80.天敵と対峙する
城の外で見るロウ・バスティンは上質な淡い水色のシャツと、落ち着いた灰色のズボンというラフな格好だった。黒の皮手袋は外せないようで、昨日見せられた二つの指輪のふくらみに目がいく。いつも撫でつけていた髪は自然のままで、かっちりとした騎士姿しか知らないから、すぐには気づけなかったし違和感がある。
お互い視線をそらさず動かないでいると、店員がおずおず声をかけてきた。
「あの……気づけず申し訳ありませんでした。ロウ・バスティン様、いつもの部屋にご案内します」
馴染みの客だったからか、地位があるからか、店員の腰がさらに低くなっている。ロウは面倒くさそうな顔になって、静かに首を横に振った。
「気遣わなくていい。今日はただ食べに来ただけですぐに帰る」
私はできれば席を変えてほしくて、周りを見渡すが空席はなく入口では客が並び始めていた。非常にまずい。
「その、ロウ様、わたくしどもとしては、そろそろお客様が多くなってきましたので、お知り合いなのでしたらお二方で席を移ってくださったほうがありがたく……」
案の定店員はそう話を持っていき、ロウも客がたまりだした戸口へと視線を向けた。眉間に皺が寄る。きっと同じ思いだろう。私に顔を向けると嫌そうに唇を歪めてから、観念してメニューを閉じテーブルに置いた。
「……わかった。だが、余計なサービスは不要だ。部屋だけでいい」
「かしこまりました。では、お二人を上のお部屋にご案内します」
いやあぁぁぁ! と、声に出して叫べたらどれだけよかっただろう。あまりの展開に心を守るため黄色い百合令嬢の微笑み仮面をつけてしまった。薄い微笑を称えて店員の後をついていく。
私の後ろでロウの鋭い舌打ちが聞こえた。背中に痛いぐらい視線を感じる。絶対人を殺しそうな目で睨んでいる。そして2階に上がり、高級感漂う部屋に通された私たちは険悪な雰囲気で席に着く。
一触即発。
細かいレリーフが彫られた丸テーブルが大きいのがせめてもの救いだ。
品の良いお仕着せを着た給仕係の人は水を入れると、一礼して出て行った。その途端に矢のような声が飛んでくる。
「何ノコノコついてきてるんだ。お前と食事などまずくなる」
カチンととくる言い方で、昨日のこともあり私も噛みつく。
「私だって嫌よ、でもこの状況で断れないでしょう!?」
「そこはうまく立ち回れよ」
そう吐き捨てたロウはメニューを手に取って目を落とす。いちいち腹が立って、視界に入るのも嫌なので私もメニューを見るが、何が何かわからない。
え、何このメニュー。全く想像できない。
辛うじて分かるのはスープか、そうじゃないかで、1番知りたい辛いかどうかが分からなかった。
メニューを見て固まっていると、また舌打ちが聞こえた。
「これらの料理は我がバスティン家の領地伝統のもので、辛さはミグルド随一だ。人間がおいそれと口にできるものではない」
完全に初心者なのを見破られていて、負けるもんかと目を皿のようにして1番優しい料理を探す。
「お黙りくださる? 匂いが美味しそうだったんです。知っていたら、まして貴方が贔屓にしていると分かっていたら入りませんでしたわ」
売り言葉に買い言葉。下町で使っていた言葉は流石に品がないと眉を顰められそうなので、淑女の語彙を駆使して嫌味ったらしく返す。
「その威勢がいつまで続くか見ものだな」
ロウに鼻で笑われ、見返してやりたくて1番上にあった料理に目を留めた。こういうのは1番上に店の看板メニューがあることが多い。
「では、この地獄火炎スープにしますわ!」
小説の主人公が術の名を叫ぶように、気合を入れて選んだのにすぐに反応が返ってこなかった。呆れたような、哀れまれているような顔で、間があって一言。
「お前馬鹿だな」
「はい?」
これ見よがしにため息をついたロウは、テーブルにあったベルを鳴らした。すぐに人が入ってきて、注文を伝える。
「地獄火炎と浮雲。他は適当に頼む」
「かしこまりました」
ドアが閉められれば無言。手持ち無沙汰だからメニューを眺めてどんな料理かを想像する。お腹は空いているので、何がきても美味しく食べられると信じたい。が、徐々に後悔が湧き上がってきた。




