第七十二話 一角の崩落 ②
屠月は、自らの死を覚悟していた。動けなくなった地点で負けだと悟っていた。存在は大剣を振りかざし、こちらの首を飛ばそうとしていることが分かった。
風が斬られ、大剣が振り下ろされているのがわかる。初陣で死ぬ運命にある事実を受け入れられず、ただ悔しくて仕方なかった。
しかし、定めは決まっている。だからこそ、半ば、潔く見る覚悟はできてしまっていた。
だが、大剣が首に振り下ろされることはなかった。代わりに聞こえてきたのは、耳に響く金属音だ。残った左目で、おそるおそる、自らの上に広がる状態を確認する。
そして、屠月は眼前に広がる光景に、呆気にとられた。眼の前に広がるのは、一人の女が、腕で存在の振り下ろした大剣を防いでいる光景。
存在の大剣を防ぐ女の髪色は、藤の花よりも濃い、深い紫色の髪の女だ。そして、その女は、自らが一番知っている者だった。
「姉さん……どうしてここに……」
眼の前にいるのは、姉である紫月の姿だ。大剣を防ぐその腕は、龍鋼材甲型で造られた変形型龍鋼義手の強度によるよのだ。
紫月は存在と目を合わせたまま、妹に話しかけた。
「屠月、今すぐ鎮守府に戻っていなさい。ここは私が引き受けます」
「でも、姉さんじゃ奴に……」
「時を見て私も撤退します。まあ、鎮守府も鎮守府で地獄ですが……」
屠月は、姉が僅かに零した言葉の意図を汲み取ることができなかった。しかし、姉は後ほど撤退すると言うので、その言葉を信じるしかなく、屠月は転移霧の小瓶使用し、鎮守府へ帰還した。
一方、紫月は理解していた。目の前の存在には、逆立ちしても敵うか分からないことを。しかし、存在の動きは鈍っている。これならば、僅かながら可能が見えている。
紫月は撤退するためには、存在の無力化が必須だと判断した。それを遂行するため、変形型龍鋼義手を大きく振り上げ、存在の大剣を吹き飛ばす。
それと同時に、紫月は変形型龍鋼義手を剣に変形させ、振り下ろす勢いを利用して、存在に斬り掛かった。存在に、その斬撃を躱す手段は無く、肩から腹に渡り、広範囲に身を斬り裂かれてしまう。
しかし、存在はその反動を利用し、後ろへ飛んだ。手に持っていた大剣は投げ捨て、重量を軽くする。
だが、紫月は存在の行動を読んでいた。多連装誘導弾射出機から、数発の対艦誘導弾を発射する。それらは全て、宙にいた存在目掛けて飛翔する。
存在は対艦誘導弾を視認するなり、肩装着多連装速射砲による迎撃を試みた。しかし、右肩のみの速射砲では弾幕を張れず、迎撃できなかった対艦誘導弾が飛翔してくる。
そして、最終的に、三本の対艦誘導弾が存在に命中した。それは、袈裟斬りの深い傷を負った存在にとっては、大きな致命傷だった。
紫月は勝利を確信し、追撃の対艦誘導弾を撃ち込む。これで存在を無力化した後、信号弾を上げ、周囲にいるであろう夜桜達に、存在の始末を任せようと考えていた。
そんなことを考えていた次の瞬間だった。対艦誘導弾の爆煙の中から、神速の域に達した存在が飛び出してきた。追加で発射した対艦誘導弾を全て躱し、こちらへと突っ込んでくる。
紫月は僅かに反応が遅れるも、剣の間合いには近づかせまいと、肩装着多連装速射砲による迎撃を開始する。しかし、大量の弾丸を浴びてもなお、存在はこちらに突っ込んでくる。
そして、紫月は懐を侵略されてしまった。存在は腕に取り付けられた剣を、紫月へ突き刺そうとする。その距離は躱せるものではない。
しかし、紫月とて無策で懐を取らせることはしない。通常の変形型龍鋼義手を剣から手に切り替え、存在の剣を掴んだ。これは、存在にとって予想外のことで、即座の対応が遅れた。
その隙に、紫月は存在の剣の軌道を変え、脇腹に大きな隙を生み出させた。一か八かで剣から変形型龍鋼義手を離し、その無防備な脇腹目掛けて、重い一撃を打ち込んだ。
存在は激しく吹き飛ばされ、地を転がった。大きな土煙と、傷口から溢れ出る黒い血液が宙を舞い、存在の周囲を染め上げた。
地を転がり終えた存在は、ゆっくりと立ち上がる。その体は傷だらけで、ものによっては致命傷に至っているものすらある。それでもなお、立ち続けられる耐久力は、常軌を逸している。
紫月は存在を前に、曇った表情を浮かべている。存在の耐久力もそうだが、近接戦に持ち込まれた際、瞬時の対応が難しいことに、危機感を覚えていた。
