在は民家の倒壊する範囲に入ってしまっていた。即座に回避しようにも、下半身は確実に倒壊に巻き込まれてしまう。ならばと、レーザーの盾を生み出し、防御に徹するしかなかった。


 倒壊した民家は、存在を下敷きにした。木とコンクリートで構成された民家であったため、異常な耐久力を持つ存在への効果は薄いかもしれない。だが、何もしないよりかは、少しなりとも気休めになった。

 すると、倒壊した民家の瓦礫の中から、存在の腕が飛び出した。墓の中から出てくるようにして立ち上がる存在は、大きな損傷を負っていた。左肩の肩装着多連装速射砲は外れてしまったのか、存在せず、背中の対空兵装は、全て破壊されている。


 「スバラシイサクダ。ダガ、タリナイ。コロスニハ」


 存在はそう言うと、背中に背負っていた艤装を外し、森林の中へ投げ捨てた。そして、突如として近くに現れた黒い霧の中へ手を伸ばした。その中から取り出されたのは、紅く光る大剣だった。

 存在はそれを背に背負い、攻撃の態勢に入る。周囲には、目に見えるほどの、禍々しい黒い覇気が出現している。

 屠月は警戒し、防御態勢に入った。肩装着多連装速射砲の弾薬は底をつき、次、存在に懐を取られてしまえば、死ぬことは確定ている。

 しかし、屠月の想定は甘かった。つい、一秒前まで目に捉えていたはずの存在の姿が、どこにもなかった。それどころか、気配も、殺気も、風の動きも感じ取ることができない。

 そして、気づいた時には遅かった。存在は、いつの間にか背後に回り込んでいた。それは、何の前触れもない完璧な奇襲攻撃。屠月は、反応することすらできなかった。

 その無防備な背中に捩じ込まれた拳は、艤装の管制装置を破壊し、背骨にまで損傷を与えた。その威力は、屠月を激しく吹き飛ばした。

 屠月は高速で宙を舞い、近くの民家に激しく打ち付けられた。民家は倒壊し、屠月がどれほどの状態で飛翔したのかを物語らせる。

 屠月は倒壊した民家の中から立ち上がると、肋に激しい痛みを覚えた。どうやら、肋骨が折れているらしい。背骨に損傷があるのか、下半身は痺れて動きづらい。

 しかし、存在はその隙を見逃さない。再び、満身創痍の屠月の背後に回り込むと、その拳から放たれる一撃を、屠月の後頭部に打ち込んだ。

 屠月は瓦礫の上に叩きつけられ、その場には風に吹かれた砂漠の砂を連想させるほどの土煙が舞った。それと同時に、屠月は自身の右目で世界が見えなくなり、激しい痛みを覚える。それは、瓦礫の中にあった鉄筋により、右眼球を貫かれたことによるものだ。

 存在は、眼前でうつ伏せに倒れる敵の髪を掴み、宙に引き上げる。敵に戦う力は残されていないようで、壊れてしまったように感じる。

 ならば用は無いと、存在は敵を地面に叩きつけ、踏みつける。そして、大剣を手に取り、それを大きく振りかぶる。そこからの未来は、もう分かりきったことだ。

 そして、存在は大剣を振り下ろした―――




 屠月は、自らの死を覚悟していた。動けなくなった地点で負けだと悟っていた。存在は大剣を振りかざし、こちらの首を飛ばそうとしていることが分かった。

 風が斬られ、大剣が振り下ろされているのがわかる。初陣で死ぬ運命にある事実を受け入れられず、ただ悔しくて仕方なかった。

 しかし、定めは決まっている。だからこそ、半ば、潔く見る覚悟はできてしまっていた。

 だが、大剣が首に振り下ろされることはなかった。代わりに聞こえてきたのは、耳に響く金属音だ。残った左目で、おそるおそる、自らの上に広がる状態を確認する。

 そして、屠月は眼前に広がる光景に、呆気にとられた。眼の前に広がるのは、一人の女が、腕で存在の振り下ろした大剣を防いでいる光景。

 存在の大剣を防ぐ女の髪色は、藤の花よりも濃い、深い紫色の髪の女だ。そして、その女は、自らが一番知っている者だった。


 「姉さん……どうしてここに……」


 眼の前にいるのは、姉である紫月の姿だ。大剣を防ぐその腕は、龍鋼材甲型で造られた変形型龍鋼義手(ディメンションアーム)の強度によるよのだ。

 紫月は存在と目を合わせたまま、妹に話しかけた。


 「屠月、今すぐ鎮守府に戻っていなさい。ここは私が引き受けます」

 「でも、姉さんじゃ奴に……」

 「時を見て私も撤退します。まあ、鎮守府も鎮守府で地獄ですが……」


 屠月は、姉が僅かに零した言葉の意図を汲み取ることができなかった。しかし、姉は後ほど撤退すると言うので、その言葉を信じるしかなく、屠月は転移霧の小瓶使用し、鎮守府へ帰還した。


