第七十二話 一角の崩落 ①
―――眼前に立ちはだかる怪物。それは、この世のものとは思えないと、屠月は捉える。その容姿は、どことなく紫桜姉妹のようであり、そうではない。
その点は、主に武装だ。特殊盾展開装置板は左腕に取り付けられ、元ある場所には、一本の剣が取り付けられている。それには文字が刻まれており、紅く、不気味に光っている。
屠月は、展開していた肩装着多連装速射砲を格納させ、代わりに多連装誘導弾射出機を展開する。そして、敵意をむき出しにしたまま、存在へ問いかけた。
「何が目的か言え。言わないと、こうなる」
屠月はミサイル発射管の一部を開く。それは脅しであり、殺害宣告だった。
しかし、存在は屠月の問いに応えず、ただその場に立ち尽くすだけである。その表情には、一切の起伏が表れていない。
屠月は、何も応えない存在に用は無いと判断し、排除するべく、ミサイル発射管を一斉に開く。ここまで存在が動かないことが疑問だったが、一刻も早く、目の前の怪物を殺さなければならないと思った。
その時だった。存在は、その喋りにくそうな牙の口で、死にかけの鴉の啼くように、小さな声を発する。
「……ス……ロス……」
「はい?」
「キサマヲ、ココデコロス!!」
突如として、存在が咆哮を上げた。その咆哮は、大地を揺るがし、空気を震わせるものだ。その影響か、屠月は一瞬、存在に恐怖を覚えた。
だが、そんなことを覚えている暇も、感じている暇もなかった。瞬きした次の瞬間には、存在は懐を侵略している。ミサイルの間合いは潰され、反撃できる距離は無い。
屠月は間一髪のところで、特殊盾展開装置板を使用し、レーザーの盾を生み出す。
それと同時に、存在が剣による刺突を繰り出した。それはレーザーの盾に阻まれ、屠月には届かない。両者の間には火花が散り、攻撃の威力を物語っている。
しかし、次の瞬間には、存在は屠月の目の前から消えていた。まるで、幻影を見ているようだ。しかし、その殺気と、動きによる微細な空気の乱れは誤魔化すことはできない。
屠月は、集中力を極限まで高める。それと同時に、ミサイル発射管を格納し、機動戦を仕掛けてくるであろう存在に対応するべく、肩装着多連装速射砲を展開する。
そして、屠月は目を閉じる。頼るのは視覚ではなく、肌で感じる感覚と、聴覚のみだ―――
―――僅かに聞こえる風の乱れる感覚。何かが草木の間を掻き分け、生物の常軌を逸した速さで進む音。そして、背筋が凍るほどの殺気。
それが指すのは、あの存在の他にない。
ならば、ここで全てが決まる。極限を超え無ければ、勝機も、活路も、どこにも見えない。
そして、屠月は捉えた。瞬時に、再びレーザーの盾を生み出す。それが向く方向は、近くにある森林の方角だ。
その次の瞬間、凄まじい轟音と共に火花が散る。その中にあるのは、レーザーの盾に刺突をした存在の姿だ。
あまりの威力に、屠月は吹き飛ばされそうになる。だが、それを耐え、肩装着多連装速射砲の弾丸を、存在に向けて乱射する。
その弾丸が生み出すのは、これまでに類を見ない弾幕。火薬が連続して爆発する轟音と、薬莢の排出される金属音が混ざり合い、その場は都市部以上の轟音に包まれた。
存在は堪らず、屠月から距離を取った。僅かな反応の遅れから、弾丸を数発被弾してしまうも、大した損害には至らない。
存在が距離を取ったところで、屠月は掃射を中止した。この距離となれば、短機関銃の弾道に近い肩装着多連装速射砲の命中精度は、期待できたものではない。
屠月は次の一手を放つべく、懐に手を入れた。その手に握られたのは、多数の六角手裏剣だ。屠月は目にも止まらぬ速さで、それらを投擲する。
存在は難なく、最小限の動きでそれを躱した。しかし、それと同時に、存在は屠月の狙いに気づいた。放たれたそれは揺動に過ぎなかった。
本命は、屠月が再び展開した、多連装誘導弾射出機から放たれる、対艦誘導弾だ。存在は、これを躱せないと察し、レーザーの盾を生み出す。
対艦誘導弾は、見事、存在に傷を与えること無く、レーザーの盾によって防がれてしまった。存在は表情一つ変えないが、こちらを見つめる目が余裕を物語っていることは、明白だった。
その一方で、屠月は早くも窮地に陥っていた。肩装着多連装速射砲の弾も無尽蔵ではなく、有限なのだ。それに対し、存在は一発も弾を撃っていない。全て、機動力と刺突による攻撃だ。
