97.思い出の味
お腹もいい感じに膨れて来て、あとはデザートかなと思っていたのに鍋がやってきたので少し驚いてしまった。魔王がわざわざ頼んだという料理らしいが、想像がつかない。鍋が熱いようで、しっかりと鍋掴みを手に嵌めた奥さんが蓋を開ける。
「……あ」
湯気と一緒に立ち上った匂いが懐かしさを連れてくる。
「シチューだわ」
奥さんが深い小皿によそってくれる。食事も終盤だからか、具が小さく少なめなところが昔食べたもののようで、口角が上がる。スプーンですくえば、とろみは少なくスープに近い。
そして口の中に入れた瞬間、懐かしさが弾けて思い出があふれた。
寒い冬の日に、貯蔵していた塩漬けの肉と、少しの野菜で作ってくれた。お母さんと身を寄せ合って食べて、おいしいね、温かいねって笑顔だったあの料理。
「……お母さんのシチューだ」
味は覚えていなかったけれど、食べたら分かる。これはお母さんが作ってくれたシチュー。まるでお母さんが生きていて作ってくれたみたいで、白いシチューが滲む。
「おいしい、おいしいです」
「リリア……」
涙を流して食べる私を見る魔王は、なんと声をかけていいのか分からないようで、眉尻を下げていた。
私は彼を気にしている余裕はなくて、涙を袖で拭い食べ続ける。手が止まらなくて、空になった器に奥さんがすぐにお代わりをいれてくれた。それがまたお母さんを思い出して、涙が零れる。
「これ、お母さんの味です」
私は二杯目を平らげると、運んで来てくれた奥さんに顔を向けた。
「あの、この味付けってよくあるものだったんですか?」
あの地域の味なのかと思ってそう聞けば、もらい泣きをしたのか涙ぐんでいる奥さんは微笑んで首を横に振った。
「これは魔王様がお持ちになったレシピで作ったんです。郷土の味というよりは、家庭の、お母様の味でしょう」
「ゼファル様が?」
思いもよらない返答で、魔王様を見れば後ろめたそうな顔でスプーンをテーブルに置いた。
「一番このシチューがおいしそうで、作っていた回数も多かったから作り方を覚えたんだ。一緒に食べたくて」
ストーカーで得た情報だから言いにくいのだろう。罪悪感はあっても止めない魔王に、私はふっと笑みを零した。
「はじめてそのことに感謝しましたよ。城でも出してくれます?」
今までのストーカーを全部チャラにするとは言わないけれど、許してもいいと思えるくらいこのシチューは大きい。
「出す! あと、二三レシピが残っているから、また教えるな」
「ありがとうございます。でも、よく覚えていましたね」
本当は私が覚えていないといけないのだけど、料理を手伝ったことはほとんどなかった。幼かったのと、あまり上手ではなかったので荷物運びなど外で仕事をしたほうがよかったこともある。
「あぁ、書き残していたのを思い出してな」
「前言っていた日記ですか? そんなに昔からつけていたんですね」
「あっ、えっと……そう。日記にな」
一瞬挙動不審になったが、すっと真面目な顔になる。怪しいけれど、追及するより前に料理人の旦那さんがデザートを持って上がって来た。ハンカチで涙を拭いている奥さんを見て不思議そうな顔をしていたので、本当は彼女が持ってくることになっていたのかもしれない。
「こちら、季節のムースとアイスです」
美しいお皿に乗せられたデザートはミントとフルーツが添えられていて、見た目も華やかだ。
「わぁ、贅沢」
子供の頃はアイスやムースなんて夢の食べ物だった。伯爵家にいた頃は、夜会で口にすることはできたけど味を楽しむ余裕がなかった。そのため、その二つが一緒に出てくれば気分が上がる。
アイスから一口食べれば、濃厚なミルクとほどよい甘さが溶けていった。ミグルドはアイスよりシャーベットが主流だから、久しぶりだ。次はムースと気ままに口に放り込めば、とろりと舌触りがよく酸味の効いたソースが味を引き締めている。
「どれもおいしいです」
笑みを浮かべながら料理人の旦那さんへと言葉をかけると、嬉しそうに笑顔を見せてくれた。そこに、奥さんが何かを耳打ちをする。
「リリア様、先程のシチューがお口にあったようでよかったです。レシピを書き記してありますので、後ほどお渡ししますね」
「本当ですか! ありがとうございます。母の味を食べられてよかったです」
「それは料理人冥利に尽きます」
その後は、二人を交えて少し話した。魔王がいることもあって緊張していたが、しだいに普通に話してくれるようになった。
二人は四年前にケヴェルンの噂を聞き、国を出てケヴェルンに移住。一か月前にアイラディーテへと来たらしい。最近はこの辺りで人間が店を開きだしていて、移住者も増えているそうだ。すでに小アイラディーテ計画は始まっているのかもしれない。
そしてまた訪れることを約束し、私たちはお店を後にしたのだった。