 一方、紫月は理解していた。目の前の存在には、逆立ちしても敵うか分からないことを。しかし、存在の動きは鈍っている。これならば、僅かながら可能が見えている。

 紫月は撤退するためには、存在の無力化が必須だと判断した。それを遂行するため、変形型龍鋼義手を大きく振り上げ、存在の大剣を吹き飛ばす。

 それと同時に、紫月は変形型龍鋼義手を剣に変形させ、振り下ろす勢いを利用して、存在に斬り掛かった。存在に、その斬撃を躱す手段は無く、肩から腹に渡り、広範囲に身を斬り裂かれてしまう。

 しかし、存在はその反動を利用し、後ろへ飛んだ。手に持っていた大剣は投げ捨て、重量を軽くする。

 だが、紫月は存在の行動を読んでいた。多連装誘導弾射出機から、数発の対艦誘導弾を発射する。それらは全て、宙にいた存在目掛けて飛翔する。

 存在は対艦誘導弾を視認するなり、肩装着多連装速射砲による迎撃を試みた。しかし、右肩のみの速射砲では弾幕を張れず、迎撃できなかった対艦誘導弾が飛翔してくる。

 そして、最終的に、三本の対艦誘導弾が存在に命中した。それは、袈裟斬りの深い傷を負った存在にとっては、大きな致命傷だった。

 紫月は勝利を確信し、追撃の対艦誘導弾を撃ち込む。これで存在を無力化した後、信号弾を上げ、周囲にいるであろう夜桜達に、存在の始末を任せようと考えていた。

 そんなことを考えていた次の瞬間だった。対艦誘導弾の爆煙の中から、神速の域に達した存在が飛び出してきた。追加で発射した対艦誘導弾を全て躱し、こちらへと突っ込んでくる。

 紫月は僅かに反応が遅れるも、剣の間合いには近づかせまいと、肩装着多連装速射砲による迎撃を開始する。しかし、大量の弾丸を浴びてもなお、存在はこちらに突っ込んでくる。

 そして、紫月は懐を侵略されてしまった。存在は腕に取り付けられた剣を、紫月へ突き刺そうとする。その距離は躱せるものではない。

 しかし、紫月とて無策で懐を取らせることはしない。通常の変形型龍鋼義手を剣から手に切り替え、存在の剣を掴んだ。これは、存在にとって予想外のことで、即座の対応が遅れた。

 その隙に、紫月は存在の剣の軌道を変え、脇腹に大きな隙を生み出させた。一か八かで剣から変形型龍鋼義手を離し、その無防備な脇腹目掛けて、重い一撃を打ち込んだ。

 存在は激しく吹き飛ばされ、地を転がった。大きな土煙と、傷口から溢れ出る黒い血液が宙を舞い、存在の周囲を染め上げた。

 地を転がり終えた存在は、ゆっくりと立ち上がる。その体は傷だらけで、ものによっては致命傷に至っているものすらある。それでもなお、立ち続けられる耐久力は、常軌を逸している。

 紫月は存在を前に、曇った表情を浮かべている。存在の耐久力もそうだが、近接戦に持ち込まれた際、瞬時の対応が難しいことに、危機感を覚えていた。


 「ったく……どれだけ耐久力があるんですか。城月も目を回しますよ」


 紫月は、呆れと怒りが混合した言葉を吐露する。しかしながら、それは事実になり得るかもしれないことで、冗談で済む話ではない。

 一方、存在は口から激しく吐血し、足元に黒い血溜まりを生成していた。傷口から溢れ出すものも重なり、それは、より速い速度で、地面を侵食している。

 すると、屠月に問いを投げかけて以降、一言も発することのなかった存在が、血を吐きながら言葉を発した。


 「キサマタチハ、ナゼジャマヲスル。オロカナニンゲンヘノ、セイサイヲ」


 存在が吐き出したのは、人間への憎悪を孕んだ言葉。しかしながら、それは至極全うな言葉だ。人間が愚かであることは、アライアンスの者達にも当てはまる認識なのだ。

 だが、一度は戦争が終わり、人間社会での生活の中、人間が生態系の中から逸脱した、一つの特徴を見つけた。それは、高度な知恵と、心だ。それは、使い方によって救いの手にも、凶器にも変化することを知った。

