79.未知は暇つぶしのスパイス
忙しい日々を駆け抜けたら休日だけど、これといってすることがない私は暇を持て余していた。今はスーがいないから、一緒に遊ぶこともできない。シェラが気を効かせて、最新の本から編み物、刺繍まで時間が潰せるものを持ってきてくれたけど、今一つ惹かれなかった。
……何しよ。
昔は暇だなんて思う間もなかったのに、贅沢な悩みだ。窓辺に置かれた椅子に座ってテーブルに並べられた暇つぶしたちを眺めていた私は、ついと窓の外に視線を飛ばす。今日はいい天気で、気温もちょうどいい。
町をぶらぶらしようかしら。
いつも付き合ってくれるスーはいないけれど、一人だからできることもある。シェラにお願いしようかなと部屋で待機している彼女に視線を向けた。
「シェラ、町に行きたいわ」
「いい天気ですものね。何か欲しい物がございますか?」
これまでもシェラと何度か町を散策したことがある。たいていは小物が見たかったり、庶民的な服が欲しかったりと目的があった。
「ううん。ただぶらぶらしたいだけよ」
「かしこまりました。そうであれば、身を守る術もあることですし、私は離れたところから護衛いたしますので自由に見てまわられてはどうですか?」
「え、いいの!?」
思ってもみない申し出に目を輝かせて、声を弾ませた。
シェラといるとどうしても主人として振舞わなくてはいけないから、周りからも地位のある者として扱われてしまう。だから、たまには庶民と同じように、気楽に町を歩きたかったのだ。
「えぇ、そちらのほうがリリア様の性にあっていると思いますし」
「あ~……、シェラと行くのが嫌なわけじゃないのよ?」
「わかっておりますよ」
口元に手を当てて笑うシェラは、準備を致しますと一礼して出て行った。そして、戻って来たシェラに目立たない服に着替えさせてもらい、町へと繰り出すのである。
いつものように大通りの外れで馬車を下り、そこからは一人で散策をする。少し歩いてから周りを見回してみたけれど、私の観察眼ではシェラを見つけることはできない。
ほんと、シェラって何者なんだろう……。
改めて考えると、シェラは侍女として優秀なだけでなく、教育も護衛もこなせるすごい人だ。一度シェラにどういう出自なのかを聞いたことがあったけど、うまくごまかされてしまった。
雑踏の賑わいに心を浮き立たせ、道行く人々に視線を滑らす。ケヴェルンに比べれば人間は少ないけれど、ちらほらと姿が見える。以前と比べると、身なりが整っているというか、層が変わった気がする。魔王と夕食を一緒にした時に、王都もケヴェルンに倣って人間の戸籍管理や違法行為の罰則を厳重にしたと聞いたから、その効果が出ているのだろう。
その流れで私も王都に住民登録をしておいた。
すごいわね……。町って、国って変わるものなんだ。
ケヴェルンで話してくれた魔王の理想に近づいている気がして、私まで嬉しくなってくる。
「いらっしゃ~い。アイラディーテ料理が食べられるよ!」
「アイラディーテの技術が使われている文房具や調理器具を販売しております!」
人間が開いている店もできていて、覗いて話を聞いてみるとケヴェルンである程度手ごたえを感じたから王都へと進出してきたらしい。今後もこの流れが増えてくるのかもしれない。
応援の気持ちを込めて、お菓子や小物を買った。
ゼファル様と報告がてら、一緒に食べてもいいわね
魔王はその気になればいつでも城下町の様子ぐらい見られるのだろうけど、なんだか直接伝えたかった。ケヴェルンの塔の上で国の未来を語っていた彼の横顔を思い出す。
私も何かしたいな……。
ケヴェルンで抱いた想いはまだ胸の内にある。その何かは具体的にならないけど、そこに自分なりの答えがある気がしていた。
そんなことを考え、香ばしい匂いにつられて買ったナッツが乗ったクッキーを齧りながら大通りを進んでいく。十字路に出て、右、左と方向を確認してから行ったことのない方へと足を向けた。迷ってもシェラがいると思うと安心感がある。
たしかこっちは、ミグルドの各地から集められた商品が並んでいるんだっけ。
スーとシェラに何度か案内してもらっているので、区画ごとのおおまかな特色は把握している。地方から出てきた魔族向けの店が多いので行ったことがなかったけど、今日は新しいところへ行ってみたかった。
きょろきょろと店を物色していく。ケヴェルンへ行くまでに立ち寄った町々も少しずつ特色があって、そこで見たような色合いの服も売られていた。さらに興味がひかれて進んでいくと、香辛料の香りが押し寄せてくる。
何? いつものと違うわ……。
城で魔族の料理を食べるうちに香辛料にも慣れて、いくつか種類が分かるようになってきたけれど嗅ぎなれない香りに好奇心がくすぐられる。スパイスやハーブは知れば知るほど奥が深くて、出所を探して視線を巡らせれば店先に大鍋が置かれている料理屋を見つけた。看板も立派で格式高そうな店構えなので、味も期待できそうだ。
食欲をそそる匂いで、胃が動き出す。そろそろお昼時で、店は賑わい始めていた。
う~ん。お腹が空いてきたけれど、初めての料理に一人で挑戦……。
見た目で味が分からないので、好みじゃなかった時に助けてもらえない危険性がある。
でも、今日は未知に挑戦する日よ!
究極の暇つぶしは、未知への挑戦だ。新しいことを知って、世界が広がるというのはやみつきになる楽しさがある。
私はその場の勢いで店に入り、独特な匂いを発している大鍋に目を落として即、後悔した。
待って、これ辛いやつじゃないの!?
真っ赤だった。目を疑うぐらいスープが赤くて、近づくと目に染みて涙が出てきた。遠くからはあんなにいい匂いだったのに、なぜか命の危機を感じる。
「いらっしゃ~い。込んでるから相席でもいいかい?」
「え、あ……はい」
入っちゃったから引き返せない!
店員に案内され、戦々恐々としながら奥へと進む。魔族の料理には辛いものもあるけど、ここまで刺激的なのは見たことがない。敵情視察と客が食べているものを盗み見れば、どれも赤かった。それを、ヒーヒーと顔を赤くして汗を流しながら食べている。
引き戻せないことが絶望でしかない。
これ、もう食べ物じゃないわ。いや、諦めちゃだめよ。辛くない料理ぐらいあるはず!
「こちらでございます。お客様、申し訳ありませんが相席をお願いしてもよろしいでしょうか」
「かまわない」
店員が先に座っていた男の客に声をかければ、その人は快諾しメニューから顔を上げた。その声に引っ掛かりを覚え、赤くない料理探しをやめて視線を向けた私と目が合う。
「うわっ」
思わず声を上げた私に返って来たのは舌打ちと、苦々しい低い声。
「リリア……」
私も口を曲げて嫌悪感を露わにする。
「ロウ・バスティン……」
そして、私たちの声が意図せず揃う。
「最悪」
一番出会いたくなかった相手である。