このままでは、体術で劣る屠月は、存在に勝つことはできないだろう。それこそ、肩装着多連装速射砲の残弾が尽きたところで、敗北は決定してしまう。
すると、突如として、屠月が思考を巡らせている中、存在が屠月に剣を向け、問いかける。
「キサマノタタカイカタ、シザクラガタデハナイ。ホンモノノシザクラガタハ、ドコニイル」
その問いは、紫桜姉妹の居場所を問う言葉だ。それと同時に、目の前の存在は、紫桜姉妹に、何かしらの因縁があることを示した。
しかし、屠月にはこれを答える責務も、義理も無い。その答えが、自分の死を確定させるものだとしても、答えは一つだけだった。
「馬鹿が、私が教えるとでも思ったの? 所詮、知能は前線の奴に劣るようね」
それは、回答の拒否と同時に、存在を嘲笑する言葉だ。無論、存在は怒り心頭だろう。その証拠に、存在の手は震えている。
屠月は再び、懐に手を入れた。そこから取り出されたのは、手榴弾だった。それは迷いなく、存在へ向かって投擲される。
存在は後方に飛び、手榴弾から距離を取る。それと同時に、レーザーの盾を生み出し、この後に撃ち込まれるであろう対艦誘導弾を防ごうとした。
だが、なぜか対艦誘導弾は飛んでこなかった。それを補填するように、手榴弾が起爆し、白煙が周囲を覆った。
屠月が投げた手榴弾は、発煙筒だった。厄介なことに、存在は屠月の位置を把握できなくなってしまった。その様子は、濃霧の中で迷った旅人のようだ。
だが、存在は決してこの事態を想定していなかったわけではない。煙幕が展開されたとなれば、空気の流れが可視化されることを理解した上で、煙幕の中に留まった。
存在の予想通り、瞬時の内に空気を切り裂く動きを確認する。即座に横に一歩動き、飛んできた対艦誘導弾を回避した。しかも、それは複数発だった。
存在は、対艦誘導弾が熱源を頼りに飛んでくるのではないと理解した。このこの距離であるならば、爆発型の煙幕による僅かな温度を感じ取り、誘導弾はこちらの正確な位置を把握できないはずだ。そこから推測されるのは、眼前の敵がその実力を持っているか、あるいは―――
―――煙幕へ向けて放った対艦誘導弾は、中にいるはずの存在に命中せず、煙幕を突き抜けてしまった。
それを確認した屠月は、存在に対艦誘導弾の性質に勘づかれたことを危惧する。それと同時に、存在が突撃した場合に備えて、六角手裏剣を手に握る。
そして、当たらないと分かっていながらも、対艦誘導弾を煙幕の中に撃ち込む。とにかく、存在に考える隙を与えさせてはならなかった。
しかし、次の瞬間、存在は煙幕から飛び出してきた。その速さは、先ほどの速さとは比べ物にならない。
屠月は手に握っていた六角手裏剣を投擲するも、一瞬の油断により、僅かながら、照準が合っていなかった。結果、存在は六角手裏剣を、難なく躱してしまう。
だが、屠月とて、自身の防衛線を簡単に突破されるような実力は持っていない。瞬時に頭を切り替え、肩装着多連装速射砲による、弾丸の雨を放つ。普通なら、これで敵は近づくことができなくなる。
しかし、存在の行動は、屠月の予想は想定外を超えてしまった。存在はそのまま、弾幕の雨の中に突っ込んだのだ。存在の体には無数の穴が空き、石油のような黒い血が、周囲に飛び散る。そして、存在は痛みの表情すら上げていない。
屠月は察した。目の前の存在には、痛覚がないのだと。対艦誘導弾の直撃でなければ、仕留められないのだと。
存在は宙へ飛び、弾幕から逃れる。もちろん、この突然のことに、屠月が対応できるわけがない。存在は剣を構え、屠月へ襲い掛かった―――
―――肩に凄まじい痛みが走る。肉の裂ける音と、金属の砕け散る音が、屠月の耳に入る。それは、剣によって貫かれた左肩と、その背後にあった、多連装誘導弾射出機が破壊されたものだ。
存在は、目と鼻の先よりも近い距離にいた。それこそ、零距離射撃で反撃可能な距離だ。しかし、屠月は反撃することができない。存在の不気味な容姿は、零距離では威圧へと変わっていた。
だが、屠月は理解している。このままでは、確実に殺されると。それを防ぐため、右手に握っていた六角手裏剣を、存在の腹へ突き刺そうとする。
しかし、存在はそれよりも早く、屠月の肩から剣を引き抜き、後方へ飛んだ。無論、屠月の刺突が命中しなかったことは、言うまでもない。