 それを踏まえた上で、紫月が発する答えは決まっていた。


 「邪魔する理由は元よりありません。ただ、契約と守りたい者がいるから戦う。それだけです」


 紫月は、例外を除き、やはり人間を受け入れることはできなかった。人間社会の生活の中、片腕が無いというだけで、差別や偏見の対象とされた。

 それを救ってくれたのは、婚約を交わした職場の同僚だった。命と引き換えにしてでも、その男の命だけは守りたいと思った。


 「ソレガ、キサマノコタエカ……」


 紫月の答えを聞いた存在は、残念そうに呟いた。紫月の言った「守りたい者」という言葉は、存在にとって、何か思うところがあった。

 脳裏に浮かぶのは、灼熱の炎の中、大切な仲間が、溶け、沈みゆく熱地獄とも言えるものだ。神が成した歴史の終焉を示すかのように、周囲を包みこんだのは、紅く澄んだ世界だった。


 『お前は何をしている』


 存在は、脳に響いた女の声に反応する。それは、自らが忠誠を誓った君主のものであった。今はこの場を離れたはずの君主の声は、脳に直接響いている。


 『その女の言葉に惑わされるな。お前には、壊すべきものがあるだろう』


 君主の言葉は、存在の体を動かした。本来の目的である、アライアンスの陸上部隊の壊滅を目的とし、目の前の女を殺すため、再び突撃を開始させた。

 紫月は即座に反応し、レーザーの盾を生み出す。それは、存在の刺突の軌道を変えるよう展開され、狙い通り、存在の刺突を受け流した。

 その無防備な背中に向けて放たれたのは、剣の形態へと変化した、変形型龍鋼義手の斬撃だ。斬撃は、存在の背中を、爽快なほどきれいに斬り裂いた。

 存在は激しく吐血するも、無理に反転し、再び女へ向けて刺突を繰り出そうとする。一見すれば、無駄だと分かって攻撃を繰り返す、追い詰められた兵士のようだ。

 しかし、悲しいことに、それは事実だった。傷口の深さと出血量から、目の前の女に勝てないことは明白だった。それでもなお、殺さなければならないと、存在は我武者羅に剣を振るしかなかった。

 だが、冷静な紫月の前で、それは自らの身を斬り裂くことに他ならなかった。

 次の瞬間、存在の左腕が宙へ舞う。紫月が繰り出した、一瞬の逆袈裟は、存在の肩の関節を斬り裂いた。そして、存在は何が起こったのか分からず、唖然とすることしかできなかった。

