96.故郷の味
知っている料理を中心に頼んでメニューを置き、ぐるりと店内を見回す。テーブルや小物、壁にかけられているタペストリーに至るまで全てアイラディーテのものだという。昔憧れを抱いて見た風景で、ぽつりとつぶやいた言葉は憧憬の響きを持つ。
「子供の頃、窓から料理屋を覗いてはいいなぁって思ってたんです。まさかミグルドで入ることになるなんて」
「あぁ、あの看板が古い店だろう。白身魚のパイ包みがおいしそうだった」
魔王も懐かしそうな顔で頷いている。一つ思い出すと、次々と子どもの頃の思い出が蘇ってきた。
「あ~、そうだった気がします。あと、パン屋の裏で焼き立ての匂いをかぐのも好きでした」
「友達とどんな味がするのかって想像していたのが可愛かった。お母さんに買ってあげようとして、高さにびっくりしていたっけ」
「はい……お金がなかったから、固いパンばっかりだったので。たまにいい料理が出たんですが、ほとんど野菜のスープかシチューでした」
「そうだな。申し訳なさそうな母君の顔を見ているのは辛かった」
自然と続いてしまう会話。私は一度話を切って、剣呑な目を魔王に向けた。
「勝手に記憶を共有しないでくださいます? 普通に怖いですわ!」
まるで隣にいたような語り方で、ストーカーの生々しい実態が浮き彫りになる。最近ましになったから薄れていたけれど、犯罪以外の何物でもない。
「そこは昔話ができる貴重な存在だとプラスに考えないか?」
「無理ですけど? ……というか、なんでそんな鮮明に覚えているんですか。私でも店の看板なんて忘れているんですけど」
「あぁそれは、書……かわいいリリアのことを忘れるはずがないからさ」
妙な間があってから、魔王はわざとらしく片目を瞑った。この数か月のつきあいで働くようになった勘が告げる。何かを隠している。無言のまま見つめ、どう切り込もうかと考えているとタイミング悪く料理が来た。
「香りがミグルドのものとはだいぶ違うな」
あからさまに私の興味を料理にそらそうとしてくるが、実際いい匂いがするので視線はそちらを向く。
「あちらはあまりスパイスを使いませんからね」
奥さんが持ってきてくれたのは、前菜の季節の野菜サラダと少量のスープだ。サラダにオレンジが入っていて、さらに柑橘系のドレッシングをかける。スープは透き通っていて、お肉と野菜がゴロゴロと入っていた。
「サラダに果物が入るのは少し慣れないが、意外とおいしいな」
「ここより南なので、果物はよく採れたんですよね。庭がある家は果物の木を植えているところも多かったです」
家ではなかなか食べられないので、私の中では憧れのサラダだ。味はもちろんおいしく、食べなれた味とは言えないけれど懐かしさを感じる。
「スープも、これぐらい具が入ったのをお母さんに食べさせてあげたかったです」
肉や野菜の味がスープに溶け込んでいて、胃にしみわたるおいしさだ。
「母は、いつも肉を私の皿に入れてくれて、自分は野菜の切れ端ばかり食べていたんです。今思えば母の優しさだったんでしょうけど、もっと食べていてくれたら病気にならずにすんだかもしれないなって……」
いつも笑って「お母さんはお腹いっぱいだから」と、少しでも私に食べさせようとしていた姿が強く残っていた。
しんみりとしていると、魔王が静かになったことに気が付いた。どうしたのだろうと思って顔を上げると、視線を落としスプーンを持つ手を止めている魔王がいた。
「あ、すみません。しめっぽくなりましたね」
せっかくの食事なのにと声の調子を上げれば、魔王は静かに首を横に振った。
「いいんだ。自責の念にかられていたというか……」
魔王はスープを口に運び、自嘲気味に笑う。
「俺、二人がご飯を食べているところを見て、いいなって思ってたんだ……。家族での食事って羨ましくて。二人の時間に合わせて、鏡で見ながら一緒に食べていたこともある」
その言葉で、魔王の幼少期のことを思い出す。
そっか、ゼファル様はずっとあの部屋で一人だったんだ。
物心がついたころには部屋に一人だけ。最初のころは側付きがいたらしいけれど、それもいなくなったという。幼い彼が家族と食事をしたことはなかったのだ。
そのことに気付いて、言葉をかけられずにいると魔王は話を続けた。
「けど、リリアにとっては楽しいとは言えないものだったんだな……。今さらながら、身勝手な思い込みを反省しただけだ」
「いえ、そんな……大変なことは多かったですが、それでも母といた時間は大切な思い出です。だから、気にしないでください」
たまに食べた焼いたお肉や、シチュー、卵の料理。自分では作れないけれど、記憶の中にある料理はどれもおいしかった。
「だが……」
「ほら、メイン料理が来たみたいですよ? 楽しみましょ」
階段を上る音が聞こえて、運ばれてきたのは白身魚のパイ包み。昔憧れていた料理だ。切り分けてもらったものを口に運ぶと、サクサクのパイの中の魚はホロリと崩れ、クリームソースが溢れだす。おいしくて顔が綻んだ。
「すごくおいしいです」
「あぁ、優しい味だ。いつか、リリアの故郷に行けたらいいんだが」
「う~ん、私国外追放になっちゃいましたからね。人間に変装するゼファル様を、ちょっと見たい気もしますが」
魔王の瞬間移動で難なく行けるとは思うけど、見つかった時に大変なことになる。それに、あの下町で角を隠すのは大変そうだ。いや、そもそも褐色の肌が珍しいので幻術をかけるぐらいしないと無理かもしれない。
「さすがに目立つものな……。よし、王都に小アイラディーテを作る方向で進めよう」
「え、ちょっと。さらっと私情で政策を決めないでください」
「大丈夫。理由付けはヒュリスがしてくれる」
「もっとやめてください」
そんなことを話しているとメイン料理も食べ終わって、続いての料理がやってくる。奥さんの手には小さめの深い両手鍋があって覚えのない料理に首を傾げた。
「次の料理は、俺が事前に頼んでおいたんだ」