「ったく……どれだけ耐久力があるんですか。城月も目を回しますよ」
紫月は、呆れと怒りが混合した言葉を吐露する。しかしながら、それは事実になり得るかもしれないことで、冗談で済む話ではない。
一方、存在は口から激しく吐血し、足元に黒い血溜まりを生成していた。傷口から溢れ出すものも重なり、それは、より速い速度で、地面を侵食している。
すると、屠月に問いを投げかけて以降、一言も発することのなかった存在が、血を吐きながら言葉を発した。
「キサマタチハ、ナゼジャマヲスル。オロカナニンゲンヘノ、セイサイヲ」
存在が吐き出したのは、人間への憎悪を孕んだ言葉。しかしながら、それは至極全うな言葉だ。人間が愚かであることは、アライアンスの者達にも当てはまる認識なのだ。
だが、一度は戦争が終わり、人間社会での生活の中、人間が生態系の中から逸脱した、一つの特徴を見つけた。それは、高度な知恵と、心だ。それは、使い方によって救いの手にも、凶器にも変化することを知った。
それを踏まえた上で、紫月が発する答えは決まっていた。
「邪魔する理由は元よりありません。ただ、契約と守りたい者がいるから戦う。それだけです」
紫月は、例外を除き、やはり人間を受け入れることはできなかった。人間社会の生活の中、片腕が無いというだけで、差別や偏見の対象とされた。
それを救ってくれたのは、婚約を交わした職場の同僚だった。命と引き換えにしてでも、その男の命だけは守りたいと思った。
「ソレガ、キサマノコタエカ……」
紫月の答えを聞いた存在は、残念そうに呟いた。紫月の言った「守りたい者」という言葉は、存在にとって、何か思うところがあった。
脳裏に浮かぶのは、灼熱の炎の中、大切な仲間が、溶け、沈みゆく熱地獄とも言えるものだ。神が成した歴史の終焉を示すかのように、周囲を包みこんだのは、紅く澄んだ世界だった。
『お前は何をしている』
存在は、脳に響いた女の声に反応する。それは、自らが忠誠を誓った君主のものであった。今はこの場を離れたはずの君主の声は、脳に直接響いている。
『その女の言葉に惑わされるな。お前には、壊すべきものがあるだろう』
君主の言葉は、存在の体を動かした。本来の目的である、アライアンスの陸上部隊の壊滅を目的とし、目の前の女を殺すため、再び突撃を開始させた。
紫月は即座に反応し、レーザーの盾を生み出す。それは、存在の刺突の軌道を変えるよう展開され、狙い通り、存在の刺突を受け流した。
その無防備な背中に向けて放たれたのは、剣の形態へと変化した、変形型龍鋼義手の斬撃だ。斬撃は、存在の背中を、爽快なほどきれいに斬り裂いた。
存在は激しく吐血するも、無理に反転し、再び女へ向けて刺突を繰り出そうとする。一見すれば、無駄だと分かって攻撃を繰り返す、追い詰められた兵士のようだ。
しかし、悲しいことに、それは事実だった。傷口の深さと出血量から、目の前の女に勝てないことは明白だった。それでもなお、殺さなければならないと、存在は我武者羅に剣を振るしかなかった。
だが、冷静な紫月の前で、それは自らの身を斬り裂くことに他ならなかった。
次の瞬間、存在の左腕が宙へ舞う。紫月が繰り出した、一瞬の逆袈裟は、存在の肩の関節を斬り裂いた。そして、存在は何が起こったのか分からず、唖然とすることしかできなかった。
それと同時に、紫月は払い蹴りを繰り出し、存在を地へに倒れさせる。腕を失った一瞬の衝撃から、存在はそれに対応できなかった。
仰向けに倒れた存在へ、紫月は剣先を向けた。
「これで勝負ありです。私は帰らせていただきます」
存在は、女の放った言葉に衝撃を受けた。まさか、とどめを刺さないとは、思ってもいなかった。それと同時に、女への深い憎悪と、出血多量による死を悟った。
この世に別れを告げる鐘が鳴ろうとしていた。
『お前はそこで終わるのか』
突如として、君主の声が、脳に響いた。その問いかけは、存在がこの世に成り立つ意義を問うものだ。
『全てを破壊し、絶望に陥れるのではなかったのか』
存在は、この世に成り立つ意義の本質を問われた。五臓六腑に刻まれた、人間を全て殺すという使命を負ったあの日から、ただただ人間を狩ってきた。
存在の心臓の動きが速くなる。血液が体を巡り、力が漲ってくるのが肌で感じることができる。目の前の女を殺すことは、可能なように思えた。