 それと同時に、紫月は払い蹴りを繰り出し、存在を地へに倒れさせる。腕を失った一瞬の衝撃から、存在はそれに対応できなかった。

 仰向けに倒れた存在へ、紫月は剣先を向けた。


 「これで勝負ありです。私は帰らせていただきます」


 存在は、女の放った言葉に衝撃を受けた。まさか、とどめを刺さないとは、思ってもいなかった。それと同時に、女への深い憎悪と、出血多量による死を悟った。

 この世に別れを告げる鐘が鳴ろうとしていた。


 『お前はそこで終わるのか』


 突如として、君主の声が、脳に響いた。その問いかけは、存在がこの世に成り立つ意義を問うものだ。


 『全てを破壊し、絶望に陥れるのではなかったのか』


 存在は、この世に成り立つ意義の本質を問われた。五臓六腑に刻まれた、人間を全て殺すという使命を負ったあの日から、ただただ人間を狩ってきた。

 存在の心臓の動きが速くなる。血液が体を巡り、力が漲ってくるのが肌で感じることができる。目の前の女を殺すことは、可能なように思えた。

 紫月は、背後で倒れる存在の纏う覇気が圧力を増しているのを感じた。これは駄目だと、安全装置を外した転移霧の小瓶を、遠くの草むらに投げ捨てた。


 『全てを破壊しろ!! Brad(ブラッド) MemoryⅢ(メモリー3)!!』


 突如として、存在の覇気が爆発したかのように広がった。それは、凄まじい風圧を伴い、紫月を吹き飛ばした。

 紫月は、目の前の攻撃を見て絶句した。空気が歪んで見えるほどの覇気が周囲に満ち、左腕を斬り落とした存在の左肩からは、黒い霧のような何が、腕のような形で形成される。

 覚醒を終えた存在は、紫月へ顔を向け、言い放つ。


 「我が名はBrad MemoryⅢ!! 全てを破壊し、絶望の底へ陥れる裁定者だ!!」


 『血の記憶』と名乗った存在は、笑っていた。その言葉は、放たれる覇気と威圧感により、現実味を帯びている。

 紫月は眼前にいる存在を見て、暗い表情を浮かべている。


 「やっと、まともに喋りましたか。ですが、これまた厄介なことになりましたね……」


 紫月はため息混じりの声を零し、変形型龍鋼義手を通常の手の状態に戻す。

 眼前の存在は、先ほどまでの存在とは比べ物にならない。言わば、怪物なのだ。何があったのかは分からないが、先ほどまでの不気味な容姿は一変し、人間の顔のようになっていた。

 だが、一つだけ気を害す事があるとすれば、怪物の容姿は、見知った顔の容姿に酷似していた。その容姿は、瓜二つと言っても変わらないほど精巧で、怪物と対峙する紫月としては、気分の良いものではない。


 「我に歯向かったことを後悔するがいい。楽に死ねるとは思うなよ」

 「水月さんに言われているようで気分が悪いですね。その口、さっさと塞いでくださいよ」


 紫月はそう言い、自らが不得意な分野である近接戦闘を仕掛けた。逃げ場を失い、怪物のことを詳しく観察したから分かったことだが、怪物は覚醒により、全ての身体能力が向上していると予想できる。それを考えると、遠距離戦は、かえって自らの命を危険に晒すことになる。

 ならば、あえて怪物の土俵に上がることで、怪物に少しでも傷を負わせようとした。もっとも、先ほどまでに与えた傷は、全て完治してしまっているようだったが―――


 ―――繰り広げられるのは、これまでに類を見ない速度での近接戦闘。一進一退の攻防戦は、並大抵の者を近づけさせることはない。

 しかしながら、生傷を増やし続けているのは、紫月だけだった。特殊盾展開装置板や変形型龍鋼義手を用い、度々、放たれる剣の斬撃を防いでいたが、その速度差は比べるまでもなく、怪物の方が何枚も上だった。

 そして、斬撃を受け続ける内に、変形型龍鋼義手の耐久力も限界を迎えつつあり、このままでは、敗北は決定的なものになってしまう。

 しかし、ここまで追い込まれるまで、紫月も反撃をしなかったわけではない。乱戦の中で、肩装着多連装速射砲を用いた、零距離射撃を行っていた。その中で、変形型龍鋼義手を用いた打撃も行った。

 だが、それは全て無駄に終わったのだ。弾丸を撃てば怪物の黒霧の手で受け止められ、全て消されてしまう。打撃は怪物が間に挟んだ剣により、全て防がれてしまう。

 戦闘の速度的な問題により、柔道や空手の技は使えない。距離的な問題で、対艦誘導弾も使えない。逃げることもできない。

 そして、ついに紫月の生命線ともいえる、変形型龍鋼義手が、耐久力の限界を迎えてしまった。金属音と共に、ついさっきまで反応していた変形型龍鋼義手が、意思に反して動かないのを感じる。

 それと同時に、存在の剣が、紫月の防御態勢を突破してしてしまった。それは、変形型龍鋼義手を貫き、体に接続された神経伝達部位に、致命的な損傷を与える。

 紫月は、神経に電気が走る痛みを覚え、苦痛の表情を浮かべた。あまりの痛みに、一瞬、動きが止まってしまった。

 怪物は、それを見逃さなかった。その一瞬を突き、怪物は剣を深く差し込み、突き上げた。それは、紫月の体から、変形型龍鋼義手を切断した。

 あまりにも非現実的な光景を前に、紫月の脳は考えることをやめた。当たり前のことではあるが、目の前で起こった事象のみが事実であり、結果なのだと理解した。

 しかし、怪物の攻撃は留まることを知らない。女の義手を切断した直後、宙にある剣の軌道を変え、今度は、女に袈裟斬りを繰り出す。

 紫月はそれを見て、再び思考を回した。頼れる鋼鉄の腕は存在せず、残されたのは生身の腕のみだ。距離的に、防御が間に合うかどうかも分からない。だが、ならなければ死ぬことは明白だ。

