70.お酒と魔王
ケヴェルン最終日。朝に魔王と魔術を完成させた後は、お世話になった役所に挨拶に行った。第二王子の一件で役人たちと首長が責任を感じたらしく、事件の翌日に謝罪を受けたので少し気が重かったがお礼は言っておきたかったのだ。
本当にいい人たちだったわ。
滞在したのは一週間にも満たないのだけど、親身になってくれた人たちだ。仕事先を一緒に回った女性からは、何度も「ここに残って一緒に仕事をしてください」と頼まれたけど、王都には戻ると決めていたので断った。ただ、ケヴェルンに移住することになったらよろしく頼みますとは伝えてある。
挨拶が終われば、前はゆっくり食べられなかったシャーベットのお店に寄って違う味のシャーベットを楽しんだ。通りを見やれば、いつものように種族が混ざり、文化も混ざっているケヴェルンの日常がある。
最初は衝撃的だったけど、慣れるものね。
口の中で甘い氷を溶かしながら、ぼんやりとそんなことを思った。将来ミグルド王国全体がこんな感じになれるのかは分からない。正直、馬鹿王子が言ったように難しいところはあると思う。
だけど……目指したいわ。
そんなことを考えているといつの間にかお皿は空になっていて、また味わって食べられなかったと少し後悔した。だけどそれも、また来る理由になるかなと思い直す。
そうして最終日を過ごし、魔王と夕食をとった。珍しくグラス一杯のお酒がついていて、最後の夜ぐらいはということらしい。私は今まで付き合いで飲むときもあったので、それなりには飲めるが勧められなければ飲まない。だから、久しぶりのお酒だった。
ケヴェルンが産地のワインで、ほどよい甘さがちょうどいい。合わせる料理はどれも絶品で、牛肉のステーキは脂の入りが最高で舌の上でとろけた。付け合わせの野菜やスープも素材がおいしい。
「なあ、リリア。この後少しつきあってくれないか?」
軽めの夕食を終えグラスのワインを飲み干すと、魔王からそう誘われた。ワインの瓶の口を指先で叩いていて、飲み足りなかった私は心地よさを感じながら「はい」と頷く。
そして、場所をバルコニーに移してお酒を交えた談笑が始まったのだった。このバルコニーは見晴らしがよく、夜になると町の灯りがきれいでケヴェルンの豊かさを感じる。頬に感じる風が気持ちよくて、お酒で熱を持った体を冷やしてくれた。
四角いテーブルの向かいに座る魔王は、ワインを片手にケヴェルンの街並みを眺めていた。バルコニーの灯りに照らされる横顔は、柔らかく微笑んでいる。
改めて見るとなかなか美形で、ワインを飲みながら以前夜会で顔立ちが整った令息はお酒が進むとおっしゃっていた夫人を思い出した。ワインがおいしいからか、塩味が効いたナッツが合うからか、お酒が進む。
お酒を堪能していると、ふわふわしてきた頭に魔王の声が届いた。
「きれいだな。ケヴェルンは来るたびに変化があって次が楽しみになる」
「そうですね。また来たいです」
今回見てまわったのはほんの一部だし、まだまだ知らないことも多い。長く住まないと分からない問題点もあるだろう。だが、不思議とまた訪れたいと思わせる町だった。
魔王は私に顔を向けると、ワインを一口飲んでグラスを置いた。魔王が飲み過ぎると面倒なことになるのは全員分かっているので、お酒を注ぐシェラがその量を見極めている。
今のところ通常通りだ。魔王は一度視線を落とすと、探るような表情で問いかけた。
「ケヴェルンでは色々あったが、どうだった?」
「色々ありましたね……。でも、好きな町ですよ。前も言いましたが人が温かくて、魔族と人間が一緒にいて、楽しいです」
軽い酔いに身を任せ、素直な気持ちを言葉にする。
「そうか……それならここに住むか?」
そう尋ねられた瞬間、胸の内に寂しさがよぎった。一瞬で消え、私の中に違和感だけ残す。その質問は毎日自分にしていた。ここに住むなら、人々の生活は、仕事は、家はと考えてきた。だけど、何故か今は寂しさがあった。
魔王は表情を変えず、ワインに口をつけていて感情を読み取ることはできない。
ここに住む……。一人で。
ぽつりとそう思った時、寂しさが弾けた。お酒の力で感情が増幅されたからか、置いていかれたような寂しさと悲しさに襲われる。それと同時に浮かんできた顔たちがあった。
その気持ちが素直な答えを作っていき、言葉になる。
「いえ……すぐにとは考えていません」
そう答えると、魔王が少しぼんやりした視線をこちらに向けてきた。視線が交わり、続きを口にする。
「スーにお土産を渡さないといけませんし、研究部の人たちのお仕事もまだありますし……。すぐにはお別れできないぐらい、ヴァネッサ様に、ヒュリス様、シェラ、たくさんの人にお世話になりました」
仲良くなった人たちを思い浮かべれば、自然と笑みが零れる。問いを向けられたことで、漠然としていた考えが形を取り始める。今じゃないと思っていた理由が、すぐそばに存在していた。
「そして、一番は魔王様です」
「え……?」
魔王はきょとんと目を丸くしていて、意外そうな顔をしているのがおかしかった。
「私を何度も助けてくれて、心に寄り添ってくれて……。とても大切にしてくれているのが分かるから、少しでも恩返しをしたいんです。役に立ちたい」
役に立たないといけないではなく、立ちたいと思える。ヴァネッサ様には存在しているだけで役に立っていると言われたけれど、行動で返したいのだ。
魔王は頬杖をつくと、蕩けそうな目を向けてきた。いい感じに酔いが回っているようで、シェラが素早くグラスを水入りに変えた。機嫌よく微笑んでいて、じっと見つめられると恥ずかしさが募る。
「リリアは優しいな。いつだって人のことを考えられる。そんなリリアを好きになって、助けられて……力になれて、本当によかった」
「いえ、私こそたくさんありがとうございます。きっと何かお返ししますね」
感謝の言葉では足りないくらいだ。これは急いで贈りものにできるレベルまで刺繍の腕をあげなくてはと考えていたら、魔王が何か言いたげなことに気付いた。あの表情はおねだりをする子どもに似ていて、なんとなく身構えてしまう。
「お返しをくれるなら、お願いがある」




