8.侍女がつきました
うつらうつらとしかけた頃、ふいにしたノックの音で心臓が跳ねた。
「ふぇっ。ど、どうぞ!」
さっき話していた侍女かしら。
私は髪を整えると椅子から立ち上がって、ドアが開くのを待つ。そして入ってきたのは上質なお仕着せを着た女性だった。私を見ても顔色を変えず、恭しく頭を下げる。洗練された所作で、格の高さに圧倒されてしまった。
「初めまして、リリア様。シェラと申します。本日から、私がリリア様の護衛と身の回りのお世話をいたしますので、よろしくお願いします」
黒髪を頭の上で一つに結い上げていて、短い一本の角が額の上にあった。凛とした雰囲気で歳は三十台後半、侍女としての経験も長そうな風格がある。
「よ、よろしくお願いします」
思わず軽く頭を下げると、「楽になさってください」とほほ笑みを返された。落ち着いた女性という感じ。
「それにリリア様は主人なのですから、敬称と敬語は不要ですよ」
「は、わ、わかったわ。シェラ」
やんわりとそう指摘されて、私はさらに背筋を伸ばした。
そうよね。主人として舐められたら終わりだもの。びしっと、威厳のあるように見せないと!
第二王子と婚約していたから、将来王族としてのふるまいも身につけさせられていた。それを思い出して、お腹に力が入る。
「他にも補佐として数人おりますが、人が多いのも落ち着かないでしょうから主に私が担当いたします」
「そうなのね。分かったわ」
客賓に対する侍女の適切な人数は分からないし、私も大勢に囲まれるのは好きではないからありがたい。そんなことを思っていると、私を見つめていて動かないシェラに気付いた。
えっと、何か命じないといけないわよね。あ~、いつも一人でやっていたから、普通の令嬢が何を侍女にさせるのか分からないわ。そうだ! こういう時に便利な言葉!
いい解決策を思い付き、顔に自信をみなぎらせる。いつだって自信満々で胸をそらせなさいと、厳しい先生に教えられた。
「後は任せるわ」
こう言っておけば、あとは自由に解釈して進めてもらえるはず。
すると、シェラは笑顔になって頭を下げた。
「お任せください」
これで後は言われたことに従っていればいいわね。
一安心と肩の力を抜けば、シェラは「失礼します」と軽く頭を下げてから右の手のひらを下に向け、胸の前で浮かせた。何をするのかと不思議に思って見ていると、次の瞬間に足元の影が動き出した。
「え?」
驚きのあまり声が出た次の瞬間には、水面から人が顔を出したように、影の中から黒い人型が出てくる。シェラが引き上げるように手を動かせば、するりと人型が抜け出し床に足をつけた。
「これ……何の魔術?」
現れた人型は私の胸ぐらいの身長をしていて、子どものようだった。顔や体の凹凸はほとんどなく、落書きで書いたような形をしていた。
「影人形でございます。私は闇魔術の適性がありまして、こうやって分身を作れるのです。あまり高度なことはできませんが、衣裳部屋からナイトドレスを持ってこさせるぐらいはできるのですよ」
「それは、すごいですね」
私は魔術の適性がほとんどなく、まともに使える術は少ない。心の底からの賞賛だった。
影人形は一礼すると、ドアを開けて出て行った。
「では、リリア様はその間に湯あみを。僭越ながら、肌と髪のケアには自信があるんです。美しく磨き上げますね」
え……磨き上げるって、私を? 待って、恥ずかしい。恥ずかしいわ!
今日一番の笑顔を浮かべたシェラに促され、部屋に備え付けられた浴室へと向かう間に羞恥心がこみ上げてくる。ご令嬢が侍女の手で湯あみをしていることは知っていたし、継母もそうだった。でも、私はされたことがないし、考えただけで顔が真っ赤になる。
「あ、あの。私、湯あみは一人でできるから、大丈夫よ」
石畳の床に、足を延ばせる大きさの陶器の浴槽。すでにお湯は張られていて、湯気が広がっている浴室で、私は声を振り絞った。
すごく気持ちよさそうで入りたいけど、人がいると落ち着かない!
「ご遠慮なさらずにお任せください」
シェラが引き下がるわけもなく、瞬く間にドレスが脱がされた。一人で脱ぐとまあまあ時間がかかるのに、一瞬だ。
そして、お手製のオイルやクリームに、自慢のテクニックが披露され、私は羞恥心と引き換えに艶々の髪と肌を手に入れた。終わる頃には影人形が着替えを持ってきてくれていて、シェラに甲斐甲斐しく着せられる。
この絹のナイトドレスがぴったりなことは深く考えないことにした。そして、荒れた手にはさらにクリームが塗られ、指の一本一本、爪の先まで丁寧に保湿をされたのだった。