 紫月は、腹を括った。一か八かの賭けで、生き残る方に自らの腕を賭けた―――


 ―――響いたのは、金属音音と、何が歪むような歪な音。火花が散り、周囲は凄まじい風圧で満たされる。

 紫月は、自らの腕が、何かの重量を支えるために震えているのを理解する。鉄錆の匂いはせず、腕の感覚もある。

 紫月は、賭けに勝ったことを確信した。

 次に紫月が取った行動は、逃走だった。怪物が剣を振り下ろした時、咄嗟にレーザーの盾を展開し、自らの命を守ろうとした。

 この時、レーザーの盾の展開が間に合い、腕が無事だったのならば、即座に逃走することを決めていた。ここにいても、殺されるだけだと理解したからだ。

 夜桜達がここを見つけられないのだから、これ以上耐えたところで、無駄なのは分かっていた。ここで死ぬより、鎮守府へ戻り、この件を司令官に報告しなければと思った。

 紫月は、一瞬の内に怪物から距離を取った。傷口が軋み、足の骨は砕けそうなほど痛い。そらでもなお、走らなければならなかった。


 (夜桜さん、水月さん……早く、ここまで来てください。これが、最後の望みなんですよ……)


 紫月は心の中で、二人の名を呼んだ。そして、腰に下げていた信号弾射出銃を手に持ち、上空へ向けて信号弾を発射した。

 青い煙幕を描きながら飛んだ信号弾は、空高く舞い上がった。これが花火ならば、どれほど美しかったことだろうか。

 しかし、今の紫月にはそのようなことを考えている暇はない。銃を近くに捨て、走り続ける。


 だが、紫月はふと右を見て、絶望の表情を浮かべた。隣にあったのは、怪物の不気味な笑顔。それは、清々しいほどのものだった。

 次の瞬間、紫月は後頭部を激しく殴打された。視界が揺れ、頭に金切り音のような音が響いた。

 それと同時に、紫月は地面に激しく叩きつけられ、額を激しく打ちつけた。走っていた反動もあり、紫月は地面を転がり、そして動けなくなった。

 目まい、頭部、右肩からの出血で、紫月の状況は最悪の一言に尽きた。この状態から、形勢逆転など、望めない。

 そして、怪物は、黒霧で構成された左腕で、紫月を拘束した。絶対に逃れられぬよう、手足を縛り、首をも絞めにかかる。目の前の苦しそうな表情を前に、怪物の気分は高揚した。


 「ああ、その顔だ。貴様のその顔を、苦しみに溢れる顔をもっと見せてくれ!!」


 存在の言葉に、紫月は憎悪の籠もった瞳を向ける。力が無くなりつつあるとはいえ、この苦しみと、屈辱は、しっかりと脳裏に焼き付いている。

 だが、怪物はどこまでも残酷だった。肩装着多連装速射砲を女の腹に向けると、零距離射撃でそれを掃射し始めた。弾丸の雨は、女の肉と内臓を突き破り、血の雨へと変貌する。

 その次は、剣による袈裟斬りだった。袈裟斬りは女の腹を捉え、深く斬り裂いた。大量の血液と共に、先ほど撃ち込んだ弾丸が地面に落ちる。

 だが、紫月はこの時を虎視眈々と狙っていた。この距離ならば、怪物に対艦誘導弾を撃ち込むことができる。怪物が気づかないよう、ゆっくり、焦らずに多連装誘導弾射出機を動かす。

 そして、その時は訪れた。あるだけの対艦誘導弾を、怪物に向かって発射する。それは、安全装置の外れる直後の距離。ほぼ確実に、怪物を仕留められる距離。これに賭けるしかなかった。

 しかし、紫月の試みは、始めから見透かされていたのかもしれない。対艦誘導弾は、怪物の眼前に黒霧を出現した黒霧に、吸い込まれるようにして消えた。

 紫月は、何が起こったのか理解できていなかった。対艦誘導弾が、全て消えたようにしか見えなかった。だが、その答えはすぐに分かることになった。

 次の瞬間、紫月の後頭部で、複数爆発が起こった。元より後頭部を激しく打っていた紫月は、意識を繋ぐことができなかった。意識が途切れゆく中、唯一理解できたことは、目の前の怪物が、何か細工をしたということだけだった。