紫月は、背後で倒れる存在の纏う覇気が圧力を増しているのを感じた。これは駄目だと、安全装置を外した転移霧の小瓶を、遠くの草むらに投げ捨てた。
『全てを破壊しろ!! Brad MemoryⅢ!!』
突如として、存在の覇気が爆発したかのように広がった。それは、凄まじい風圧を伴い、紫月を吹き飛ばした。
紫月は、目の前の攻撃を見て絶句した。空気が歪んで見えるほどの覇気が周囲に満ち、左腕を斬り落とした存在の左肩からは、黒い霧のような何が、腕のような形で形成される。
覚醒を終えた存在は、紫月へ顔を向け、言い放つ。
「我が名はBrad MemoryⅢ!! 全てを破壊し、絶望の底へ陥れる裁定者だ!!」
『血の記憶』と名乗った存在は、笑っていた。その言葉は、放たれる覇気と威圧感により、現実味を帯びている。
紫月は眼前にいる存在を見て、暗い表情を浮かべている。
「やっと、まともに喋りましたか。ですが、これまた厄介なことになりましたね……」
紫月はため息混じりの声を零し、変形型龍鋼義手を通常の手の状態に戻す。
眼前の存在は、先ほどまでの存在とは比べ物にならない。言わば、怪物なのだ。何があったのかは分からないが、先ほどまでの不気味な容姿は一変し、人間の顔のようになっていた。
だが、一つだけ気を害す事があるとすれば、怪物の容姿は、見知った顔の容姿に酷似していた。その容姿は、瓜二つと言っても変わらないほど精巧で、怪物と対峙する紫月としては、気分の良いものではない。
「我に歯向かったことを後悔するがいい。楽に死ねるとは思うなよ」
「水月さんに言われているようで気分が悪いですね。その口、さっさと塞いでくださいよ」
紫月はそう言い、自らが不得意な分野である近接戦闘を仕掛けた。逃げ場を失い、怪物のことを詳しく観察したから分かったことだが、怪物は覚醒により、全ての身体能力が向上していると予想できる。それを考えると、遠距離戦は、かえって自らの命を危険に晒すことになる。
ならば、あえて怪物の土俵に上がることで、怪物に少しでも傷を負わせようとした。もっとも、先ほどまでに与えた傷は、全て完治してしまっているようだったが―――
―――繰り広げられるのは、これまでに類を見ない速度での近接戦闘。一進一退の攻防戦は、並大抵の者を近づけさせることはない。
しかしながら、生傷を増やし続けているのは、紫月だけだった。特殊盾展開装置板や変形型龍鋼義手を用い、度々、放たれる剣の斬撃を防いでいたが、その速度差は比べるまでもなく、怪物の方が何枚も上だった。
そして、斬撃を受け続ける内に、変形型龍鋼義手の耐久力も限界を迎えつつあり、このままでは、敗北は決定的なものになってしまう。
しかし、ここまで追い込まれるまで、紫月も反撃をしなかったわけではない。乱戦の中で、肩装着多連装速射砲を用いた、零距離射撃を行っていた。その中で、変形型龍鋼義手を用いた打撃も行った。
だが、それは全て無駄に終わったのだ。弾丸を撃てば怪物の黒霧の手で受け止められ、全て消されてしまう。打撃は怪物が間に挟んだ剣により、全て防がれてしまう。
戦闘の速度的な問題により、柔道や空手の技は使えない。距離的な問題で、対艦誘導弾も使えない。逃げることもできない。
そして、ついに紫月の生命線ともいえる、変形型龍鋼義手が、耐久力の限界を迎えてしまった。金属音と共に、ついさっきまで反応していた変形型龍鋼義手が、意思に反して動かないのを感じる。
それと同時に、存在の剣が、紫月の防御態勢を突破してしてしまった。それは、変形型龍鋼義手を貫き、体に接続された神経伝達部位に、致命的な損傷を与える。
紫月は、神経に電気が走る痛みを覚え、苦痛の表情を浮かべた。あまりの痛みに、一瞬、動きが止まってしまった。
怪物は、それを見逃さなかった。その一瞬を突き、怪物は剣を深く差し込み、突き上げた。それは、紫月の体から、変形型龍鋼義手を切断した。
あまりにも非現実的な光景を前に、紫月の脳は考えることをやめた。当たり前のことではあるが、目の前で起こった事象のみが事実であり、結果なのだと理解した。
しかし、怪物の攻撃は留まることを知らない。女の義手を切断した直後、宙にある剣の軌道を変え、今度は、女に袈裟斬りを繰り出す。
紫月はそれを見て、再び思考を回した。頼れる鋼鉄の腕は存在せず、残されたのは生身の腕のみだ。距離的に、防御が間に合うかどうかも分からない。だが、ならなければ死ぬことは明白だ。