屠月は左肩を押さえながら、破壊された左舷の多連装誘導弾射出機の動作を確認する。駆動系は破壊されてこそなかったものの、発射管は歪み、対艦誘導弾の射出は、事実上不可能となった。
「まさか、ここまでやられるなんて思ってなかった。だけど、これからはずっと私の一人劇場。反撃なんてさせない」
屠月はそう言うと、懐から、またもや手榴弾を取り出し、存在へ向かって投擲した。手榴弾は弧を描きながら落下し、存在の少し前に落ちた。
しかし、存在は手榴弾に興味を持たず、その横をゆっくりと素通りしようとした。その手榴弾には火薬の匂いはなく、発煙筒だと判断したからだ。
だが、屠月は笑みを浮かべていた。それの笑みを、存在は見逃さない。何かがあることは確実だだが、それは何か分からない。
立ち止まったところで、存在は気がついた。目の前の敵が狙っていたことを。
次の瞬間、存在の足元にあった手榴弾が起爆する。それと同時に、存在はレーザーの盾を展開し、後方へ飛んだ。手榴弾から発せられた白粉は、煙幕のものではない。粉末状の何かだ。
それを見た屠月は、存在の飛んだ方向を確認し、肩装着多連装速射砲から、またもや弾丸の雨を生み出した。しかし、それは存在へ向けて発せられたものではなく、その背後にある、民家に発せられたものだ。
すると、突如として民家が倒壊した。元より爆撃で耐久度の落ちていた民家は、弾丸の雨を受け、自重を支えるために必要な柱を失った。それが意味することは、崩落の一つだけだ。
そして、悪運か、計算された内だったのか、存在は民家の倒壊する範囲に入ってしまっていた。即座に回避しようにも、下半身は確実に倒壊に巻き込まれてしまう。ならばと、レーザーの盾を生み出し、防御に徹するしかなかった。
倒壊した民家は、存在を下敷きにした。木とコンクリートで構成された民家であったため、異常な耐久力を持つ存在への効果は薄いかもしれない。だが、何もしないよりかは、少しなりとも気休めになった。
すると、倒壊した民家の瓦礫の中から、存在の腕が飛び出した。墓の中から出てくるようにして立ち上がる存在は、大きな損傷を負っていた。左肩の肩装着多連装速射砲は外れてしまったのか、存在せず、背中の対空兵装は、全て破壊されている。
「スバラシイサクダ。ダガ、タリナイ。コロスニハ」
存在はそう言うと、背中に背負っていた艤装を外し、森林の中へ投げ捨てた。そして、突如として近くに現れた黒い霧の中へ手を伸ばした。その中から取り出されたのは、紅く光る大剣だった。
存在はそれを背に背負い、攻撃の態勢に入る。周囲には、目に見えるほどの、禍々しい黒い覇気が出現している。
屠月は警戒し、防御態勢に入った。肩装着多連装速射砲の弾薬は底をつき、次、存在に懐を取られてしまえば、死ぬことは確定ている。
しかし、屠月の想定は甘かった。つい、一秒前まで目に捉えていたはずの存在の姿が、どこにもなかった。それどころか、気配も、殺気も、風の動きも感じ取ることができない。
そして、気づいた時には遅かった。存在は、いつの間にか背後に回り込んでいた。それは、何の前触れもない完璧な奇襲攻撃。屠月は、反応することすらできなかった。
その無防備な背中に捩じ込まれた拳は、艤装の管制装置を破壊し、背骨にまで損傷を与えた。その威力は、屠月を激しく吹き飛ばした。
屠月は高速で宙を舞い、近くの民家に激しく打ち付けられた。民家は倒壊し、屠月がどれほどの状態で飛翔したのかを物語らせる。
屠月は倒壊した民家の中から立ち上がると、肋に激しい痛みを覚えた。どうやら、肋骨が折れているらしい。背骨に損傷があるのか、下半身は痺れて動きづらい。
しかし、存在はその隙を見逃さない。再び、満身創痍の屠月の背後に回り込むと、その拳から放たれる一撃を、屠月の後頭部に打ち込んだ。
屠月は瓦礫の上に叩きつけられ、その場には風に吹かれた砂漠の砂を連想させるほどの土煙が舞った。それと同時に、屠月は自身の右目で世界が見えなくなり、激しい痛みを覚える。それは、瓦礫の中にあった鉄筋により、右眼球を貫かれたことによるものだ。
存在は、眼前でうつ伏せに倒れる敵の髪を掴み、宙に引き上げる。敵に戦う力は残されていないようで、壊れてしまったように感じる。
ならば用は無いと、存在は敵を地面に叩きつけ、踏みつける。そして、大剣を手に取り、それを大きく振りかぶる。そこからの未来は、もう分かりきったことだ。
そして、存在は大剣を振り下ろした―――