 怪物は意識を手放した女を地面へ叩きつけた。拘束を解き、宙にあった黒霧を消すと、剣を女の心臓へ突き立てた。勝負は決まり、これから、目の前の女は死ぬ定めなのだ。

 そらは青く澄み渡り、太陽が地表を照らし続けている。


 「死ぬには良い日だ。まあ、お前は足掻いた方だったよ」


 怪物はそう言うと、腕を後ろに引いた。そして、意識を失った女の心臓へ、剣を突き刺そうとした。

 それと同時に、紫月の抵抗と、生きようとした努力は、ここで実を結んだ―――




 突如として、複数の爆発が怪物の背中を襲った。その内の数発は、明らかに威力の高い、大口径砲のものだ。

 振り向くと、そこには先ほど接敵した、アライアンスの戦車隊が集まっていた。迎撃態勢が、間に合ったのだ。

 そして、怪物は見つけた。先ほど吹き飛ばした二人の女が、その場にいることを。

 あまりにも信じられない光景だが、怪物の気分はさらなる紅葉を見せた。心臓の音が高鳴り、血液が体中を巡るのが肌で分かる。

 そして、気がつけば、怪物は動いていた。凄まじい速度で戦車隊の正面に立つ女の懐を侵略し、仕留めに掛かる。

 夜桜は、怪物の動きを紙一重で察知し、レーザーの盾を展開し、怪物の攻撃を防いだ。もう少し遅ければ、死んでいてもおかしくはなかった。

 直後、機動戦を得意とする前陸軍の者達が飛び出す。怪物を包囲し、ここで仕留めきる算段だった。

 しかしながら、怪物はやはり怪物だった、前陸軍の者達にの動きを察知した直後、流れるような回転斬りを繰り出した。怪物を仕留めるための包囲陣は、かえって不利になり、前陸軍の者達に刃を届かせてしまった。

 だが、そこで生まれた一瞬の隙を、夜桜は見逃さなかった。繰り出すのは、艦砲を超える主砲から繰り出される、超大口径砲の徹甲榴弾だ。その威力は、怪物の肉を激しく抉るもの。それを十発近く受けても立っている怪物は、異常だった。

 しかし、直後、深月が前に出た。手には忍者刀を持っており、怪物のアキレス腱を断ち切るつもりだった。怪物は超大口径の徹甲榴弾を受け、まだ動けないと考えたからだ。

 だが、その想定は甘かった。忍者刀が横薙ぎされた時、怪物は飛び上がり、それを回避した。それと同時に、怪物は剣による刺突を繰り出した。姿勢を低くした深月にとって、それは躱せないものだった。

 直後、剣が繰り出される。深月は回避を諦め、刺突の餌食になる覚悟を決めた。

 しかし、次の瞬間、両者の間に、手負いだった水月が入った。しかし、腕に装着している特殊盾展開装置板は、レーザーの盾を生成している途中だった。剣を防ぐだけの防御力は、どこにもない。

 それを分かっていた水月は、怪物に背を向け、深月を庇う体勢を取った。万が一、レーザーの盾が貫かれたとしても、自身の身体が、剣の侵入を食い止めることを想定していたからだ。

 そして、剣はレーザーの盾を破り、水月へと突き刺さった。だが、水月が想定していた通り、剣は水月の体を貫かなかった。

 しかし、その傷は軽いものではなかった。いくつかの臓器を貫き、酷い内部出血を引き起こしていた。水月は激しく吐血し、吐かれた血は、深月に降りかかった。

 怪物は、水月から剣を引き抜き、肩装着多連装速射砲により、弾丸の雨を降らせる。それを回避するべく、戦車隊は下がるしか無かった。

 戦車隊が離れたのを確認すると、怪物は再び水月を見下ろした。水月は足を骨折し、動けないでいた。

 それを見た怪物は、嘲笑した。


 「人間を護る偽者よ、その愚かな判断を下した無能な司令官を恨みながら死ね!!」


 怪物はそう言い、水月の心臓目掛けて剣を振り下ろした。それは、確実に命を奪うためのもの。回避する術はなく、これ以上の臓器の損傷は、耐えられない。

 だが、水月は動かない。動けば、深月が死ぬことは明白だった。これ以上、仲間を奪わせないため、水月は動かなかった。


 「―――私の妹は思ったよりも優秀なようね」


 突如として聞こえた声。それは、自らが一番知っている、身近なものの声。そして、何よりも恐ろしい者の声。

 無論、怪物もその声を聞いた。だが、声の主はどこにいるのか分からず、周囲を見回す。それでもなお見つけることのできない声の主は、どことなく恐怖を感じさせる。

 だが、次の瞬間、怪物は、背後零距離射撃に、凄まじい殺気が満ちあふれるのを感じた。それは、仕えている君主が放つ殺気よりも、より協力なもの。即座に対応しなければならないと、回転斬りを行おうとした。

