72.宝物をめぐる政治
ゼファルは瞬間移動で連れてきたリリアたちと別れた後、自室へと戻るとだるさを感じる体をソファーに沈めた。まだ陽が高くなる前で公務を始める前に、少し自室で休むことにしたのだ。馬車で帰るのに比べて圧倒的に時間は早いのだが、魔力を消費したことによる疲れは避けられない。そのため、リリアとシェラの二人だけ連れて帰り、護衛や侍女には馬車でゆっくり帰って来てもらうことになっている。
長い息を吐いて目を閉じると、眠気に襲われる。しばらく寝て魔力の回復に専念しようと横になりかけた時、ノックの音がした。ハッと目を開けて体を起こす。
「誰だ」
眠たさもあって少し不機嫌な声になったが、ノックの主は間を置かずに入って来た。
「魔王様、帰って早々申し訳ありませんが少しお話があります」
「ヒュリスか……」
ゼファルはちょくちょく城に戻っていたので、全く久しぶりの感じはしない。ヒュリスは珍しく小瓶を持っており、一礼してゼファルの向かいにあるソファーに座るとその目の前に置いた。
「回復薬です。それで少しはだるさがましになるでしょう」
「気が利くな」
本人が頼みにくいのを見越して持参するあたりが、ヒュリスの有能さを表しており、ゼファルが信を置く理由でもある。
ゼファルはありがたく受け取ると一気に飲む。体内に沁み込んでいくような感覚が広がり、わずかに魔力が回復した。だるさも少しましになるが完全回復には程遠い。この回復薬は並みの術者なら余るほどの回復量なのだが、魔力量の桁が違うゼファルでは100本は必要だろう。
「まだアイラディーテからリリアさんを連れてきた時の消耗が回復していないのに、頻繁に瞬間移動をされるから……」
もう一か月半は前になるが、ゼファルはあの時自身の魔力と非常用として溜めておいた魔力、全てを使い切っていた。元の魔力保有量が莫大なため、自然回復に任せても数か月かかるのだが、日々王都の障壁に魔力を供給し、近中距離の瞬間移動を繰り返しているため回復が消費で相殺されている。
「わかっている。しばらくは大人しくしているさ。それで、話は今回の第二王子の件だろう? 前に戻った時は」
と、ゼファルが話し始めたところで、ドアから鈍い音がした。ノックではなく、蹴ったような音だ。反射的に身構えた二人は、開かれるドアへと顔を向ける。
「ゼファル、帰ったなら知らせなさいよ。話があるんだけど」
自分の部屋のような顔で入ってきたのはヴァネッサで、ゼファルはげんなりとしてソファーに深く座り直した。顔を見るだけで疲労感が増す。
「帰ってくれ」
「あら、ヒュリスもいたの。ちょうどいいわ」
部屋の主に歓迎されていないことなど意に介さず、ヴァネッサはヒュリスに手で端に寄るよう指示すると、その隣に腰を下ろした。
「最悪……」
知のヒュリスと武のヴァネッサに向かい合うという、ある意味ゼファルにとって絶望的な状況だ。双方向から攻められると逃げ場がない。
「で、向こうの第二王子がリリアちゃんを拉致しようとした件、どう落とし前をつけさせるの?」
回りくどいことを嫌うヴァネッサはすぐに本題へと入る。足を組んで鋭い視線を向ける彼女は狩りの準備は万全とでも言いたそうだ。姉の性格を熟知しているゼファルは、渋い顔ですでに決定したことを伝える。
「外交問題として抗議はしない。……というか、なぜお前が知っている。緘口令を敷いたのだが?」
「甘いわね。ケヴェルンは戦いが起こる可能性が高い要所だもの、機会を逃さないように手の者を忍ばせているわ」
「目的が不謹慎だぞ……」
「非戦闘員は逃がすわよ?」
会話が噛み合うようで噛み合わない。これがヴァネッサと話していて疲れる原因の一つでもあり、それが嫌で無視をした少年時代は守護障壁をサンドバッグ代わりにされていた。
「で、外交問題にしないってことは、宣戦布告? やっと潰す気になったの?」
「違う。これはあくまでリリアと馬鹿の個人的なトラブルとして処理する」
「はぁ? 日和ったの? うちに入り込んで事を起こしたのに、始末をつけさせないんじゃ舐められるわよ?」
ヴァネッサの言うことにも一理ある。被害を受けたのが魔族であれば、しかるべき手段に出たのだが、リリアであることが事態を複雑にしていた。ゼファルが眉間に皺を寄せたまま説明を面倒くさがっているので、ヒュリスが言葉を引き継ぐ。
「下手に外交ルートに乗せられないんです。今のところ、アイラディーテから抗議文も特使も来ていません。つまり、今回のことは国としてではなく王子の独断という体を取りたいのでしょう。それなのにこちらが外交問題にすれば、向こうも対応せざるを得ず、リリアさんの帰国を求めてくると思われます。なので、静観が一番なのですよ」
「すっきりしないわねぇ」
ヴァネッサの性には合わないが、政治が分からないわけではない。
「それに、リリアさんは“まだ”うちの国民ではないので、強くも出られないんです」
「だから“さっさと”婚姻を結べばよかったのに」
それぞれ強調した二人に視線を向けられたゼファルは耳が痛い。
「リリアの意思を聞いて、住民登録だけでもさせるつもりだ」
現状リリアはアイラディーテを国外追放されているため、アイラディーテの国民ではないが、ミグルド王国に籍があるわけでもない。魔王の庇護下というだけだ。そのため、今後アイラディーテが正式に国外追放処分を取り消した場合、リリアをアイラディーテ国民だと主張されるのは都合が悪い。
「婚姻すれば早いんですけどねぇ」
「私もかわいい妹がほしいわ~」
圧力が強まり、ゼファルの表情が苦渋に満ちたものになる。
「くそっ……最高の未来と最悪の事実が同時に起こるとは。お前が姉になったらどんな悪影響を及ぼすか」
「うるさいわねっ……それで第二王子はすんなり引くの? 人間は諦めが悪いでしょ?」
話がだいぶそれたので、ヴァネッサは元に戻す。過激さの中で冷静さを保つからこそ、将軍として名高いのだ。ゼファルも一瞬で魔王としての真面目な表情に戻っていた。
「一応王都に帰ったのは見届けた。だが、城は障壁が強固になっていて中を視ることができなかったから、王子がその後どうなったかは分からん」
「念のため各町に王子の人相を通達し、警戒レベルを引き上げています。次国内に入り込んだ時には、しかるべき処置を取ろうとおもっております」
ゼファルとヒュリスは事件が起きた翌日には緊急の手立てを講じており、ヴァネッサは「ふ~ん」と感心したように頷いた。そして楽しそうに口角を上げる。
「じゃあ、国内で見つけたら好きにできるってことね。各地の協力者に話をつけておくわ。かわいい未来の妹を苦しめた罪、死よりも辛い罰を与えてやる」
「……くれぐれも殺すなよ。むざむざ開戦の口実を与えてやる必要はない」
これで外への対応と対策はおおむね決まった。だが、内の問題が片付いておらず、姉が突っ走る前にリリアとの関係を何とかしなければと頭が痛くなるゼファルであった。




