71.魔王とご褒美
お返しがほしいと口にした魔王は、取り繕うようにすぐに言葉を続けた。
「言っておくが、俺は恩返しをしてほしくてしているわけじゃない。しているわけじゃないんだが……ちょっとは頑張ったから、お礼というか、ご褒美をもらえたら、それはそれで嬉しいというか」
「え……っと?」
回りくどい言い方に、何を要求されるのか不安になってきた。軽はずみな言動をしたことを後悔する。魔王の上半身は少し揺れていて、完全にお酒が回っているのだろう。シェラに目で魔王の酔い具合を確認すると、まだ大丈夫ですと指で作った丸が返って来た。これがバツになれば、強制終了だ。
魔王は私の表情を気に掛ける注意力がないようで、じぃっと甘い視線を向けたままお願いを口にした。
「だから、もしお礼をしてくれるなら……名前で呼んでほしい」
「へ?」
名前?
てっきりプレゼントとかデートをねだられるかと思った自分が、自意識過剰に思えてきて羞恥心に煽られる。第二王子に毒され過ぎて、魔王が純情だったことを忘れていた。
魔王は唇を尖らせて、拗ねた表情をしている。
「だって、あの馬鹿王子の名前は呼んでいたじゃないか。ずるい。それと、正直名前を呼ばれてお願いされた時のことが忘れられない。いつも呼んでほしい」
すぐ言葉が返せなかった。言っていることが可愛すぎる。
魔王もまたお酒の力で感情が表に出やすくなっているのだろうけど、いつも以上に羨んだり調子に乗ったりとコロコロと表情が変わった。今は期待する目で私を見ている。
まぁ……減るものでもないし、喜ぶならそれで
いいかなと名前を口にしようとした直前で、ある事実に気付く。
「……その要求を呑んだら、今後お願いする時の切り札がなくなるじゃないですか」
舌打ちが返ってきたので、その魂胆があったと見える。
「気づいたか。そんな計算高いリリアも嫌いじゃないんだが、ここは頼む!」
それでも引く気はないようで、こちらが折れるしかなさそうだ。私は静かに深呼吸をして覚悟を決める。
「……ゼファル様。これでよろしいですか?」
「よっしゃ!」
喜びを爆発させてガッツポーズをする魔王を見れば、しかたないなあと呆れが混ざる笑みがこぼれる。
こんなに喜んでくれるなら、うれし……くなっちゃだめだわ。
酔いが回って鈍くなっている頭だが、辛うじて正気が残っていた。最近どんどん感覚がマヒしているというか、魔王の術中にはまっているというか。
気を引き締めないとだめよ。流されるな私!
シェラに渡されたグラスの水を飲んで頭をすっきりさせ、自戒の念を新たにしていると、同じく水を飲んでいた魔王がほくほく顔で呟いた。
「今日は書くことがたくさんあるなぁ」
「何にですか?」
「えっ」
独り言だったようで、問いかけるとびっくりされた。動揺も見えて、何か知られるとまずいことがあるのかと疑わしい目を向ければ、ますます顔色が悪くなった。
「いや、その、日記をだな、つけていて。その日あったことを書いているだけなんだ。本当に!」
「日記ですか」
「そう! 日々の記録を残すことも魔王の務めだからな!」
早口で声が大きくなっているところが怪しいけれど、日々の記録を付けることは理に適っているので納得はする。だが、そこに自分が書かれているとなるとやや複雑である。
「あまり、私のことは書かないでくださいね。王の手記は後世まで残る可能性が高いので」
「安心しろ! 日記は俺の死後すみやかに焼却するよう遺言に残す!」
「いや、別にそこまで重くしていただかなくても……」
食い気味に答えた魔王は水を一気に煽り、ふぅと息を吐いた。おおげさな反応に釈然としないものを感じるが、追及すると面倒なことになりそうな予感もするので気にしないことにする。
「今日はリリアが俺を名前で呼び始めた記念日だからな。しっかり書いておくさ。休日にしてもいいくらいだ」
「やめてください」
前もお礼を言ったら休日にしようとしたので、この調子でいくと休みの日ばかりになってしまう。国民的には嬉しいかもしれないけど、私が嫌だ。
気持ちよく酔っている魔王を見ながら、明日の朝忘れてくれていないかなぁと淡い期待を抱く。徐々にお互い眠気を感じ始め、この日は解散となった。
翌日、普通に「魔王様」と呼んだら「名前」と言い直させられたので、しっかりと覚えていたことに行儀悪く舌打ちをしたくなった。その後、私たちは瞬間移動で城へ戻り、怒涛のケヴェルン視察は幕を閉じたのである。