 しかし、それよりも早く、怪物の後頭部が鷲掴みにされた。そのまま宙に持ち上げられたかと思うと、直後、地面へと激しく叩きつけられた。


 水月は、背後にいる知った存在を見て、驚愕の表情を浮かべる。そこにいるのは、紛れもない『狂気の枝垂れ桜』として恐れられている、姉の姿だった。


 「紫桜姉さん……どうしてここに……」

 「話は後よ。それよりも先に、この世に生きていてはいけないこいつを殺さないと」


 紫桜は、驚愕する妹を他所に、地面に伏せる怪物へ、狂気と殺気が混じり合う瞳を向ける。その瞳には光が宿っておらず、代わりに存在するのは、黒く煮えたぎる憎悪の炎だ。

 怪物は、眼前の女を脅威であり、自らよりも怪物である存在だと認識する。本来ならば、ここで撤退するのが正しい選択だった。しかし、女が放った拳の一撃により、肋骨を砕かれ、逃げる時を見切りきれなくなってしまった。

 紫桜は、腰にかけていた鞘から刀を引き抜くと、それを、地に伏せる怪物の右腕に突き刺した。怪物の体から黒い血が溢れようと、紫桜は気にすることなく、地面の深くまで突き刺す。

 ふと、怪物はの左腕を見ると、黒霧で構成された左手をこちらに伸ばし、反撃しようとしているのが目に入った。


 「邪気なるものを打ち消せ」


 紫桜はただ一言、そう言った。それと同時に、怪物の黒霧で構成された左腕が形を崩し、やがて空気中に四散して消えた。

 怪物は、焦りの表情を浮かべ、必死に女から逃れようとする。それが無駄だと分かっても、僅かな可能性に賭けてみるしかなかった。しかし、その行動は、紫桜の怒りを加速させるだけだった。

 紫桜は、怪物を押さえつけたまま、白霧を展開し、中に手を入れた。中から取り出されたのは、新品であろう、美しい灰白色の剣だ。

 紫桜は、何も迷うことなく、それを怪物の腹に突き刺した。一本刺すたびに、また一本、また一本と、怪物に剣を突き刺した。それは全て、地面に深く突き刺さるものだった。


 やがて、怪物の四肢に剣が突き刺され、それに伴う出血多量により、失血死しかけた怪物は、目の前の女に目を合わせ、言葉を発した。


 「貴様は……悪魔か……こんなことをして……楽しいか……」


 怪物の言葉は、人間性を突いた言葉。これは、ほぼ拷問に近いものであり、目の前の女は、苦しむ姿を見て笑っているのだ。

 しかし、その質問は、紫桜にとって無意味なものだ。その言葉を聞いて、脳裏に浮かんだのは、見知って間もない仲間が、理不尽に殺された光景だ。

 再び生を受けてから、紫桜は見送ってばかりだった。今回も、本来ならば出撃するはずはなかった。今回は、仲間が全員帰ってくると信じたかった。

 だが、それは叶わなかった。ここに来るまでに、空月と風月の亡骸を見つけた。空月に至っては、首を斬り落とされていた。それは、人間としての存在の否定だ。

 次の瞬間、紫桜の顔に鬼が宿った。


 「ふざけるなああああああああ!!」


 その叫びは、天まで届き、地を揺らすもの。近くにいた水月が、思わず耳を塞ぐものだった。


 「お前は何人殺した。私から何人の仲間を奪った。何人の仲間を絶望に叩き落とした。お前には分からないよな。人間性の欠如したやつが、人に人間性を問う質問をしてんじゃねえよ!!」


 許せるはずがない。そう、許せるはずがないのだ。目の前の、可愛い妹の容姿をした怪物の瞳を見れば分かる。怪物は、何人もの大切な戦友を奪っている。

 気づけば、紫桜の目には涙が浮かんでいた。それは、頬を伝って零れ落ち、怪物の頬を濡らした。


 そこからは、紫桜の狂気に満ちた舞台だった。仲間の怒りを代弁するように、怪物の体に、傷をつけ続けた。

 目を潰し、指を斬り落とし、右足をも切断した。死なないよう、止血作業も行い、怪物をなるべく苦しめるよう行動していた。

 怪物も、抵抗はしようとした。だが、怪物は四肢の一部を斬り落とされ、残った四肢を固定されている。それに加え、腹の傷は深いものだ。生き残ることは、厳しいと判断せざるを得なかった。


