90.魔王と違和感
「……何でしょうか」
「あ、いや……これが一番大事な話なんだが」
そう前置いた魔王は唇をなめて湿らすと、姿勢を正した。雰囲気が変わって、私も背筋を伸ばす。何を言われるのか、少し心臓がドキドキしてきた。
「その、リリアはロウ・バスティンをどう思っているんだ?」
「……はい?」
「ほら、リリアが男と話すなんて珍しいし、あいつとはちょくちょく会ってるだろ? しかも休みの日に町でたまたま会うなんて運命的というか、いや、俺何を言っている。いや、だから、リリアはああいうのが好みなのかなって」
素で聞き返せば、動揺したのか早口になってますます話がつかめなくなった。私がどう返してほしいのか掴めずにいると、魔王がさらに畳みかける。
「やっぱり騎士というのは憧れるのか? 少し見たリリアは、あいつの前だと下町にいた時みたいに生き生きしていたから、気が合うのだろうか。いや、リリアは俺にも辛辣な言葉を吐くことがあるからそこは同程度だよな? それとも顔か。シェラからそういう可能性はないと聞いたが、もしリリアがロウを選ぶなら、俺は……」
もう何が私への言葉で、何が心の声なのかが分からない。このままでは坂道を転がり落ちるように、悪い方向へ思考が進みそうだったので話を遮った。
「ゼファル様。ご心配されなくても、ロウと私はそういう関係ではありませんわ」
さすがにここまでくれば、魔王が私とロウが恋仲になるのを心配していることぐらい分かる。
「でも、名前で呼び合う仲なのか」
「あっ」
気を付けていたのにうっかりいつものように呼んでしまった。魔王は半信半疑のようで、その疑いを晴らそうと力説する。
「そもそも私たちはお互いを嫌っていますし、今回は不可抗力だっただけです。顔も合わせたくありませんわ」
「本当か?」
「本当です」
全力で言い切った。
「そうか……そうか、それならいいんだ」
そこでやっと魔王は信じたのか、ほっとした顔を見せた。魔王という強者の立場なのに、変なところで気弱になるというか自信がないというか、ロウとは反対だ。
そんなことを思っていたら、ふと彼の言葉を思い出した。流されやすいのに、なぜ魔王と恋仲になっていないのかと。
穏やかな表情の魔王を眺めながら、お茶を一口。
そう言われてみれば、そうなのよね……。
自分の流されやすさは理解している。攫われた時に保護の対価に婚姻を要求されていたら、おそらく頷いていただろう。だが今に至るまで、恋愛云々の話にならなかったのだ。魔王との仲は最初に比べれば近くなったとは思う。だけど、恋愛的なものとは違う気もする。
私、まともに恋愛したことないけど……。
比較ができないから確かめようもない。そんなことをつらつら考えていたらお茶がなくなり、すかさず魔王が淹れてくれる。本当によく気が付くし、よく見てる。
大切にされてるってことは、分かってるんだけどね。
何度も助けてもらったし、事あるごとに心配されている。幼い頃からずっと見えないところから気にかけてくれていた人だ。
魔王は心配事が解決して気が緩んだのか、小腹が空いたと焼き菓子やナッツ、ドライフルーツが並べられた皿を空間から取り出した。勧められ、つい手を伸ばす。
「リリアは最近どうだ? スーがいなくて大変か?」
話題が変わり、「そうですね」と答えようとした瞬間、ふとひっかかりを覚えた。だが、立ち止まらずにひとまず言葉を返す、
「仕事量は増えましたが、十分こなせています。休みの日は退屈ですが、たまには一人で何かをするのも悪くないです」
そう答えれば、雑談が続いていく。魔王も仕事が忙しくなっていて、なかなか私を見ることができないとぼやいていた。私は相づちを打って半分聞き流しながら、先程の違和感を考える。
何かしら……。
考えている間にも話は進み、ヴァネッサ様が頻繁に城に来て迷惑しているだの、昨日飲んだワインがおいしかっただの、いつも通り気さくな会話だ。
あっ……。
ハッと稲妻が走るように気が付いた。同時にひどく納得する。
そっか、ゼファル様が話題にしないんだ。
さっきみたいに、私が男の人と仲良さげにしていると不安になって色々聞いてくるのに、それ以上踏み込んでこない。ロウが口にしていた、“押しが弱いのか”という疑問は的を射ていたことになる。
大切にしていることを伝えてはくれるが、その先、恋人や婚約者といった具体的な要望を魔王の口から聞いた記憶がない。それこそ会った頃に尋ねて顔を真っ赤にしていた時ぐらいだ。
純情って言われてたものね……。
謎が解けてすっきりした。魔王は心地よい距離感で話をしてくれる。私もこの関係性を変えるつもりはない。ヴァネッサ様に聞かれたら、まどろっこしいって怒られそうだけど今の状態が気に入っている。
だけど、ふと疑問が浮かんだ。
本気で口説かれたら、私、どうするのかしら……。
魔王からの気もちは常に飛んできている。それを言葉に、形にされて選択を迫れた時、私の気持ちはどうなっているのか。今まで考えようとしなかった部分で、まだ答えはない。ただ、心がざわざわしていた。
「リリア? どうかしたか?」
考えごとに没頭して返事がおろそかになった私を、魔王は不思議そうな顔で見ていた。
「あ、いえ。大丈夫です」
おしゃべりをしても、笑っても、そのざわめきは消えなくて。
魔王の部屋を後にしてから胸に手を当てた私は、小首を傾げるのだった。




