99.来客は忙しい時ほど来る
魔王とのデートから一週間が経ち、仕事は多忙を極めていた。魔王も忙しいようで、水晶玉を飛ばして見には来るけれど時間は短く、本物とはあれ以来会えていない。今頃魔王の机には、私以上の書類の山が積まれているのだろう。
「なんでこんなに忙しいのよ」
私が管轄している仕事は、法案作成や王都へ移住した人間の移住先や職業の斡旋などの業務の補助から、人間と魔族がトラブルになればその仲裁への助言まで多岐に渡っている。
「頭が溶けそう……」
私は法務部に出す書類を書き終えると、机に突っ伏して手足の力を抜いた。気合を入れるために後ろで一つくくりにしている髪が前に落ちてきた。
目の前にはまだ書類が山積みになっていて、ため息が出る。吹き飛ばして仕事をゼロにしてしまいたくなった。半分はアーヤさんが受け持ってくれているとはいえ、多すぎる。
どれも人間研究部の直接的な業務ではなく、他部署の仕事を一部手伝っているにすぎないのだけど、塵も積もればというか立て込んでくると手が足りない。王都に移住者が増えてきたこの一か月で仕事が倍増した気がする。
「スー早く帰って来てよ」
間が悪いことに、頼りになるスーが帰ってくるのはもう少し先になるらしい。スーからは定期的に手紙が来ていて、毎回新発見があるそうだ。楽しそうにしている様子が文面から伝わってくるため、早く帰って来てなんて書けなかった。
だらだらしていても時間だけが過ぎるので、身を起こして上に積んである書類を取る。ざっと目を通せば面倒な案件で顔を顰めてしまう。
これ、アイラディーテの法律を参照しないといけないやつじゃん。
人間と魔族との間で裁判が起こっているらしく、人間側の判例がないかの問い合わせだ。法律は妃教育の一環でさらっと勉強したが覚えているはずがなく、分厚い法律の全書と判例集を見ないといけない。
二つともこの部屋の本棚にあるので取りに行く。私が仕事をしているところは、人間研究部に入ってすぐの部屋で、前は応接用のソファーだけだったのが奥に私の机が置かれたのだ。
本棚から重い二冊の本を取り出し抱える。向こうの国でもおいそれと扱えない書物だ。そんなものがなぜミグルド王国の城にあるのかというと、これに関しては正式な外交ルートで手に入れたらしい。
それはつまり、非正式なルートもあるということなのだが、知らないほうがいいこともあると、アーヤさんに説明をしてもらった時に笑顔で受け流した。そのアーヤさんは今、大事な会議があるとかで部屋にいない。もう一人のトットさんは仕事が調査、資料収集のためそもそも部屋にいることの方が稀だった。もう一か月姿を見ていない気がする。
つまり、現在この人間研究部には私一人。
席に戻って索引から関係がありそうなところを見ていくが、文章が難解で簡単には解決しない。そのうち睡魔が襲ってきて意識が何度か飛んだ時、ノックの音で姿勢を正した。
「ひゃぁっ」
びっくりしすぎて心臓が早鐘を打っている。頭が回転しておらず固まっていると、もう一度ノックの音が聞こえた。せっかちな人なのかもしれない。
「あ、どうぞ」
静かに深呼吸をして心臓を落ち着かせ、ドアが開くのを待つが一向に開く気配がなかった。いつもならすぐに開けて入ってくるのだが……。
聞こえなかったのかしら。
仕方がないと立ち上がり、迎えに出る。
これでしょうもない要件だったら追い返してやる……。
忙しすぎて気が立っている。そんなことを思いながらドアを押し開けると、来客は目の前にいて、しかも予想外の人物だったため口が半開きになってしまった。
「開けるのが遅い」
しかも、開口一番文句と来た。
「ロウ・バスティン……何しに来たんですか」
詰襟の騎士服を一切の乱れなく着用し、黒髪は前会った時より短く切りそろえられ前髪は後ろに流している。頬に傷も相まってさらに威圧感が増していた。
「少しな。入ってもいいか」
「え、だから何の用って、勝手に入らないでくださいます?」
入ってもいいかと言いながら、ドアを開けて入って来た。傍若無人が騎士服を着るなんてとんだ詐欺だと思う。
「ちょっと、ロウ。あなたここ嫌いじゃありませんでした?」
前にアーヤさんが頑なに部屋に入ろうとしないと怒っていたのだ。それが自分から入ってくるとは、明日は雨か。
「あぁ、人間は好きではないし、それと共存を目指して研究する部署の意味を見出せない。……が、リリアがいるから仕方なくだ」
勧められてもいないのにソファーに座り、この部屋の主人のような顔で、私に向かいに座るよう手で促す。偉そうな態度に腹が立つが、ここで口喧嘩を始めようものなら永遠に本題に進まない気がするから我慢する。私、大人になった。
ため息をつきたいのを我慢して渋々ソファーに座る。なぜ忙しい時に限って、余計な来客があるのか。こうなったら、早めに話を切り上げて仕事をするしかない。
「それで、どうしたんですか?」
あいさつ代わりの世間話もなく、さっさと要件を訪ねれば鋭い視線が返って来た。そこには意地悪なからかいも、嘲りもない。
「別れの挨拶に来た」
そう告げた声は重々しく覚悟を決めたもので、私は目を瞬かせた。