 やがて、ついに怪物に終わりが訪れる。その頃には、怪物の体は黒い血で染まり、紫桜も、その返り血で黒く染まっていた。

 怪物は、言葉を発する力すら残っていなかった。両目を潰され、女が何をしようとしているのかすらも分からない中、死を待つだけだった。

 そして、紫桜は存在の右腕に突き刺していた刀を引き抜き、土と血を払った。それを、存在の首上へ持ってくると、一撃で首を切断できるよう、刀を振り上げた。


 「さあ、これで終わりだ。後悔しながら死ね」

 「……っ」


 怪物は、口まで出かけた言葉を出せなかった。紫桜は、怪物の言おうとした言葉をおおよそ理解し、その刀を振り下ろした―――


 ―――肉が斬り裂かれる痛快な音。そして、中を舞う血しぶきと、怪物の首。それは、怪物の存在を否定するものだ。

 怪物の名は、血の記憶。その名は、死を記録するように、多くの者の死を見た。

 これから見るのは、自らの命が尽きる、死の瞬間だ。意識が遠くなる中、首は、首を跳ねた女の妹の方を向いた。

 そして、映ったのは、首を跳ねた女の妹の、驚愕する光景だった。だが、女の瞳には、驚愕以外の感情も混ざっているように見受けられる。

 それが何なのか、怪物は知ることができない。その命は、今、ここで尽きたのだから。


 水月は立ち上がり、折れた足を引きずり、姉の元へと近づいた。姉の表情は、鎮火した炎の跡のように暗く、物言わぬものだった。

 何を話せば良いのか、水月には分からない。だが、ここで何か言わないと、駄目なような気がした。


 「紫桜姉さん、あの……」

 「帰りましょう。鎮守府へ」


 水月が言いかけたところで、紫桜は言葉を発した。だが、その言葉を放つ表情は、能面のような無表情だった。虚無に近いその感情を見た水月は、自然と発せられた威圧感から、黙り込んだ。

 それと同時に、無事だった者達が、負傷した前陸軍の腹に、止血のための包帯を巻き終えた。

 夜桜は、意識を失っている紫月を抱えると、姉の元へ近づいた。


 「紫桜姉さん……急ぎましょう……」

 「ええ、そうね。もうすぐ、雨が降る」


 紫桜はそう言うと、懐の中から転移霧の小瓶を取り出す。それを見て、戦車隊も転移霧の小瓶を取り出した。各自、安全装置を外し、鎮守府へ帰還するための霧が、彼女達を包んだ。

 彼女達が去ると同時に、曇りつつあった空から、雨が振り始めた。雨は、その場にあったものの痕跡を消すよう、全てを荒らし流した。

 残ったのは、重く伸し掛かった雨雲と、破壊され、今は黒く焦げてしまった、美しかったであろうバルパライソの街だ。

 戦場と化したその街には、明確な爪痕が残された―――




 ―――雨が振り、波の音が掻き消された海上では、一人の女が、バルパライソの街を見て沈黙していた。

 先ほどで感知できていた、従順で有能だった部下の生命反応が、どうやっても感知できなくなった。

 嘘だと信じたいが、どうやらこれは事実らしい。その証拠に、陸上へ上陸した戦車隊の反応も、全て消えていた。

 女は近くに黒霧を開くと、その中へ入ろうとする。しかし、一度、足を止め、バルパライソの街を見返す。そこにあるのは、沈黙だと分かっても、心のどこかで、縋ってしまう希望があった。

 だが、女はこれが現実であると受け入れ、霧の中足を踏み入れた。

 数秒もすると霧は消え、その場には、本当に何も残らなかった。唯一残るとすれば、それは、悲しいほどの沈黙だけだろう―――

【登場人物】

《旧大龍帝国 陸海共同軍》

(戦艦型超戦車/紫桜型超戦車)

・一号車 X-1094 紫桜

・二号車 X-1147 夜桜

・三号車 X-1146 水月


(空母型超戦車/紫月型超戦車)

・一号車 Y-1496 紫月

・二号車 Y-1497 屠月


《旧大龍帝国 陸軍》

(主力戦車)

・KSM-24主力戦車(試作型) 深月


《旧吸血共和帝国 陸海掃滅軍》

(Brad Memory級超戦車)

・三号車 X.V-3956 Brad MemoryⅢ


【裏設定㊱】

前回より、謎の存在として登場していたBrad MemoryⅢは、作中で四人を殺害し、アライアンス内部に大きな衝撃を与えた、まさに怪物だった。しかし、人間を全て殺すと言っておきながら、子供や無抵抗な者は生かすなど、人間の感情を持ち合わさている部分もあった。これには、過去の記憶に原因があるのだが、現段階では話すことはできない。物語を読み進め、原因となる部分を見つけることをお勧めする。

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