第七十二話 一角の崩落 ③
突如として、複数の爆発が怪物の背中を襲った。その内の数発は、明らかに威力の高い、大口径砲のものだ。
振り向くと、そこには先ほど接敵した、アライアンスの戦車隊が集まっていた。迎撃態勢が、間に合ったのだ。
そして、怪物は見つけた。先ほど吹き飛ばした二人の女が、その場にいることを。
あまりにも信じられない光景だが、怪物の気分はさらなる紅葉を見せた。心臓の音が高鳴り、血液が体中を巡るのが肌で分かる。
そして、気がつけば、怪物は動いていた。凄まじい速度で戦車隊の正面に立つ女の懐を侵略し、仕留めに掛かる。
夜桜は、怪物の動きを紙一重で察知し、レーザーの盾を展開し、怪物の攻撃を防いだ。もう少し遅ければ、死んでいてもおかしくはなかった。
直後、機動戦を得意とする前陸軍の者達が飛び出す。怪物を包囲し、ここで仕留めきる算段だった。
しかしながら、怪物はやはり怪物だった、前陸軍の者達にの動きを察知した直後、流れるような回転斬りを繰り出した。怪物を仕留めるための包囲陣は、かえって不利になり、前陸軍の者達に刃を届かせてしまった。
だが、そこで生まれた一瞬の隙を、夜桜は見逃さなかった。繰り出すのは、艦砲を超える主砲から繰り出される、超大口径砲の徹甲榴弾だ。その威力は、怪物の肉を激しく抉るもの。それを十発近く受けても立っている怪物は、異常だった。
しかし、直後、深月が前に出た。手には忍者刀を持っており、怪物のアキレス腱を断ち切るつもりだった。怪物は超大口径の徹甲榴弾を受け、まだ動けないと考えたからだ。
だが、その想定は甘かった。忍者刀が横薙ぎされた時、怪物は飛び上がり、それを回避した。それと同時に、怪物は剣による刺突を繰り出した。姿勢を低くした深月にとって、それは躱せないものだった。
直後、剣が繰り出される。深月は回避を諦め、刺突の餌食になる覚悟を決めた。
しかし、次の瞬間、両者の間に、手負いだった水月が入った。しかし、腕に装着している特殊盾展開装置板は、レーザーの盾を生成している途中だった。剣を防ぐだけの防御力は、どこにもない。
それを分かっていた水月は、怪物に背を向け、深月を庇う体勢を取った。万が一、レーザーの盾が貫かれたとしても、自身の身体が、剣の侵入を食い止めることを想定していたからだ。
そして、剣はレーザーの盾を破り、水月へと突き刺さった。だが、水月が想定していた通り、剣は水月の体を貫かなかった。
しかし、その傷は軽いものではなかった。いくつかの臓器を貫き、酷い内部出血を引き起こしていた。水月は激しく吐血し、吐かれた血は、深月に降りかかった。
怪物は、水月から剣を引き抜き、肩装着多連装速射砲により、弾丸の雨を降らせる。それを回避するべく、戦車隊は下がるしか無かった。
戦車隊が離れたのを確認すると、怪物は再び水月を見下ろした。水月は足を骨折し、動けないでいた。
それを見た怪物は、嘲笑した。
「人間を護る偽者よ、その愚かな判断を下した無能な司令官を恨みながら死ね!!」
怪物はそう言い、水月の心臓目掛けて剣を振り下ろした。それは、確実に命を奪うためのもの。回避する術はなく、これ以上の臓器の損傷は、耐えられない。
だが、水月は動かない。動けば、深月が死ぬことは明白だった。これ以上、仲間を奪わせないため、水月は動かなかった。
「―――私の妹は思ったよりも優秀なようね」
突如として聞こえた声。それは、自らが一番知っている、身近なものの声。そして、何よりも恐ろしい者の声。
無論、怪物もその声を聞いた。だが、声の主はどこにいるのか分からず、周囲を見回す。それでもなお見つけることのできない声の主は、どことなく恐怖を感じさせる。
だが、次の瞬間、怪物は、背後零距離射撃に、凄まじい殺気が満ちあふれるのを感じた。それは、仕えている君主が放つ殺気よりも、より協力なもの。即座に対応しなければならないと、回転斬りを行おうとした。
しかし、それよりも早く、怪物の後頭部が鷲掴みにされた。そのまま宙に持ち上げられたかと思うと、直後、地面へと激しく叩きつけられた。
水月は、背後にいる知った存在を見て、驚愕の表情を浮かべる。そこにいるのは、紛れもない『狂気の枝垂れ桜』として恐れられている、姉の姿だった。
「紫桜姉さん……どうしてここに……」
「話は後よ。それよりも先に、この世に生きていてはいけないこいつを殺さないと」
紫桜は、驚愕する妹を他所に、地面に伏せる怪物へ、狂気と殺気が混じり合う瞳を向ける。その瞳には光が宿っておらず、代わりに存在するのは、黒く煮えたぎる憎悪の炎だ。
怪物は、眼前の女を脅威であり、自らよりも怪物である存在だと認識する。本来ならば、ここで撤退するのが正しい選択だった。しかし、女が放った拳の一撃により、肋骨を砕かれ、逃げる時を見切りきれなくなってしまった。
紫桜は、腰にかけていた鞘から刀を引き抜くと、それを、地に伏せる怪物の右腕に突き刺した。怪物の体から黒い血が溢れようと、紫桜は気にすることなく、地面の深くまで突き刺す。
ふと、怪物はの左腕を見ると、黒霧で構成された左手をこちらに伸ばし、反撃しようとしているのが目に入った。
「邪気なるものを打ち消せ」
