85.二つ目の指輪
幻術を無効化する指輪と先祖の話と引き換えに、私は魔王と出会うことになったその日のことを話した。当然のことながら元婚約者が第二王子であることに食いつき、容姿の情報を求められたので素直に伝える。ついでに現王族についても問われたので教えた。あの馬鹿が戦争になった時に前線に出てくるとは思えないが、ロウには大きな収穫だったようだ。
「……第二王子と婚約、浮気され、冤罪をかけられ国外追放。そこを魔王様に助けられたと。お前、散々な目にあってるじゃないか。こんなとこで馴染んでないで、魔王様にかけあって宣戦布告すべきではないのか?」
いたって真面目な顔でそう諭され、一瞬真剣に考えそうになった。ヴァネッサ様のような苛烈さはないが、彼もまた武人なのだ。こちらに来た経緯に関しては、それまでずっと見られていて、王城まで乗り込んできたところは伏せた。一部省略したが、嘘ではない。
「いえ……そんな個人的な理由で戦争なんて、たまったものではありませんわ」
「しかし、国外追放になったところをたまたま魔王様に見つけてもらった、か。ひっかかるが、そこの追及は次にしよう。今の王族の話は有用な情報だった」
褒めて遣わすとでも言いそうな態度だ。彼はこの情報の駆け引きを楽しんでいるのか、上機嫌で「次は」と自分の手札である二つ目の指輪に視線を落とした。
「これがお前の術を破った指輪だ。とはいっても、先程のように完全に無効化するわけではない」
深緑色の宝石が嵌った指輪はさっきのものと比べると金属の部分が新しく見えた。
「一日に一度という制限つきで、空間魔術を相殺か同調できる」
「……相殺と同調?」
不思議な効果でよく分からない。軽く首を傾げると、指輪が嵌った右手を差し出された。
「試しに私の手を取って、あの術を使ってほしい」
何をする気かと警戒心が首をもたげるが、指輪の効果を知ることも大切だと手を重ねる。手袋のない手のひらは固く、剣士の手をしていた。その状態で術を発動させる。
「守りの小部屋」
体を魔力が通り抜けるいつもの感覚が、今日は少し増幅した気がする。添えている右手から流れ出たような感じで、遅れて空間の狭間にいるのにロウに触れられていることに気付く。
「……え? なんで?」
「ほぉ。これで周りからは消えて見えているのか……。おもしろいな」
戸惑う私をよそに、ロウは立ち上がると部屋を歩き出した。興味深そうに視線を巡らせている。
「あの、だから、なんで入って来てるんですか。私の楽園に無断進入されたみたいで、すっごく嫌なんですけど」
ここは私にとって心地よい隠れ家だったのに、踏み荒らされた気分だ。耐えられず抗議する。ロウはドアのところまで歩いて振り返ると、右の親指の腹で人差し指に嵌る指輪を撫でた。
「相殺というのは文字通り、その効果を無効にすることだ。術が発動する時に術者に触れるか、魔力を流さないと使えないがな。そして今私がここにいるのは、もう一つ同調の効果で、簡単に言えば術の効果範囲に自分を入れられるのだ」
「つまり……触れた状態で術を使ったから、一緒に入って来たということですか」
「その通りだ」
ロウは床の感触を確かめるように部屋を歩くと、テーブルの上に乗っているベルを手に取った。だが、ベルはまだテーブルに残っている。ロウもこれには驚いたようで、目を丸くして手に持ったベルと残ったベルを見比べていた。一度ベルを戻し、また取って二つあるのを確認している。
あれ、私もやったわ……。不思議よね。そういえば、このこと結局ゼファル様に言えてないのよね。
言ったところでどうだという問題なのと、自分でも理解できなかったという理由もあるが、普通に忘れていた。
「なるほどな。てっきり空間の狭間にいるのかと思っていたが、空間の内側に膜を張っているような状態なのか。器用だな」
一人で納得し始めたロウに、置いてけぼりをくらった気分になって声を尖らせる。
「ちょっと、何が分かったんですか」
「まさかお前、自分の術を理解していないのか?」
痛いところを突かれて、言葉を返せなかった。沈黙は肯定だ。ロウの視線に呆れが混じり、可哀そうなものを見るような目になっていた。絶対馬鹿だと思われている。
「お前はこの術を守りの小部屋と呼んでいたが、正確には守りの繭といったほうが近いのだろう。空間の狭間というのは、文字通り空間と空間の間になる。そこには何もなく、無が続いているらしい」
身に覚えがある。第二王子から逃れたくて発動した時に閉じ込められた暗闇がきっと狭間というものなのだろう。
「だが、お前のこの術は外からは見えないが、内からは見えている。元の空間からは切り離されず、透明な膜をはわせてその上に現実のものを投影しているのだろう。無意識なのが恐ろしいな」
「そうなんですね……」
自分の術なのに他人に解説されては不甲斐なさしかない。正直説明されても理解しきれていないが、使えるならいいと開き直る。
「この指輪の大きな効果はその二つだが、多少術の効果を和らげるためお前の姿が見えたのだろう」
「なんとも厄介な指輪ですね」
その効果を聞いてふと思う。
これって、ゼファル様が瞬間移動をする時に使えば、逃げるのを妨害したり一緒について行ったりできるってことよね。……あれ?
空間魔術から自然と魔王を思い出し、ある可能性に気付いた。
「まさかこれ、対魔王様用の指輪ですか? もしや、反旗を翻そうとしているのではないですよね」
バスティン家は開戦派だ。人間と友和政策をとる魔王とは反対の立場にいる。その危険人物は愉快そうに「さて、どうだろうな」と笑みを濃くした。
「魔王様に言いつけますよ」
「証拠もないのに? いくらお前が魔王様に大事にされていたって、王は憶測だけでは動かない方だ。政治理念には賛同しかねるが、その手腕は買っている」
「ほんと、何様ですか」
「ロウ・バスティン様だが?」
切れ目なく返され、きぃっと悔しさがこみ上げる。いつかこいつに煮え湯を飲ませてやると心に決めた。ロウは満足したのか席に戻ると、カップに残っていたお茶を飲み干す。守りの空間にあるものなのに、躊躇がいっさいない。
どうやら大丈夫そうなので、私も喉の渇きを潤した。
「さて、次だ。魔王様がケヴェルンに視察に行かれた時、上が随分慌ただしくなったが何があった? お前が関係しているのだろう?」
「もう少し鈍いほうが、可愛げがありますよ」
ロウの次の要求は、ケヴェルンでの一件のようだ。しっかりアイラディーテの王族が絡む情報を引き当てるロウの勘の強さに辟易としつつ、仕方がないとカップをテーブルに置くのだった。