紫月は、腹を括った。一か八かの賭けで、生き残る方に自らの腕を賭けた―――
―――響いたのは、金属音音と、何が歪むような歪な音。火花が散り、周囲は凄まじい風圧で満たされる。
紫月は、自らの腕が、何かの重量を支えるために震えているのを理解する。鉄錆の匂いはせず、腕の感覚もある。
紫月は、賭けに勝ったことを確信した。
次に紫月が取った行動は、逃走だった。怪物が剣を振り下ろした時、咄嗟にレーザーの盾を展開し、自らの命を守ろうとした。
この時、レーザーの盾の展開が間に合い、腕が無事だったのならば、即座に逃走することを決めていた。ここにいても、殺されるだけだと理解したからだ。
夜桜達がここを見つけられないのだから、これ以上耐えたところで、無駄なのは分かっていた。ここで死ぬより、鎮守府へ戻り、この件を司令官に報告しなければと思った。
紫月は、一瞬の内に怪物から距離を取った。傷口が軋み、足の骨は砕けそうなほど痛い。そらでもなお、走らなければならなかった。
(夜桜さん、水月さん……早く、ここまで来てください。これが、最後の望みなんですよ……)
紫月は心の中で、二人の名を呼んだ。そして、腰に下げていた信号弾射出銃を手に持ち、上空へ向けて信号弾を発射した。
青い煙幕を描きながら飛んだ信号弾は、空高く舞い上がった。これが花火ならば、どれほど美しかったことだろうか。
しかし、今の紫月にはそのようなことを考えている暇はない。銃を近くに捨て、走り続ける。
だが、紫月はふと右を見て、絶望の表情を浮かべた。隣にあったのは、怪物の不気味な笑顔。それは、清々しいほどのものだった。
次の瞬間、紫月は後頭部を激しく殴打された。視界が揺れ、頭に金切り音のような音が響いた。
それと同時に、紫月は地面に激しく叩きつけられ、額を激しく打ちつけた。走っていた反動もあり、紫月は地面を転がり、そして動けなくなった。
目まい、頭部、右肩からの出血で、紫月の状況は最悪の一言に尽きた。この状態から、形勢逆転など、望めない。
そして、怪物は、黒霧で構成された左腕で、紫月を拘束した。絶対に逃れられぬよう、手足を縛り、首をも絞めにかかる。目の前の苦しそうな表情を前に、怪物の気分は高揚した。
「ああ、その顔だ。貴様のその顔を、苦しみに溢れる顔をもっと見せてくれ!!」
存在の言葉に、紫月は憎悪の籠もった瞳を向ける。力が無くなりつつあるとはいえ、この苦しみと、屈辱は、しっかりと脳裏に焼き付いている。
だが、怪物はどこまでも残酷だった。肩装着多連装速射砲を女の腹に向けると、零距離射撃でそれを掃射し始めた。弾丸の雨は、女の肉と内臓を突き破り、血の雨へと変貌する。
その次は、剣による袈裟斬りだった。袈裟斬りは女の腹を捉え、深く斬り裂いた。大量の血液と共に、先ほど撃ち込んだ弾丸が地面に落ちる。
だが、紫月はこの時を虎視眈々と狙っていた。この距離ならば、怪物に対艦誘導弾を撃ち込むことができる。怪物が気づかないよう、ゆっくり、焦らずに多連装誘導弾射出機を動かす。
そして、その時は訪れた。あるだけの対艦誘導弾を、怪物に向かって発射する。それは、安全装置の外れる直後の距離。ほぼ確実に、怪物を仕留められる距離。これに賭けるしかなかった。
しかし、紫月の試みは、始めから見透かされていたのかもしれない。対艦誘導弾は、怪物の眼前に黒霧を出現した黒霧に、吸い込まれるようにして消えた。
紫月は、何が起こったのか理解できていなかった。対艦誘導弾が、全て消えたようにしか見えなかった。だが、その答えはすぐに分かることになった。
次の瞬間、紫月の後頭部で、複数爆発が起こった。元より後頭部を激しく打っていた紫月は、意識を繋ぐことができなかった。意識が途切れゆく中、唯一理解できたことは、目の前の怪物が、何か細工をしたということだけだった。
怪物は意識を手放した女を地面へ叩きつけた。拘束を解き、宙にあった黒霧を消すと、剣を女の心臓へ突き立てた。勝負は決まり、これから、目の前の女は死ぬ定めなのだ。
そらは青く澄み渡り、太陽が地表を照らし続けている。
「死ぬには良い日だ。まあ、お前は足掻いた方だったよ」
怪物はそう言うと、腕を後ろに引いた。そして、意識を失った女の心臓へ、剣を突き刺そうとした。
それと同時に、紫月の抵抗と、生きようとした努力は、ここで実を結んだ―――