紫桜はただ一言、そう言った。それと同時に、怪物の黒霧で構成された左腕が形を崩し、やがて空気中に四散して消えた。
怪物は、焦りの表情を浮かべ、必死に女から逃れようとする。それが無駄だと分かっても、僅かな可能性に賭けてみるしかなかった。しかし、その行動は、紫桜の怒りを加速させるだけだった。
紫桜は、怪物を押さえつけたまま、白霧を展開し、中に手を入れた。中から取り出されたのは、新品であろう、美しい灰白色の剣だ。
紫桜は、何も迷うことなく、それを怪物の腹に突き刺した。一本刺すたびに、また一本、また一本と、怪物に剣を突き刺した。それは全て、地面に深く突き刺さるものだった。
やがて、怪物の四肢に剣が突き刺され、それに伴う出血多量により、失血死しかけた怪物は、目の前の女に目を合わせ、言葉を発した。
「貴様は……悪魔か……こんなことをして……楽しいか……」
怪物の言葉は、人間性を突いた言葉。これは、ほぼ拷問に近いものであり、目の前の女は、苦しむ姿を見て笑っているのだ。
しかし、その質問は、紫桜にとって無意味なものだ。その言葉を聞いて、脳裏に浮かんだのは、見知って間もない仲間が、理不尽に殺された光景だ。
再び生を受けてから、紫桜は見送ってばかりだった。今回も、本来ならば出撃するはずはなかった。今回は、仲間が全員帰ってくると信じたかった。
だが、それは叶わなかった。ここに来るまでに、空月と風月の亡骸を見つけた。空月に至っては、首を斬り落とされていた。それは、人間としての存在の否定だ。
次の瞬間、紫桜の顔に鬼が宿った。
「ふざけるなああああああああ!!」
その叫びは、天まで届き、地を揺らすもの。近くにいた水月が、思わず耳を塞ぐものだった。
「お前は何人殺した。私から何人の仲間を奪った。何人の仲間を絶望に叩き落とした。お前には分からないよな。人間性の欠如したやつが、人に人間性を問う質問をしてんじゃねえよ!!」
許せるはずがない。そう、許せるはずがないのだ。目の前の、可愛い妹の容姿をした怪物の瞳を見れば分かる。怪物は、何人もの大切な戦友を奪っている。
気づけば、紫桜の目には涙が浮かんでいた。それは、頬を伝って零れ落ち、怪物の頬を濡らした。
そこからは、紫桜の狂気に満ちた舞台だった。仲間の怒りを代弁するように、怪物の体に、傷をつけ続けた。
目を潰し、指を斬り落とし、右足をも切断した。死なないよう、止血作業も行い、怪物をなるべく苦しめるよう行動していた。
怪物も、抵抗はしようとした。だが、怪物は四肢の一部を斬り落とされ、残った四肢を固定されている。それに加え、腹の傷は深いものだ。生き残ることは、厳しいと判断せざるを得なかった。
やがて、ついに怪物に終わりが訪れる。その頃には、怪物の体は黒い血で染まり、紫桜も、その返り血で黒く染まっていた。
怪物は、言葉を発する力すら残っていなかった。両目を潰され、女が何をしようとしているのかすらも分からない中、死を待つだけだった。
そして、紫桜は存在の右腕に突き刺していた刀を引き抜き、土と血を払った。それを、存在の首上へ持ってくると、一撃で首を切断できるよう、刀を振り上げた。
「さあ、これで終わりだ。後悔しながら死ね」
「……っ」
怪物は、口まで出かけた言葉を出せなかった。紫桜は、怪物の言おうとした言葉をおおよそ理解し、その刀を振り下ろした―――
―――肉が斬り裂かれる痛快な音。そして、中を舞う血しぶきと、怪物の首。それは、怪物の存在を否定するものだ。
怪物の名は、血の記憶。その名は、死を記録するように、多くの者の死を見た。
これから見るのは、自らの命が尽きる、死の瞬間だ。意識が遠くなる中、首は、首を跳ねた女の妹の方を向いた。
そして、映ったのは、首を跳ねた女の妹の、驚愕する光景だった。だが、女の瞳には、驚愕以外の感情も混ざっているように見受けられる。
それが何なのか、怪物は知ることができない。その命は、今、ここで尽きたのだから。
水月は立ち上がり、折れた足を引きずり、姉の元へと近づいた。姉の表情は、鎮火した炎の跡のように暗く、物言わぬものだった。
何を話せば良いのか、水月には分からない。だが、ここで何か言わないと、駄目なような気がした。
「紫桜姉さん、あの……」
「帰りましょう。鎮守府へ」
水月が言いかけたところで、紫桜は言葉を発した。だが、その言葉を放つ表情は、能面のような無表情だった。虚無に近いその感情を見た水月は、自然と発せられた威圧感から、黙り込んだ。
それと同時に、無事だった者達が、負傷した前陸軍の腹に、止血のための包帯を巻き終えた。
夜桜は、意識を失っている紫月を抱えると、姉の元へ近づいた。
「紫桜姉さん……急ぎましょう……」
「ええ、そうね。もうすぐ、雨が降る」
紫桜はそう言うと、懐の中から転移霧の小瓶を取り出す。それを見て、戦車隊も転移霧の小瓶を取り出した。各自、安全装置を外し、鎮守府へ帰還するための霧が、彼女達を包んだ。
彼女達が去ると同時に、曇りつつあった空から、雨が振り始めた。雨は、その場にあったものの痕跡を消すよう、全てを荒らし流した。
残ったのは、重く伸し掛かった雨雲と、破壊され、今は黒く焦げてしまった、美しかったであろうバルパライソの街だ。
戦場と化したその街には、明確な爪痕が残された―――




